夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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どうしたら上品に年をとることができるか

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どうしたら上品に年をとることができるか

W・B・ウルフ

(「どうしたら幸福になれるか」周郷 博 訳より)



 人が元気な時代に年をとったときの用意をするということは、幸福というものをつかむ機会をずっと多くする。これは自明なことだ。社会的に責任を負った、成熟した人間は、老年が彼を比較的助けのない状態にしていくわけで、子供のころの無力な状態に逆もどりすると考えたら耐えられないはずなのだ。ところが、人間のなかのいなごのような性質の人間は、子供時代を卒業もせずに、神を頼りにし、社会を頼りにし、まぐれを頼りにして、彼らの最後の貴重な年齢のために何らの用意をしようともしないのである。幸福は、身体だけが大人で心は青二才な人間には、かなわぬわざなのである。彼の全人格はアナクロニズムだからだ。ちゃっかりと用心深い子供時代のゆたかな実がもてないように、精神的に発育不全な人は大人の人生のゆたかな実りを得ることができないのだ。彼らの生活の無計画さは、自身と自愛が欠けている証拠であり、彼ら自身がもっている人生の障碍に立ち向いそれを照明する自分自身の力を信じないということを示しているのである。

  幸福の追求は、現在および将来の両方についての決然たる計画なしには考えることさえできない。・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

  若い時代というのは、われわれが招かれてしばらく滞在している美しい家のようなものだ。われわれの週末はたいへん楽しいものであったが、その家の主人がいらいらしてきて、はやく発ってもらうために何か偽りの口実でもいったりしなければならなくなるまえに、われわれは支度をして荷物をつめて、働くためにでかけなければならぬ。これは、うまいやり方でもあり正しいことでもある。身体と心の成熟と老化は、避けられぬ自然の法則だ。われわれは誰でも年をとって死ぬものだという窮極の真理からのがれることはできない。だから、この事実について哲学的であり、成熟につづいてくる時代を興味のある平和なものにする用意をしておくほうがいいのだ。これをするのには、われわれは上品に年をとるという芸術を学ばなければならない。

  上品に年をとるのにはわれわれが「ユーモアのセンス」と呼んでいる、あの一種の客観性(我執にとらわれない心)を最大限に要求される。若い時代と壮年時代を通して自分の満足ばかりに気をとられてきた男や女は、老年と死の問題を平静な心で迎えることがたいへんむずかしいことに思われるだろう。これは、神経症患者がどうしてもまともにとり組めない一つの冷厳な事実である。そのうえに、利己的な人はみな、彼の老年の辛い気持ちを慰めるために何か特別な神の加護を期待するものだ。

  そういう人の診断をしてきた経験から考えてみて、そういう期待はかなわぬものだということがわかるのだ。ほんとうに幸福な年をとった人々は、過去においてよいしごとを十分にやった満足を味わった人々、そうして彼らの気軽な時間を将来ゆたかで意味のあるものにするために何かの趣味に生き生きとした興味をあらわした人々なのだ。

  ・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

  上品に年をとるということは若い時代に始められていなくてはならぬ。幸福な老年時代を過ごしたいと思う人は、読書や音楽や舞踊その他の芸術、とくに他の人々との交わりという冒険をやってみることをおろそかにしてはならぬ。イギリスの詩人ブラウニングがうまくいったように、人生の最後というものは、若い時代の目標なのだ。それなら、若い時代の消え去った楽園をいつも物欲しそうに眺め、そのためにわれわれが生まれてきたはずのあの現実を否定していて、どうして幸福になることができるか?この問題は、<こんにち、人間がこれまでになかったほど熟した老年まで生きることができるようになっている>のだから、それだけに、いそう大事なものになっているのである。



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プーシキンの詩をふと読んで

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好きな詩を書き留めておいた若い頃のノートを見た。
ふと、プーシキンの春の詩が読みたくなって探してみた。
小鳥を空に放つ詩だ。


-------------------------------------------------------------------------------------
     小鳥
とおい他国(よそぐに)でふるさとの
ふるいならわしを守って
春のあかるい祭りの日に
一羽の小鳥を空にはなつ。

わが思いややにやわらぎ
たとえ一つの生きものにも
自由をあたえてやれたので
こころはふかく慰められる。
-------------------------------------------------------------------------------------


そのままページを繰っていたら、別な詩を見つけた。
その詩もとても好きだった。悩みがあるときに心が安らいだ。
今年の春はわたしにとって、良い気分と悪い気分の混合だった。
だからこの詩に慰められる思いだった。発見できて良かった。


-------------------------------------------------------------------------------------
     *
日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて
悲しみを またいきどおりを抱いてはいけない。
悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。
きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。

こころはいつもゆくすえのなかに生きる。
いまあるものはすずろにさびしい思いを呼ぶ。
ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。
流れ去るものはやがてなつかしいものとなる。
-------------------------------------------------------------------------------------


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証明写真機

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またまた新たな派遣会社に登録に行きました。もう何社めか・・・・・・というのでだれてます。
前日に履歴書用写真を探したところ、ない。
前日といっても夜中に近い時間のこと。今から写真屋さんに行くことはできない、と当日にまわしてしまいました。

午前中だけ仕事があり、職場の友人とお昼を食べた後、登録に向かうべく駅へ。
インスタント証明写真を撮影できる機械がどこかにあるだろうと思ったら、駅にあったので撮ることにしました。目的地の駅前にもあるとは限らないし、見つけたところで撮ってしまおうと考えたのです。一人中で撮影している人がいて、外に一人待っている人がいたのですが、並ぶことにしました。

並んでいた人は白髪のおじさん(まもなく または 既に おじいさん)で、やり方が分からないと言っていました。
中にいた人(若い男性)がカーテンを開けて出て来ると、入れ違いに中に入ったおじさんはその若い男性をつかまえて「どうやって撮ればいいか分からない」と訴えました。
若い男性の写真が現像されて出てくるまでは、おじさんの撮影はできません。画面には『写真は外に出てきます』と案内が表示されている状態で、休止しているからです。
待っている間、おじさんは若い男性に「すみませんね」と言ったり指示通りに腰掛けたりしていました。
そして若い男性はおじさんの撮影に最後までつきあい、撮影する瞬間だけカーテンを閉め、「ここから出てきますから」というところまで指示して去っていきました。
おじさんの写真が出てくるまでわたしの撮影はできません。
おじさんは待ちながら「お待たせしてすみませんね、分からなくて」と話したりしていました。

おじさんの写真を待つ間におばさんが私の後ろに並びました。
パスポート用写真を撮りたいが、この機械でできるか、とわたしに問いました。
お察しの通り、おじさんの写真ができた後撮影をしたわたしは、自分の写真を待つ間、「どうすればいいの?」と聞かれ、結局おばさんの撮影に最後までつきあいました。

この証明写真ボックスは割と使用頻度が高いらしいけど、いつもこうしてその場にいた比較的若い方が教える仕組みでうまくいっているのだろうか、と思いました。


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アナウンス

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今日、とある駅で停まっている電車の中にアナウンスが流れました。

「先に運行している準急電車の構内に・・・・・・・立ち入ったため・・・・・・」

単純に「あ~人が入ったのね~」と思っていて、そういうことはありがちかと思われたので、さして気にもせずに本を読みつづけていました。
するとまたアナウンスがあり、人がざわざわし始めました。「先の準急の・・・敷地内にこうしが入ったため、この電車しばらく停車しております。お急ぎのところ大変・・・・・・」
「こうし?」「子牛?」という声があちこちで囁かれました。
このアナウンスの男性、この沿線の電車では大抵そうですがボソボソした喋り方なので、よく聞き取れません。でも確かに「こうし」または「こおし」または「こーし」と言っているように聞えます。このように聞き間違うとしたらどんな単語なのか、想像もつかないので皆さん首を傾げて考えている空気。まさか「人」と言っているのが「子牛」に聞えるはずはありませんもの。全然似ていないですし。

「え~、この電車の前を―――」とアナウンスがみたび始まると、車輌内がしんとしました。皆で耳を澄ませている雰囲気が漂います。
やっぱりはっきり聞き取れなかったのですが、またもや「線路内に子牛が入ったため」と聞えます。・・・・・・でもこのあたりで子牛を飼っている人がいるとは思えないけれど。
あれはなんだったのかなあ。



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今だけ、目黒まで通勤しています。電車は行きも帰りもぎゅうぎゅうです。
みんな、よくこんなぎゅうぎゅうの電車で毎日通っていられるなあ、と感心してしまいます。

今日、帰りのぎゅうぎゅうの電車の中から、虹を見ました。
太い虹が地面から突き出ていました。
7つの色もはっきりと見えて、大きく、堂々とした虹でした。
「あれ、虹じゃない??」というようなぼんやりしたものではなく、見間違いようのない虹でした。

電車の中にはたくさんの人が鮨詰めになっていましたけど、虹を見た人はそんなにいません。
坐っている人は背中に目がないので気づかないし、向かい側に坐っている人は立っている人が壁になって見えません。立っている人も、虹が見える方の窓に面している人しか見られません。見える位置にいる人でも、本や雑誌を読んでいる人は気づきません。疲れてぼんやり目を閉じ加減にしている人は知らないままです。
さすがにわたしも、「虹が出ていますよ」と周囲の人に大声で教えることはできないので、黙って見ていました。他に少し離れたところに立っていた、髪を後ろで束ねた男の人がドアのガラスから虹の方角をずっと見ていました。

駅が近くなると、ビルが増えて見えなくなります。高田馬場くらいの駅でも、駅だけではなくて、駅に近いところはビルばかりなのでずっと見えません。でも、電車が発車して辛抱強く見ていると、また現れるのです。
でも、とうとう目白を過ぎた頃には見えなくなってしまいました。



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世界が音をたてて春になる

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  春が加速してやってくる。
  冬は寒かったので、春の到来は早いかと思ったがそうでもなかった。冬将軍はいつまでも居残った。3月もだいぶになって、ようやく春を確信できるようになってきた。少し暖かい日があって春が来たと思っても、翌日はまた冷え込み冬のコートを着る、なんてことが多かったのだ。「やっと・・・・・・!」という気がする。
  ところが、一旦春が来るとなると、その勢いは爆発的になった。
  梅の花が咲き始めて、寒い日が続くと心配になったりしていたが、ここのところ暖かい。するともう梅は散り始めていた。いよいよ春の花々に道を譲る日が迫っているらしい。
  1週間前に散歩した時に、裸の木を写真に撮った。冬の木々の枝ぶりを見せた様子が好きだからだ。今日、1週間経った土曜日、同じ場所を通ると、その木は緑色に萌えていた。瑞々しい透明な新芽がいっせいに芽吹き、枝を覆っているのだ。
  いつのまにかあちこちの庭で、冬も咲いていたパンジーだのデイジーだの以外の花が咲き始めていた。
  石神井川に沿って朝散歩したときに、桜の木に花芽が膨らんでいるのを見た。開花も間近だと思った。膨らんだ花芽を写真に撮った。しかし午後、井荻の公園に行ってみると、1本の桜が3部咲きになっていて、風に揺れていた。
  家の玄関を出ると、道を挟んだ向かいの一軒家の欄満に咲き誇る木々が見える。薄いピンク色の花や白い花がついた木々は、桃なのか梅なのか他の何かなのか。今年も見事に満開になって、美しいと愛でていた。しかしもう今日あたりは、花の間に葉が出始めている木もある。こうなると美しさの絶頂は過ぎてしまう。
  世界が音をたてて春になっていく。生き急ぐように芽が伸びて行く。
  沈丁花がもう香っている。公園に行ったら菜の花をたくさん植えてあり、そういえば菜の花の香りとはこんなものだった、とつくづく思ったが、きっとすぐに花期も終わってしまうのだろう。だって、こんなに速く速く世界が動いているのだもの。



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沈丁花の季節に

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他の方の日記で、沈丁花が咲いていると読みました。
もう?――わたしの家の近くではまだ咲いていない。

でも、昨日強風が吹いた一瞬、甘い匂いが鼻をくすぐりました。
沈丁花が咲いている・・・・・・!

今日は風が吹かなくても匂うくらいの花数、開花の時なのですね。

数年前に辞めた仕事は、沈丁花や桜の季節は繁忙期。
冬の閑散期の後だけに体がついていかず、毎日ヘトヘトです。
夜とぼとぼと帰宅するわたしを慰めてくれた甘い香り。
本当に、その香りがすると疲れた足が軽くなる気がしたのです。
今でも沈丁花の香りを感じると、あの頃のことを思い出します。



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電話のベルに遮られ――

今日は5日間続いたお休みの最後の日だった。
ギッシングを読み終えようとしていた。
あと20ページほどのところで携帯が鳴った。友達だった。

友達は楽しいお誘いで電話をくれたのだった。
とても有難いお誘いだったし、いつも親切な友達だ。楽しそうな話だった。
けれど、突然物憂くなってしまった。
ギッシングの世界は遠く隔たってしまった。もう立ち戻れなかった。
わたしの世界は急に転回して、現実に戻ってしまったのだ。
それも自分で処理できない感情の海の中に落ちてしまった。
お誘いに集まる人々の中に、わたしの心をかき乱す人がいる。
あの人のことは当日なるべく近寄らないようにする、あの人のことは考えないようにする、
と決めてかかっても、どうしても毎日のように思い出しそうな人が1人いる。

そしてわたしのお休みは終わりを告げた。
これからそのお誘いの当日まで平安がないのだろうか、と思うと複雑な気持ちだ。
人間てややこしい。
自分でもどうしようもない物思いに囚われる。

桜の季節の頃はだるい気持ちになりやすい。
天気ばかりか、心まで花曇になってしまう。
だから、なかなかもとにもどれそうもない。



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春の痛み

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 春は美しいものです。花々が次々に咲いて、瑞々しい若い芽が吹き出して、空が明るい青に輝いて、人々が華やかな装いになって・・・・・・
  美しい季節だからこそ、もしこの時季に悩みがあったり、暗い気持ちであったりするとこたえます。
  自分の悩み苦しみに何の考慮もなく日々明るく暖かく美しくなっていく世界。世の中は『自分』と『それ以外の事物』で成り立っているような気持ちになります。自分がどれほど暗い物思いに足をすくわれていても、自分以外の世界は何も待ってはくれないし、気にかけてもくれないのです。
  そんなことは当たり前のことなのですが、15年ほど前、まだ若かった頃、それがやりきれない年がありました。
  今年のわたしは、些細なことはあれ、平和な毎日なのでそんな気持ちになることはありませんでした。ありがたいことに。大人になって、多くのことが「小さなこと」と正しく評価できるようになったためでもあります。どうも若いときというのはまだ精神も幼くて、何事も自分にとっては重大に思えたものです。

  また、美しい季節は、悲しいときにはより心に沁みます。
  心が脆く敏感になっているため、より一層の瑞々しさで感受性に訴えてくるのです。
  父を喪ったのは3月の始めでした。まだ景色は枯れていて、風も寒々した季節でした。それが、一周忌、四十九日と迎えるにつれ、春爛漫となっていきました。
  黄色いたんぽぽが咲き乱れ、カラスノエンドウやホトケノザが紫がかったピンクの色で野にアクセントをつけていきます。オオイヌノフグリが小さい青い花を一斉につけます。緑の葉が、葉脈が分かるくらいに透き通って、大地にも木々の枝にも萌え出します。葉は色も薄く厚みもないので、陽の光をステンドグラスのように通してキラキラ輝きます。鳥が嬉しげに飛んで、空も雲も春の明るさになります。
  世界が一斉に命を取りもどしたように芽吹き、花開き、伸びてゆきます。
  父だけが、この春を見ることなく眠っています。春が美しければ美しいほど、あの日車を停めた病院の周囲が枯れた色褪せた景色だったことを思い出しました。
  悲しくても、人は泣いてばかりいるわけではありません。しばらくの間、わたしも下の妹も父を喪くした実家によく帰りました。実家には中の妹と母と祖母がいて、姉妹が揃うと賑やかです。普段は趣味や好みが違っても、この頃はひとつの悲しみに結ばれていたので、いつも一緒に行動していました。皆、普段のように仕事に行っていますし、週末に帰れば笑ってお喋りをしたりもしますし、夜は酒好きだった父の遺影と一緒に酒盛りをしたりもしました。それに、特に田舎ではそうですが、誰かが亡くなると遺族は忙しいものです。そういう忙しさのうちに、次第に悲しみが取り紛れていくものです。
  わたしたちの悲しみも平静さを取り戻していきました。落ち着いた、しっとりしたものに変質して行ったのです。
  けれど今でも思い出すのは、あの春の美しさ。忙しい合間にふと、「今年の春ほど美しい春はなかった」と足を止めた一瞬一瞬が鮮明に思い出されるのです。



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春―はじめ

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びわが大きくなりました。
これは,去年びわを買って食べたときに,種を土に埋めてみたものです。
大きくなったと言っても,木になったわけではありませんが,葉も大きくなりまっすぐに伸びています。
実がなるまでにはまだまだ何年もかかりそうだし,鉢植えでは木にまで成長するかどうか疑問ですが,
寒さにも負けずにこうして大きくなって春を迎えたのを見ると嬉しいものです。

今年の冬は鳥をたくさん見ました。
おかげでベランダは糞だらけですが,様々な鳥(からす以外というところがまたいい)を見られて楽しかったです。

しばらくぶりに田舎に帰りました。
寒かった・・・・・・
夜は北向きの部屋で寝たせいもあって,まだまだ冬だと実感してしまいました。
顔は冷たくなるし,重い布団をかけてもまだ寒いし,一度布団に入ったら出たくないし・・・
真夜中になって,そろそろ寝なくてはと思ったら雨戸が一枚開いていたので,起きあがって閉めました。
障子を開けたらびっくりです。
星がたくさん!
東京で見られる星の十倍よりもっともっとあると思いました。
プラネタリウムみたいだと思いながら,少しの間眺めていました。
夜は静かでした。
わたしの住まいは幹線道路に近いところにあるので,慣れないと夜などうるさいので余計静けさを感じます。
しーんとして,何の音もしません。
宵のうち風が強く吹いていましたが,その音もやみました。
あと1,2ヶ月すると,夜はかえるの鳴き声に満ち満ちた夜が続くでしょう。
夏になれば,蝉が夜も鳴くでしょう。
でも今日は,まだまだ皆静かに眠っています。

翌日,目覚めてからしばらくして外に出てみると,「まだまだ冬」どころか春になったと実感させられました。
陽当たりがいいところでは,春の草花が所狭しと咲いていたのです。
昨日は暗くなってから着いたので,気がつきませんでした。
オオイヌノフグリが一面に青い花をつけている中に,ところどころたんぽぽが黄色く咲いています。
紫の花も咲いていて,場所によってはホトケノザがびっしり咲いていました。
カラスノエンドウも大きく葉を広げていましたが,こちらはまだ蕾もありません。
家の庭では,まだ冬の椿も咲いていましたが,同時にジンチョウゲも咲き始めていました。
わたしは冬が好きですが,こうして春の明るさや躍動感を感じると,やはり楽しくなってきます。
春というのも本当にいい季節です。


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ふとしたところにある憩い

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 今日、目黒に行ったのです。ある仕事の面接でした。帰りに通った道に大円寺があり、人がお参りしていたのでわたしも入ってみました。
  たくさんの羅漢が並んでいます。五百羅漢と書いてありましたが、本当に五百あったのか『多い』という表現だったのか、数えられなかったので分かりません。お一人お一人、顔の表情が違っているのですが、遠い段の上のお顔はよく見えません。ずらりと並んで、思い思いのポーズをとっておられます。
  ゆっくり歩いて、境内を見て回りました。
  ふきの葉に囲まれた小さなお地蔵さまがいて、舞い散るピンクの花びらを頭にかぶっていました。お地蔵さまの後ろに花ももの木があったのです。お地蔵さまの頭の上にも、ふきの葉の上にも、舞い落ちた花びらが彩りを添えています。お地蔵さまが坐っておられる台座には、花びらが積もっていました。
  ふきの葉に隠れてしまいそうな、可愛らしいお地蔵さまでした。
  おみくじを引きたくなって、何回も振って出しました。「いろいろの事に心を迷わさずひとむきにわがいとなみに勉強すべしとなり」とあり、ふっと肩が下がりました。
  ここのところ、あれこれ思い悩むことが多くありました。仕事でも、仕事そのものではなくて、そこにまつわる事情や人間関係など、余計なことで煩わされていました。けれど考えてみれば、やるべきこと、やろうと思っていたことは中途半端で終わっている――文句を言わず、頑張ってみようと思いました。「このくじを引いた人は、真を大切にして誠を尽くさねばいけないが、あとは目上の者が引き立ててくれるのでじっと待つように」というお告げでしたから。
    ひたすらに
目当ての岸に
進みなば
波荒くとも
終に渡れん
  また明日になったら、あくせく思い煩うのでしょう。でも、今日のところは、じっと表情を変えない石の仏さまに荷を代わっていただきました。 



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ここ10日ほど通っている仕事場の敷地には桜がたくさんあります。

花はまさに吹雪のように舞い落ちて、昨日今日は桜の花びらが道路に敷きつめられていました。白っぽい花びらの吹き溜まりは美しいものです。そして夏への序章です。
花だけが爛漫と咲いていた春の木々の様子はもうありません。
若葉が透き通った小さい顔を一斉に出し始めています。
見事な並木道を15分ほど歩いて仕事場に行くのですが、ここが今、透き通る翠が陽光にきらきら輝いて素晴らしい緑のシャワーになっています。

夏の濃く分厚い深緑より、陽の光を通す瑞々しい明るい緑の方がわたしは好きです。



 今日、目黒に行ったのです。ある仕事の面接でした。帰りに通った道に大円寺があり、人がお参りしていたのでわたしも入ってみました。
  たくさんの羅漢が並んでいます。五百羅漢と書いてありましたが、本当に五百あったのか『多い』という表現だったのか、数えられなかったので分かりません。お一人お一人、顔の表情が違っているのですが、遠い段の上のお顔はよく見えません。ずらりと並んで、思い思いのポーズをとっておられます。
  ゆっくり歩いて、境内を見て回りました。
  ふきの葉に囲まれた小さなお地蔵さまがいて、舞い散るピンクの花びらを頭にかぶっていました。お地蔵さまの後ろに花ももの木があったのです。お地蔵さまの頭の上にも、ふきの葉の上にも、舞い落ちた花びらが彩りを添えています。お地蔵さまが坐っておられる台座には、花びらが積もっていました。
  ふきの葉に隠れてしまいそうな、可愛らしいお地蔵さまでした。
  おみくじを引きたくなって、何回も振って出しました。「いろいろの事に心を迷わさずひとむきにわがいとなみに勉強すべしとなり」とあり、ふっと肩が下がりました。
  ここのところ、あれこれ思い悩むことが多くありました。仕事でも、仕事そのものではなくて、そこにまつわる事情や人間関係など、余計なことで煩わされていました。けれど考えてみれば、やるべきこと、やろうと思っていたことは中途半端で終わっている――文句を言わず、頑張ってみようと思いました。「このくじを引いた人は、真を大切にして誠を尽くさねばいけないが、あとは目上の者が引き立ててくれるのでじっと待つように」というお告げでしたから。
    ひたすらに
目当ての岸に
進みなば
波荒くとも
終に渡れん
  また明日になったら、あくせく思い煩うのでしょう。でも、今日のところは、じっと表情を変えない石の仏さまに荷を代わっていただきました。 



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ヘンリー・D・ソロー

(『森の生活(ウォールデン)』 1854)



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  そのほかにわたしはひとさしの宝玉のように見える金色と銀色とにかがやいた銅色との魚の、得がたいひと漁を獲た。ああ! わたしは多くの最初の春の日の朝、あの牧草地に踏みこみ、高みから高みに、柳の根から柳の根へと跳びわたった。そのとき自然のままの河谷と森とは、もし死者がある人々の想像するようにその墓場で眠っているのだったら、それを目醒ましたであろうほど浄らかで明るい光をあびていた。これより強い、不死の証拠は不必要である。このような光のなかではすべての物は生きているにちがいない。おお、死よ、なんじの刺はいずこにありしや? おお、墓場よ、しからば、なんじの勝利はいずこにありしや?

  われわれの村における生活は、それを囲む、人の踏みこまぬ森や草原がなかったならば沈滞することであろう。われわれは荒野の強壮薬を必要とする―――時にゴイサギとバンがひそむ沼をかちわたって、シギの太い啼き声を聞き、もっと野性的で孤独な鳥だけが巣をかけ、黒イタチが地面に腹をすり寄せて這うところで、そよぐ菅の香をかがなければならぬ。すべてのものを探索し学び知ろうと熱心になると同時に、われわれは、すべてのものが神秘であり、探索しがたいことを、陸地と海とが見現に野性的で、未踏査で、測り知れないが故に、われわれによって測量されずにあることを要求する。われわれは決して自然をこれで十分というほどもつことはできない。われわれは無限の活力のすがた、巨大な超人的な光景―――難破船のうちあげられた海岸、生きている木、朽ちかかった木をもつ荒野、雷雲、三週間つづいて洪水を起こす雨―――によって元気づけられねばならぬ。われわれはわれわれ自身の限界が超えられるのを、われわれが決してふみ入らないところで何かの生き物が悠々と草をはむのを見る必要がある。われわれはわれわれを嫌悪させ落胆させる死屍をハゲタカがついばんで、この食事から健康と力とを引き出すのを見て元気づけられる。わたしの家に往く道に馬の死んだのがあってわたしは時々廻り道をさせられたが、自然の強い食欲とやぶることのできない健康との保証をそれによって示されてわたしは埋め合わせがされたのを感じた。わたしは自然がそんなに生き物にみたされていて、何万でも犠牲にされ、おたがいに取食うままにされる余裕があるのを見るのが好きだ―――軟らかい組織物が果肉のように平然と押しつぶされてほろぼされ―――オタマジャクシがアオサギに呑みこまれ、カメだのヒキガエルだのが道路で轢きころされ、時には肉と血が降る! 事故はとかく起こりやすいものであることをかんがえて、われわれはいかにそれを軽くあしらうかを悟らねばならない。賢い人にあたえられた感銘は全般的の無罪である。毒は結局有毒でなく、いかなる傷も致命傷ではない。同情はきわめて支持しがたい拠点である。それはその場その場のものでなければならない。その訴えは定型化されるに堪えないであろう。

  5月のはじめには、カシ、ヒッコリー、カエデ、その他の木が池のまわりの松林のなかで芽ぐみはじめて風景に日の光りのような明るさをあたえ、特に曇った日には太陽が霧をとおして洩れて丘の斜面のそこここにかすかに照っているようであった。5月3日か4日かにわたしは池のなかにカイツブリを見、この月の第1週にはヨタカ、トビイロツグミ、ヴィーリ、モリオオルリ、チウインク、その他の小鳥を聞いた。モリツグミはずっと前に聞いた。フィービーはすでにふたたびやってきて、わたしの家が、自分がすむのに十分洞穴のようだかどうかを見るために戸口や窓からのぞきこんだ。爪をまげ、つばさをはためかせて身をささえ、宙にういているようにしてあたりの様子を見わたしたのである。まもなくヤニマツの硫黄のような花粉が、池や岸にそうた小石や朽ち木をおおい、ひと樽もひろいあつめられそうであった。これらは話に聞く「硫黄の雨」である。かくして、だんだん高くのびる草のあいだにはいりこむように季節はめぐって夏に入るのであった。




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ヘンリー・D・ソロー

(『森の生活(ウォールデン)』 1854)



 春が近づいたころ、わたしが坐って読んだり書いたりしているすぐ足もとの床下に二匹の赤リスが一度にはいりこんで、今まで聞いたことのないような不思議なしのび笑いとさえずりと越えの旋舞と喉をならす音とをつづけた。わたしが足を踏みならすと、なおさら声だかく、チュッチュッと啼き、かれらの気ちがいじみた悪ふざけにすべての恐れと敬意とを忘れ、人間の止めだてを馬鹿にしているふうであった。こらっ。やめろ―――チュッチュ―――チュッチュ。かれらはわたしの抗議に全然耳をかさず、あるいはその力を認めず、とめどのない悪口雑言の調べにふけるのであった。

  春の最初のスズメ! 一年は前よりもさらに若い希望ではじまるのだ!半ば露わになった湿った野のうえに聞えるアオコマドリ、ウタスズメ、アカバネからのかすかな銀のさえずりは冬の最後の雪ひらがこぼれおちて鳴るかのよう! そのようなとき、歴史は、年代学は、伝統は、そしてすべての書かれた啓示は何であろうか。小川は春への讃歌と歓びを歌う。牧草地のうえを低くとんでいるヌマタカは、目醒めた最初のぬるぬるした生き物をすでにあさっている。溶ける雪のしたたりおちる音はすべての谷あいに聞かれ、氷は池で解けいそいでいる。草は丘の斜面で春の炎のように燃えたっている―――「最初の雨にうながされて草ははじめて萌えそめる(原文ラテン語)」―――あたかも帰りきたる太陽にあいさつするために大地が内部の熱を送り出したかのように。その炎の色は黄色ではなく緑である。永久の青春の象徴である草の葉は長い緑のリボンのように土から夏のなかに流れ入る。一時は霜のために抑えられるがやがてまた押し出し、去年の枯草の穂を下なる新たな生命で持ちあげる。それは地面から水の流れがにじみ出るようにどんどんそだつ。それはほとんど水の流れとおなじものである。なぜならば茂りそだつ六月の日々、水の流れが涸れたときには草の葉がその水路となり、来る年々に家畜群はこの常緑の流れで飲み、草刈りは時期を失せずかれらの冬の飼料をそこから汲みこむのである。同様にわれわれ人間のいのちも根ぎわまで死ぬだけで、いつまでも永遠にその緑の葉をさし出すのである。

  ウォールデンはすみやかに解けつつある。北側と西側とに沿うては2ロッド幅の水路ができ、東のはじではそれがもっと広くなっている。大きな氷のひろがりが主体から欠けおちた。わたしは岸辺の茂みからウタスズメが歌っているのを聞く―――オリット、オリット、オリット―――チップ、チップ、チップ、チーチャー、―――チー、ウィス、ウィス、ウィス。彼も氷を割る手つだいをしているのである。氷のふちの大きくのびる曲線は何と見事なものだろう! それは岸のそれとある程度まで呼応しているが一層規則的である。それは先頃のきびしい、しかし一時的の寒さのために異常に堅く、宮殿の床のように一面の波紋状のつやを帯びている。しかし風はその不透明な表面のうえを東にむかって空しく滑り、その先に出はずれてはじめて生きた水面に達する。この日の光りにひらめく水のリボン―――内部の魚と岸の砂とのよろこびを語っているような愉しさと若さにみちた池の素顔、ウグイの鱗のように銀色をおびて、全体が一つの生きた魚のような水のかがやきを見るのはすばらしい。これが冬と春の対照である。死んでいたウォールデンが生きかえったのだ。しかし今年の春は、前にいったとおり、それはいつもより着々と解けたのである。

  嵐と冬とから晴れやかでおだやかな気候への変化、暗くもの倦い時間からかがやき、はずみのある時間への変化は、すべての物が宣告する記憶すべき危機である。それは結局は、見たところ瞬間的である。突然―――夕方が近いのに、そして冬の雪がまだ垂れさがっているのに、そして軒には霙のような雨がしたたりおちているのに―――光りのみなぎりがわたしの家をみたした。わたしは窓の外を見た、―――見たまえ! 昨日まで冷たい灰色の氷のあったところに今は澄んだ池があった―――すでに夏の夕べのようにおだやかに希望にみちて、そのふところに夏の夕空を映して―――それは頭上には見えないのだが、池がどこか遠い地平と消息を交したかのごとく。わたしは遠くにコマドリを聞いた。それは何千年ぶりで聞いたものであり、これから何千年ものあいだ忘れられないような気がした。むかしながらのうつくしく力づよい歌であった。おお、ニューイングランドの夏の日の終わる夕方のコマドリよ! 彼がとまっている小枝を見いだすことができたら! わたしはその彼を、その小枝を意味するのだ。これは少なくとも単にTurdus migratoriusの学名で代表される鳥ではないのだ。そんなに長いあいだうなだれていた、わたしの家のまわりのヤニマツや潅木カシは急にそれぞれの性格をとりもどし、雨によって十分に浄められ元気づけられたように、より明るく、より緑に、そしてよりまっ直に、より生き生きと見えた。わたしは雨がもうたしかにあがったことを知った。森のどの小枝を見ても、いや、薪の山を見てさえ、その冬が去ったかどうかがわかる。もっと暗くなってから、わたしは森のうえを低く飛びながら啼くガチョウの声におどろかされた。南の湖水から遅くたどりついた疲れた旅びとのように、そしてやっと心置きなく愚痴をこぼし、おたがいに慰めあうことができるといった態で。わたしは戸口に立ってかれらのせわしい羽ばたきを聞くことができた。かれらはわたしの家の方にむかって飛んできながら、突然わたしの灯を見つけると、抑えるような啼き声をたてて旋回し池に下り立った。わたしは家のなかにはいって戸を閉ざし、森のなかの最初の春の夜を過ごした。

  翌朝、わたしは戸口から霧をとおして、50ロッド沖合いの池の中ほどにガチョウどもが泳いでいるのをながめた。そんなに大きく、そしてしきりにさわぎ立てるのでウォールデンはかれらの遊楽のための人工の池かとおもわれた。けれどもわたしが岸まで出ると、かれらはたちまち、指揮官の合図のもとにおそろしい羽ばたきで舞いあがり、やがて隊列がととのうと、総数29羽がわたしの頭のうえを旋回し、それから指揮官の一定の間隔をおいた啼き声のもとにまっ直カナダを指して飛んで往ってしまった。もっと泥ぶかい池で朝めしにありつけることを信じつつ。一隊のカモも同時に飛び立って、かれらのさわがしい従兄弟たちの後を追いながら北への道を取った。



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ひと花

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ずっとずっと以前、まだ私が20代の頃に働いていた店には、ベテランの女性社員がいた。年齢も「ベテラン級」だった。

若くて未熟すぎたわたしにいろいろなことを教えてくれた。
でもたとえばその人が受けた数々のプロポーズの話などは、「時代が違うし」という気もしたり。

自分が養女だったと分かった衝撃の日、つきあってた男性に実は奥さんがいたことが分かって即刻別れの電話を入れたこと、旦那さんの連れ子を自分の子として育てたこと、父(養父)の遺産相続をいかに取られる税金を少なく処理したか、人生を賢く生きる心得、愛する息子の話――
いろいろな話をした(なにしろ、お客が来ないときはおしゃべりしかすることがない、というような職場だった)。

おじいちゃん(お父上のこと)が亡くなって、旦那さんとももう別居していて、アパート経営を始めたこと。
店舗だったので、ときどき不動産屋がやってきて、その人と話をしていくこともあった。

そういう人生の節目をうまく乗り切るには、「あんたね、医者と弁護士は知り合いにいたほうがいいのよ」と教えてもらって、話を聞くと実になるほどと思ったけれど、そんな人、たまたま親戚にでもいない限り、わたしなどどうやって知り合ったらいいだろうか?

わたしはその人とは3年ほど働いて、その店を去った。会社は辞めなかったが、新しい店舗に異動になったのだ。
最後の頃にはその人も定年が見えていた。「あたしもあと2年よ」

そして言っていた。
「おじいちゃんの(亡くなった)とき、アパート経営を始めたのは、あたしもよくやったと自分で思うわよ」
父親が亡くなったとき、相続税が軽減されるよう前もってあれこれ手を打っておいたから、とてもうまくいったのだそうだ。
そして、それまで普通の一軒家だったのを、バーンとお金を使って改築した。4戸か5戸ほど、部屋を貸せるようにアパートというか、コーポにしたのだ。
その決断は、大金がからむことでもあり、勇気の要る決断だった。でもやってよかった、成功した、という話だ。

「あとは、もうひと花咲かせたいのよね」

まだ何をしようと決めているわけではない。でもあのときのように、もうひとつ何か、「やりきった感」のあることをしたいというわけだ。

その人の年齢にどんどん近づいているというのに、わたしはまだ最初のひと花も咲かせていない。
今から何か咲かせられるかな。自分だけの満足でいいから、「わたしあのときはやったわ」と思える花。
そして、「死ぬ前にあとひと花咲かせたいのよね」と言えるだろうか。

そんなことを思うようになってきた――



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無題

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通勤途中にほんの20メートルくらいの細い小道がある。
少し斜めで、少しウェーブになっている道なので、人はあまり選ばないが、ときどき通る人もいる。

今朝その道を通ったら、ふかふかの落ち葉の吹き溜まりが数メートルあって、足に心地よかった。

こういう些細なことを、ふと気づいて嬉しいと感じられるのは、幸せなことだ。

心配ごとがあったり、疲れすぎていたら、落ち葉を踏んでいることはわかっても、それを楽しむことはできない。
嬉しいと思えるのは、心配があっても絶望的ではないってこと。疲れていても疲れてすぎてはいないってこと。



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予期せぬ効果

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心静かに、満を持しておこなったことでも、期待した効果があるとは限らない。

ただ追われるようにおこなったことでも、予期せぬ結果を生むことがある。

それをつくづく感じた。
「さあ、旅行に行って、ゆっくりリフレッシュしよう」とか「今日の感動を忘れずに、明日からは新しい自分として生きよう」とか、心に期して何かをしても、その後の毎日はたいして変わらないことが多い。
わたしはそういうことのやり方を間違っているのだと思う。期待しすぎてしまうのかもしれない。

だから、何かの効果を期待してというより、ただもう追われるようにしたことが、自分に思わぬ結果をもたらすと少し驚いてしまう。
でも実はそういうことのほうが多い。

追われるように、というのはたいしたことではない。
たとえば「この日で終わってしまうから、これを見に行っておかなきゃ」とか、その程度のことだ。
でももし満を持して、期待して行くというのなら、日を決めるだけではなく、「その後でここでゆっくりコーヒーでも飲んでこよう」とか「次の日は余韻に浸れるように、休みの前日に行こう」とか、あれこれ計画してしまうのだ。
構えているから心に響かない。響いても量が足りないように思う。
そして「あれ? なんだか思ったほどじゃなかったな」と感じてしまう。

心のくせは直しにくいので、たぶんこれからも同じことを何度も繰り返すだろう。
でもこのときのことを忘れないようにしよう。
この、思ってもいなかった効果があったときのことを。
思ったほどの効果がなくてもがっかりしないこと。たまには追われるにまかせて何かをしてみること。

粗食や規則正しい生活に鍛えられた長寿世代ではないから、あと20年ないかもしれない人生。
このことをできるだけ覚えておこう。

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学生さんの会話2景

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職場Bからの帰り、通勤電車の中。
となりに大学生らしき若者2人が座っている。

アルバイトの話をしているらしい。

「セミナーって何やるの?」
「資料配る準備したり、マイクとか機器のチェックしたり、受付したり、いろいろ」
「そういうのどこで見つけるわけ?」
「掲示とかしてあるよ」
「ふうん」
「手伝うとさ、自分も勉強になるし。自分の役に立たないバイトとか、絶対したくないんだよね。接客とかさ。やったって何の役にも立たないじゃん。自分のためになるバイトならやるけどさ」
「でもそのセミナーとかの仕事って毎日あるわけじゃないんだよね?」
「毎日はないけど結構あるよ。あれって時給いいし」
「ふうん」

しばらく聞いていたが、やがてほかのことに気をとられて、気づいたら片方が降りて会話は終わっていた。

同じ路線、1年半くらいのち。逆回り。
また学生さん2人。

「期末の間、バイト減らすの?」
「いや、減らさない。結局同じくらい入ると思う」
「ふーん」
「でも日は変えた」
「ああ」
「居酒屋ってさあ、12月は忙しいんだよね」
「あ~、忘年会か」
「2部も入ってくれないかって言われてるんだよね」
「え、昼からってこと?」
「深夜。5時から11時が1部で、11時から朝5時までが2部だからさ」
「大変じゃね?」
「それ無視して6時から12時まで働いてるんだけどね」

「結局土曜日さ、みんな行くのかな」
「行くんじゃね? 俺は行かないけどね」
「大丈夫だった?」
「入り時間が早くなっちゃって行けません、すみまでんてメールしたら、了解って返ってきた」
「ふうん」

ここでいくつめかの駅に着いて、若者たちは降りて行った。


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会話術

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美容院に白髪を染めに行った。
「カットとカラー」とか言ってるけど、要するにたまに美容院でちゃんと染めないと見られたもんじゃないからってこと。

小さい美容院で、美容師さんは2人だけ。どっちでもいいのでいつも指定しない。空いてるほうの人でいいの。

電話で予約して行ったら、第三の人だった。
辞めちゃった人の代わりが入らなくてずっと2人だったけど、ついに新しい人が入ったらしい。

新しい人といっても、若くない。転職――というか転店? そういう人みたい。だから「はじめはシャンプーから」とかじゃなくて、他の2人と同じ「美容師」だった。

まあ、誰でもいいんだけどね。よほど下手でなければ。

でもこの日は聞きたいことがあった。
昆布成分で染めるカラートリートメントというのをもらって、試してみた結果、美容院・自宅で染める市販の白髪染め・カラートリートメントの併用で行こうかな、と決めたところだった。
もらったカラートリートメントはダークブラウンだったのだけれど、注文するのはダークブラウンにするかブラックにするか?
いつも染めてもらう色を聞いて、あわよくば相談してみようかと思っていた。

初めての人だけどカルテとかあるよね。
この人が分からなければ、いつもの人もいるしね。

「今日は聞きたいことがあったんですけど」
「なんでしょう」
「普段染めていただいてる色についてなんですけど。カラートリートメントってあるじゃないですか」
「ぷっ! ああ、あのインチキなやつね!」

わたしの心づもりでは「カラートリートメントってあるじゃないですか。あれを注文するつもりなので、色がちぐはぐになると嫌だと思ったんです。黒だと浮くでしょうか」という実に短いセリフのはずだったのだ。

ところがいきなり断固たる嘲笑&否定に出会ってひるんだすきに、「あれは染まらないでしょ」とカラートリートメントの話に入ってしまった。

で、トリートメントと言ってはいるが髪にもよくないし、「染めるならねえ、美容院で染めるのが一番いいんですよ」

あなた、わたしをいくつだと思ってるの。これまで何回も白髪染めをしてるんだから、そのお説は分かってるわよ。その説に反対もしないわよ。

「分かってはいますけど、わたしは頭頂部に多く生えてくるから、白髪が伸びてきちゃうと目立つんですよ。でも1cm伸びたからって2週間ごとに美容院に来るのも難しいから、市販のものとかで家でどうしても染めることになるんです」

なんでここまで説明してるの?
しかもここまでどころか、異議を挟まれるのでいつのまにか、「仕事で人に会うことが多いときは印象が違うから」とか、「きっちり染まらなくても、次に美容院にくるときまでのつなぎでいいから」とか、「市販の白髪染めのほうがきちんと染まるのは分かっているけど、手の汚れとか気にしなくていいから楽なんですよ」「ちょっと伸びたからって、1週間ごとに染めるのはしたくないじゃないですか。それでカラートリートメントも併用しようって思ったんです」・・・・・・
もうぜーんぶ説明してる。というか説得してる? 言い訳してる?

「5mmとか1cmとか、少しでも頭頂部は目立つ」と言えば、「ああ~、神経質なのね」
「そのたびに美容院に来るのも大変」と言えば、「美容院、嫌いなんだ」

違うって。本当に目立つの。わたしは頭頂部にびっしりなの。こめかみは気にしないよ、よほどじゃないとかきわけないかぎり目立たないから。でも頭頂部は目立つの。
そういうとき出会った相手も絶対気づいてるって。わたしが神経質なんじゃない。本当に目立ってる。
それに初対面の人に多く会う時期じゃなかったら、分かっててもそのままにする。あー、きっと近くの席の人に「あれはないわ」って思われてるんだろうな~と思いながらも、そのままに。

やがて髪の傷みの話になり、それもまた楽しくなかった。

「髪の毛先とか、傷んでますね。あ、傷みなんて気にならないか!」
――ええ、まあ、白髪のほうが気になりますね、そりゃ。仕事が絡んでる、つまり収入が絡んでくることですからね。

「朝シャンプーします? 夜シャンプーします?」
――なんとな~く展開が読めるので、「夜すると皮脂がすごくて人前に出られないから、朝します」と最初から言い訳。

2、3日前、「内臓脂肪が多い人は頭皮の脂が多い」というのを聞いた。本当かどうか知らないけど、わたしは太ってるし、頭皮の脂ときたら、本当に夜シャンプーでは朝には前髪がぺたりとするほど。わたしの太り具合は本物で、服のサイズは・・・・・・◯号だからね。自分に関しては納得だわ。

「朝。じゃあチャチャっとだ」

「丁寧にシャンプーすると、髪の傷みは全然違うんですよ」
――そうだろうけど。でも丁寧にシャンプーすると時間かかるんですよ。
「だから夜したほうがいいんですよ」
――でもさー、夜したら一日もたないのよ。結局朝もすることになる。水だけってわけにいかないから、(それじゃ皮脂でるから)、それじゃ朝晩シャンプーすることになっちゃう。

何が嫌って、いちいち言い訳してる自分が頑固な人みたいで嫌。

それに誘導されるのも嫌。

「シャンプーは何を使ってます?」
――どうせダメ出しするための質問でしょ。

そういうの、直接話に入ってほしい。
「シャンプーは何を使ってます?」「**」「あーあれね。あれってこれこれなんですよ」じゃなくて。
「**シャンプーはこれこれだからよくないんですよ」って。

質問から始めるのは相手を引き込む話術なのかもしれないけど、尋問に感じる。
それにこの人の質問は、自分ができる話題へのきっかけ作りだから、発展させられそうもない答えのときはすぐに次の質問になる。

たとえば、だ。
「先週の週末は晴れましたねえ。どこか行ったんですか?」
「土曜は用があってそれで終わってしまったから、日曜は家で録画したドラマ見て終わっちゃいました」
「ああ~そうなんだ。仕事は何をしてるんですか?」

次に行ったとき、ほかのお客さんと映画の話をしていて「あれは観ました? ****。あ、ほんと。あれいいですよ、おすすめ」と言っていたから、見たのが映画だったら話が続いたのかもね。

でも別に聞いてくれるなら語ることはできるのだ。
わたしが話したい話題でもこの人が乗れない話題のときは、すぐに切り替わる。この人が乗れる話題のときは、わたしが乗れなくても続く。

いつも思うが、なぜ1万も払ってわたしが聞き役にならなきゃいけないの?
人生の他の場面でたいてい聞き役を割り振られるのだから、もういいよ。

もちろんこの人は美容師であって、ホストではないのだから、求めるのは間違ってるともいえる。
でもそれなら、気を遣って話につきあったりせず、黙って施術を受けたい。

この人は実に勉強になった。
わたしがされたい会話術というものを考えさせられたからだ。
それはつまり、わたしも気をつけるべき会話術だと思ったからだ。

ところでわたしは小心者で、美容室に行っても「ご指名」というのをしない。聞かれても「空いている方で――」と答える。
でもこの後、さんざん悩んだ末、初のご指名をして、その後はずっとこの人以外をご指名となった。


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へりくつ

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「したいこと」を優先しても
「とんでもないこと」は起こらない

雑誌で見た。
ストレスをためないために、こういうふうにしましょう、という簡単なマニュアルだった。

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「したいこと」を優先しても
「とんでもないこと」は起こらない
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「とんでもないこと」は起こらないかもしれないけど、「そこまでじゃないけど面倒なこと」は起こるよね。
それによって周囲の人が勝手な評価を下したら、それはいつまでもついてまわったりして面倒だよね。

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家族のごはんより「1時間休憩したい」を叶えていい
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叶えていいけど、代替手段があるときだよね。
家族の誰かがやれやれと代わってくれるとか、
全員分の外食代や出前代を捻出することができるとか。

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「そうだね。」たった一言で
人間関係はうまくいく
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これ、2回3回とやってると、いつでも聞いてくれる便利な聞き役の役割を振られちゃうよね。
いったん振られると抜け出せない、いつも便利な人で、それもストレスたまるんだよね。

適当に言ってると、「ああ、適当に相槌打ってるな」って見透かされて、人間関係うまくいかなくなるし、ちゃんと聞いて相槌打ってると便利な人にさせられちゃう。


――最近、へりくつが多くなった。
耳に優しい言葉、なんかいい感じの言葉、心を打ちそうに見える言葉を見ると、つい心の中で反論してしまう。

ひねくれたなぁ――わたし。


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一片のメロディ

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中村紘子のピアノコンサートのポスターを見た。
ちょっと行きたい気がして、眺めた。

中村紘子、好きだったのだ。
昔のクラシックのテレビ番組で司会をしていて、はなやかな笑い方と品のある話し方が好きだった。

ピアノ演奏のほうは、その番組のオープニングで数十秒聞くだけ。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番のイントロだった。

ずーっとあとになって、大人買いってわけでもないけど、中村紘子のCDを買った。
スッキリした演奏だと思った。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番は、ずっと大好きな曲だったけれど、10年も経ってようやく全曲聴いたら、イントロほどの感動はなかった。
それでもまだ大好きだと思っているのは、あの頃の気持ちの断片と一緒に聴いているから。

そういう曲は結構ある。

「ベティ」というコロンビアのドラマが好きで、よく見ていた。原題は「私はベティ、醜い女」という。邦題は「ベティ ~愛と裏切りの秘書室~」だった。
アメリカでリメイクされて、それが人気だったが、わたしはもともとのコロンビアのドラマが好きである。

「ベティ」は日本語吹き替え版で放送されていて、ラストにほんの数十秒ほど吹き替えの声の出演が紹介される。オープニングとは違う曲がその間だけ流れる。
この曲が大好きだった。なんだか元気になれるような、そしてロマンチックな響きも感じられた。

でもすぐに終わってしまう。
何年も後になってから、思いついてYouTubeで探してみた。実に苦労したが、やっと見つけることができた。オープニングを歌っている歌手の曲を片端から聴いて特定したのだ。

ついに頭から終わりまで全曲聴くことができた歌だったが――あまり感動しなかった。
いいところを数十秒だけ聴いていたときのほうが、想像もかきたてられたせいか、いい曲だなぁと思い焦がれた。

ドラマでは、「CSI:NY」に使われている「Baba O'Riley」もそうだ。
「CSI:NY」は、アメリカのヒットドラマ「CSI」のスピンオフ番組。ほかに「CSIマイアミ」もある。
わたしはこの「CSI:NY」が好きで欠かさず見ていた。

テーマソングとして使われているザ・フーというバンドの「Baba O'Riley」という曲も大好きだった。
ついにCDを見つけて買った。もちろんこの曲が入っている。

いよいよ全曲を聴いてみると――なんか違った。

ドラマのオープニングはせいぜい1分2分。
その長さに合わせて編集されていたほうが、冗長さがなくてよかった。

ふと聴いた一片のメロディが、やけに心を捉えることがある。
勢い込んで全曲聴いてみると、なぜか一片だけのときの感動が薄れてしまうことがある。

不思議なものだ。


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カフェ

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お気に入りの喫茶店「ウツギ」に久しぶりに行った。本当に久しぶりで、8ヶ月ぶりだった。

電車でいくつか先の駅なので、それほど日常感がなく、でも遠くない。
近場で少しスペシャルな気分に浸りたいとき、便利な喫茶店。

前回ずいぶんあいて行ってみたら、なんとびっくり!!!

にぎやかな商店街の通りからはちょっと入ったところなのに、すぐ近く――隣っていうくらい近くに別の喫茶店ができていた。

それも2つも!
(正確には1つは喫茶店で、1つはコーヒー豆店に飲めるスペースがついているもの)

1店は4ヶ月くらい前にオープンしたらしい。「アイビー」
店の前に置かれていたチラシをもらってみた。
やる気を感じた。掲げているコンセプトが伝わってくるような。

Twitterがあって、店の情報を見ると、金・土定休だった。
しかしチラシには日曜定休となっている。
さらに地域の有名ブロガーが書いていたところでは、火・土定休。
オープンからまだ日が浅く、試行錯誤しているところなのかもしれない。

もう1店は、コーヒー豆専門店で、中で試飲的に飲めるという店。「バオバブ」
こちらも大変意欲を感じた。

長年考えてきたという最高の豆ブレンド。ついに完成したという。
どこかに場所を借りてコーヒー教室を開催するお知らせが、ネットに出ていた。
――しかし人数が集まらなかったため、申し込んだ人には申し訳ないが中止する旨の記事もあった。
さらに、パン屋さんとのコラボでイベントを企画していた。(その日は臨時休業になるというお知らせだった。)
仕入れの日は午前中はやっていないことがある。

とにかくこの日は目的の「ウツギ」に入った。
ずっとこの場所で営業している店だからもうみんな知っているだろうけれど、「ウツギ」は地下にあるので、路面店の「アイビー」や「バオバブ」のほうが目を惹く。

「ウツギ」は地下に降りる階段は広くないが、中に入ると広々している。
地下なだけに、「入るとそこは別の空間」という感覚を味わうことができる。
道行く人が見えるカフェもいいが、こうして外界から逃げて来られるカフェもいい。

常連さんのものなのか、よく作品展示をしている。
ちょっとした工芸品だとか、手芸品だとか。
店に溶け込む配置で、壁や本棚などにそっと飾られている。
作った人がどう思っているか分からないが、主張が強すぎない展示の仕方で、コーヒーのじゃまにならない。

この店はマスターとマダムが集めた本や雑誌が、ある壁一面全部に並べられている。
それを見るのもまた楽しい、という客も多い。

ゆーっくり置かれている雑誌や本を読む人もいるし、
カウンターに座ってマスターとずーっと話している人もいるし、
奥さまを相手に話している人もいるし、
グループでやってきて長ーく歓談している人もいるし、
ノートや資料を広げて何かしている人もいるし、

そういう喫茶店だ。

わたしは「喫茶店でゆっくり時間を過ごす」ことに憧れていたが、最近はあまりこだわらなくなった。
自分にほどよい時間いて、ほどよく雰囲気とコーヒーを味わったら、それでいいかな。

「ウツギ」に来る人たちの中では、早々帰るほうだと思う。

「ウツギ」はこれまで、書かれている営業日と時間内なら、いつ行っても閉まっていることはなかった。
コンセプトのこだわりや何らかの意欲があるお店は、それはそれで楽しみがある。
でも、常連以外は必ずチェックが必要かも、とほかの店を検索して思った。
頻繁に行く常連なら、「今度の何曜日はお休みだから」と教えてもらえそうだし、張り紙などがしてあって「ああ、この日は休むのか」と知るかもしれない。
せめて近くに住んでいたら、中に入らなくても通りすがりに、そういう掲示を見るかもしれない。

でもここにはそうは来ないからなぁ・・・・・・
そして行くときは、カフェも主目的のひとつ。
いつ行ってもちゃんと開いていて、いつも同じ笑顔で迎えてくれるお店はいいと思った。

年をとったのかもしれない。
10年前だったら、まだもっと新規なものやイベント性を求めたかもしれない。
オーナーがお店を閉めてどこかで教室を開催したり、コラボイベントをしたりするなら、自分も行きたいと思うかもしれないし。
それとも、自分がここに住んでいて、開いてなくてもそれほどダメージがないなら、今でもそういう新機軸が好きかもしれない。

とにかく「わたしにとってのこの場所」は、たまに行くところであり、安定性を求める。

コーヒーの味や、店内の雰囲気、並べられている本、花がいつもあちこちに飾られていること、常にクラシック音楽が流れていることなど、マスターやマダムのこだわりが感じられる「ウツギ」。
でもそのこだわりは、この「ウツギ」という空間のためのもので、外に向けて「自分」をどんどん発信していこうという感じではない。
だからわたしは安心して訪れることができるのだという気がする。

たとえば「地域と共に絡み合っていきたい」という意味で「アイビー」という名前を付けていても――そういう名前をつけて、そういうコンセプトを考えて、メニューなんかもそれに合うものを模索中で――まだ頑張っている途上だから、やっぱりそれは、発信なのだ。

「ウツギ」もそういう時代もあったのかもしれないが、マスターもマダムもたぶん、それ相当な年。今は安定して、円熟した喫茶店だ。

なるほど、自分もそういうのが落ち着くようになったんだわ、と気づいた。

また行こう。
ごちそうさまでした。


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春の終わりに

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ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」の春の章の終わりは、次のような断章でしめくくられている。

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        二十五
  今日も好きな小道を歩きながら、その道が「さんざし」の散った花で一面におおわれているのをみた。クリームがかった白い色をみせ、朽ちながらも馥郁たる香を放ちながら、この5月の花は一面に散りしいていた。春もすでにすぎたことをそれは物語っていた。
  春を私は充分に楽しんだであろうか。私に自由がもたらされた日以来、4度も新春を迎えた。そしてスミレが散りバラが咲く頃になると、この天の賜物をせっかく身近にありながら、充分味わうことがなかったのではないか、といつも不安に思うのだ。牧場に行けば行けたのに、多くの時間を読書に費やしてしまったりした。えられた効果は結局同じであったかどうか。半信半疑で、私はわが心の言い訳に耳を傾けるのである。
  私は喜びの瞬間の数々を思いだす。開いた一つ一つの花を見つけたり、一夜にして緑におおわれて芽ぐむ枝をみて驚いたりした。あの喜びの瞬間を思いだす。「りんぼく」の枝に初めて雪のように白い花が輝くように咲いたのも私は見逃さなかった。見なれた土手の近くで、早咲きの桜草を私はいつも注意した。その叢(くさむら)の中でアネモネも見つけたものだ。「きんぽうげ」で黄金色に輝く牧場、「りゅうきんか」で照り輝く窪地など、長い間私の目をとらえて離さなかった。「ねこやなぎ」が銀色の柔毛(にこげ)をもった玉で照りかがやき、金粉できらきら光るのも私はみた。こんな平凡な光景も、見るたびごとにいっそうつのる驚異の念をもって私の心はうたれるのである。これらも再び去っていった。いよいよ夏かと思うと、不安の念は喜びの念とまざりあってわが心に生じてくる。
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途中「私に自由がもたらされた日以来」という言葉がある。

当時のイギリスは、現代よりも階級制がしっかりしていた。
財産というのは代々受け継がれるもので、中産階級などもなんとか家禄を維持しよう、(あわよくば結婚などによって増やそう)、と必死になる様子はさまざまな小説にも描かれている。
そういったものがない場合、仕事の収入だけではかつかつだ。その日暮らしのような生活から抜け出せない。
さらに下の労働階級、貧民のような人たちとは違うが、悠々自適というのはかなわぬ夢で、あくせく仕事をしていた。

ところがある日、突然親戚が亡くなって、遺産がどうしたはずみかギッシングに転がり込んできた。
大きな遺産ではなかったが、何の心配もなく暮らしていける家が手に入った。
近所の女性を家政婦に雇って、家事をしてもらうくらいの年収がもたらされた。
本当にゆとりのある暮らしぶりの人々とは違うが、そのささやかな財産でもギッシングには大変ありがたかった。
これであくせく働かなくても、好きなものを書けばいいのである。

それからは田舎のその家で心静かに暮らしたという。

そういう僥倖に恵まれていないわたしは、心静かに暮らすわけにはいかず、あくせく働かなければならないが、少しでも春が楽しめれば「今年はラッキーだ」と思いたい。

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誰にも言えない

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ドラマを見ていて、主人公がその回のラストでつくづく疲れた顔で友人にこぼす。

「私は無事。子供を盗まれても、刺されてもいない」

仲間の一人が腹を切り裂かれて子供を奪われたのだ。なんとか命も助かって、子供も取り戻せて、今はひどいPTSDに悩まされている。
この日は、やってきた患者の家族が、刺されたり脳挫傷になったりでひどいことになっていた。(なんと、特異な腫瘍があって、そのためにアドレナリンが過剰になり、子供のADHDが度を超してしまって父母を傷つけていた、というオチ。)

そういうのに比べて、「お互いに惹かれあっているけど既婚者だから諦めた」というのは小さなことだ。

主人公は言う。「でも傷ついてる」

「心はボロボロ。でも文句は言えない。私には何も起こらなかったんだから。
あの家族やヴァイオレットとは違う。
時々、彼らに嫉妬しちゃうの。
見える傷なら、皆につらさを分かってもらえる。
ノアと別れたのは正しかった。でも心はボロボロなの」

なんだかとても共感した。
このドラマ、前のシーズンはどうもついていけないところがあったが、このシーズンは1話目、2話目と共感する。

そう、なかなかね。言えない。
そういう状況はある。

でも、もっと大変な人たちより大変じゃないからといって、つらくないわけじゃない。
言えない分、なおさらつらく感じる。

そういうことはある――


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言い訳

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なにしろ調子は悪かった。
体ももちろんガタが来始める年齢ではあるが、何よりメンタルが不調だった。

それはホルモンバランスの乱れや、女性ホルモンの減少が原因のひとつだと思っている。
心配ごとや、不安なことは人並みに出てくるわけで、若い頃の自分に関する悩みではないから、対処といっても難しい。
で、そこにホルモン関係の不調が影響するので、不安が増幅される。前向きな気持ちは乏しくなる。

なんでホルモンを疑うかというと、女性なら分かるのだ。それを如実に現す現象が、定期的にやってくるからだ。

しかし、誰しもいろいろな事情を抱えているもので、言っても仕方ない。
毎日を普通にやり過ごしていたが、余裕はなくなった。

人の話をゆっくり聞けなくなった。
別にアドバイスが欲しいわけではなく、ただ話を聞いてほしいときというのがある。そういうときに電話をしてきて、「今、こうするかああするか悩んでいるんだけど、こうするのってあなた経験あったわよね、どう思う?」「この間のあれ、結局こうすることにしたんだけど、そうしたらこうだったのよ。どうしたらいいかしら?」と相談する知人の話が、聞きにくくなった。
もちろん、まさか聞かないこともできないのだが、親身な気持ちになれない。

相談といっても、わたしの意見が欲しいわけではない。ただ話したいのだと思う。わたしが何か言っても、「じゃあ、そうするわ」というわけではない。しかし、どうせ意見は要らないのだろうと聞く一方にしていると、「どう思う?」と明言を求められる。
何か言われて、その意見を採用しようか迷ったり、それはできないと反論したり、その過程を全部話し合うことで、自分の考えが決まることがある。決まらなくてもスッキリはする。
――そういうことなんだろうなぁ、と思っても、許容する余裕が自分になくなっていた。

たとえば大変な時期があったとしても、今は順風満帆な時期で、いつも幸せいっぱい、未来いっぱいの話をする人につきあう余裕もない。
逆にいい時期が続いていたけど、今は苦しい時期で、相談ごともメールで返事をしても必ず電話がかかってきて、長話になる――それにつきあう余裕もない。

やれやれ、本当に自分は今、いっぱいいっぱいなのだと思った。

そういうとき、「今ちょっと自分もいっぱいいっぱいで」と言い訳しても、「何言ってるの!」という反論で終わってしまう。

「まだ若いわよ」「まだ頑張らないと」「それはあと20年経ったら言ってもいいですよ」「私も大変よ」「私なんかもそういうことはよくあるわよ」「私なんて、こうだしね」

だから言わないほうがいいけれど、良い言い訳を思いついた。
「たぶん、ホルモンバランスが乱れているんだと思うんですよ」と、不可抗力のせいにすることだ。

自分の苦しい状況の説明をしても、人生経験豊かになった世代の人たちには同情されない。「何言ってるの、私だってこんなことがあったわよ」「まだ若いじゃないの」
どうしても気持ちを上向きにすることができないんです、なんて言ったら叱咤と励まし。「まだ若いんだから。もう若くはないけど、でもそんな気持ちになるにはまだ早いわよ」

でも「うちの家系はみんな更年期が早くて――たぶん、ホルモンのバランスが乱れているんだと思うんですよ。自分ではどうにも浮上できないんです。病院に行って、ホルモン量とか調べてもらおうと思って」

すみませんがあまりお誘いいただいてもなんだか行く気になれないんですよ、とか、あまり熱心に聞いてないように思われてかもしれないけど、というような断りを入れるとき、理由を『更年期』にすると、スムーズだと悟った。
しかし『更年期』と言ってしまうと、「まだ早い」と言われてしまうので、「母も早かったし、少しずつそっちに向かっていて、ホルモンバランスが乱れ始めているのだと思う」くらいに言っておくと、受け入れられやすかった。
最後に「病院に行こうかと思っている」と付け加えると、それはもう不可抗力なので、「頑張りなさい」と強制されなくなる。

たいていは言わないけど、言う必要があるときは、これで乗り切ることを覚えてから、だいぶ楽になった――

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休息

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人の話がつらいときがある。

ある人は言った。「この報告書、代わってもらってもいいですか」
妊娠や妊活、出産についての報告書で、不妊治療に苦しんでいる彼女にはつらくて耐えがたいというのだった。
――付け加えておくと、彼女はその後、治療が功を奏して2人のお子さんを持った。

また別の人は言った。「今でも誰かが息子の話をしているのを聞くのは痛いんですよ」
まだ20歳を1,2年過ぎたばかりの若い息子さんを、突然亡くした人なのだ。

そういうように、わたしにとってつらい話というのがあった。
その人にとっては幸せなこと。でもわたしには、自分の心をかきみだされること。

しばらく距離をおきたいと思っても、離れられない事情があった。
無理をすれば離れられたかもしれないけれど、直接関係ないことまで犠牲にして距離をおかなければならないというのは、悩ましいところだ。なぜそこまでして? と思ってしまう。

でもある日、方策を見つけて、多少離れることに成功した。
それはほんのしばらくのことだけれど、でもわたしにとっては大切な心の休息になると思った。

1日目。心が本当に軽かった。
他愛ない話を聞いていただけだったのに、それがどんなに負担だったか、今さらながら感じた。

その日の夜、たまたまドラマを見た。
好きなドラマの新シーズンが始まって、録画している途中だったが、たまたまそこだけ見てしまった。
なんと、ラストにはチームのメンバーが、不本意な異動になって去ってしまうのだった。
驚いて最後まで見てしまった。ちゃんと最初から見るために適当に消そうと思っていたのに。

異動するメンバーのナレーションが流れる。
「すべてはレッスンです。嫌なことでも受け入れなければ。知りたくないことも学ばなければ」

わたしはその日、解放感を味わっていたので、素直に聞くことができた。
そうだな、と思った。

でも、もう少し後でもいいよね。
しばらくは距離をおいて、心を修復する時間をもらってもいいよね。
きっと自分を抑えて、人の幸せに、ふりだけでも喜べる日がくるから。
――今もそうしてるけど、きっともっと楽に、ふりができる日がくるから。

そしてテレビを消した。

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どうしたらいい?

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気持ちが塞いでどうしても晴れなかった。
未来に何の希望もないように感じた。救いがないように思えた。

――詳細は省くとして、そのことでわたしはとても空しい気持ちになっていた。

自分でもわかっていた。きっとこれは、早すぎる思いなのだろう、ということ。
子育てに夢中になっていれば気づかずに過ぎてしまって、子供が巣立った後になって初めて感じる老いと、老いから来る空しさのようなもの。
子育てをしていないために、夢中になって忘れている時期がなくて、一足飛びに老け込んだ精神状態になってしまったのである。
それを払しょくしてくれる子供も甥・姪もいないし、やがて孫が増えていく望みもない。

というわけで、空しさにとらわれて抜け出せずにいる。
こんなことをいちいち人にこぼすことはないが、時折、説明のために軽く伝えることはある。
たとえば何かを断るとき。永続的に続きそうな誘いのときだけだ。単発的なものは、浮世の義理でなんとかして出るのだから。
たとえばそれが体に出て、人が心配してくれたとき。わたしはよく精神的な疲れが目と喉に出ることがある。

わたしより年上の人は必ず言う。
「まだ早いわよ」「それは60を過ぎた人が言うことよ」

・・・・・・それは自分でもわかっているんですよ。

だからって、どうしたらいいんでしょう?
「元気だそうっと」と言って元気が出るなら、何も苦労は要らないのであって、もがけばもがくほど、焦りでよりがんじがらめになっていく。

そういうわけで、今はとにかく、鬱々とした気分になったらなるべく振り払うようにして、見ないふりをして、ただじっとしてるしかないんですよ。
ただもう過ぎ去ってくれることを祈って、静かにしてるしかないんです。

わたしを鬱々とさせるものからできるだけ遠ざかって。
浮かんでくる思いは、無駄に否定したり努力したりするのではなく、できるだけ見ないふりで。

でも遠ざかりたくても避けられないものもある。だって浮世には義理があるから。
見ないふりをしようとしても、何度でもしつこくつきまとう思いもある。そんな簡単には振り払えないから。

だから――どうにもしようがないんですよ。
どうしたらいいっていうんです・・・・・・

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すれちがいの会話

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私は2つの職場をかけもちしているので、どちらにも属していて、そしてどちらでもちょっと外側の人間である。
2つの職場には、やりがい的にも給料的にも差があり、わたしの中でランキングが上のほうはA、サブ的なほうはBと呼んでいる。

久しぶりに朝から行ったB。ランチに出るのが遅くなってしまった。
会社を出たところで、かつて同じチームにいたことがあり、同じ年だが相手は一応社員という人とばったり顔を合わせた。
「これからですか?」「よかったら、一緒に行きます?」

前日までAで怒涛の2週間を過ごし、今年度の山場はこれで終わり、あとは小さな仕事ばかりという日だった。
わたしはもう今年度が終わったような気持ちになっていて、そしてBなどどうでもよかった。
Bについては、もうだいぶ前から入れ込まないようにしていた。ましてその日は、自分がBにいるのが信じられないくらい、A気分から抜け切れていなかった。

最近発見したという穴場のパスタ屋に連れていってもらい、カウンターに並んで座る。

「最近どうですか?」
「最近は――」わたしは簡単に、昨日までAにいて、自分にとってはその仕事でいっぱいだったこと、終わったので今年が終わったような気がしていることを話した。

年が同じなので、同じような悩みを持っていることもある。
こういうふうに感じて気持ちが沈んでどうしても浮上できなかった、そんなとき毎週ハードなハイキングに行っていたら少し明るい心持ちに戻れた、という話もした。

以前ランニングをしていると聞いたことがあって、そのことを尋ねたら、今もしているという。
今度、海沿いを走るマラソン大会に参加することになったそうだ。
マラソンといっても、最近はハーフやクォーターなどの走りやすい部門が用意されていることが多い。
最近はワンマイルなど、さまざまな部門があるらしい。
そういうことだから、それほどの距離ではなく、海のそばを走ることを楽しみにしていると言っていた。

それから、その人は言った。「最近、どう?」
そして言い直した。「**さんと**さんは、うまくいってる?」

あ、そこですか!

わたしが属しているチームの社員の話だ。
どんな人にもいろんな評判や噂があるものだ。そういうのがこの2人にもある。

当然ながら、ランチ相手の一番の関心は職場(B)のことであり、あの人たちはうまくやっているのかしら、と気になっているわけだ。
うまくやっていなければ、それはそれで楽しい話のタネだ。

ああ、そういうことか。その話を一番にしたかったのか。

ごめんなさい、わたし、本当に今、どうでもいいです、Bのことは。
Bの経営が厳しくなって、派遣だのなんだのバサバサ切ることになったとしても、それならそれでいいかなと思うくらいなのだ。
(もちろん、給料のことがあるから、実際にそうなったら困るのだが。)

Aでの仕事や、そのほかのことでいっぱいになっている自分の思いが、ふいに空気が抜けるように思われた。

こういうことは、AとBとそこそこ入り込みながらかけもちしていると、よくある。
そのたびに乖離を感じて、少しずつ心が離れていく。

――また、離そうとするようになる。

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次回はイベントと共に

何年ぶりかで、友人に会った。
わたしより4~5歳年上だったはず。もしかしたら3~4歳だったかもしれない。
人生としてはほんの少し先を行く人だった。でも子供がいるその人と、わたしでは家事や雑事が同じというわけではなかったし、配偶者の年齢も違うので家庭のあり方も違った。

自分とは違う人生を歩んでいる人というイメージで、「わかるぅ~」「そうそう~」というふうではなかったが、久々に会ってみると自分と同じ悩みを持って、少し先を進んでいると判明した。
つまり、親の介護のこと。これは夫婦合わせれば4人いるわけで、先に逝っている誰かがいても、残っている誰かもいる確率が高い。

わたしが感じている不安を、その人は数年前に感じていて、そして今は現実のこととなっていた。

そうなんだぁ~、へぇ~、そうだよねぇ~・・・・・・と話は盛り上がったものの、2時間3時間とゆっくりランチをしていると、だんだんネタが尽きてきた。

そりゃそうだ。いくら「わかるぅ~」という話だって、他人にことこまかに話すわけじゃなし、こちらだって聞くのもはばかられるし、何時間も話せるものじゃない。
「今どんな仕事をしているんですか」「これこれこうでね」
「あの頃の人たちと、今でも連絡をとる?」「あまりとらないかなぁ」
なんて、話は展開していくけど、やがてやっぱり尽きてきた。

いったん終わった話にまた戻ってみたり――

このときわたしは悟った。
「近いうちに会いましょう」という話になったとき、「どこに行く?」と言われたのは正しかったということ。

わたしはランチでいいと思っていた。
そのほうがゆっくり話せるし! などと考えていた。

でも相手は「どこどこに新コンセプトカフェができたんですって。足湯ができるらしいから行ってみない?」「フルーツ狩りに行こうか」といろいろ提案してくれた。
結局、時間的に難しいとランチになったのだけれど、何かイベントをしながらのほうが話のタネがあるからいいとわかった。

母親世代が友達と出かけるとき、旅行に行こうとか、日帰りバス旅行をしようとか、イベントごとが多いことが、今さらながら納得できた。
ランチに行くときも、「今度はあの店に行ってみよう」「評判らしいのよ」といろいろな店に行く。たぶん、店や料理について話せるからいいのだろう。「いいわね」「よくないわね」「前回のどこどこのほうがこうだわね」
ランチといっても、ファーストフードやファミレスのような、話のタネにならないところはだめなのだ。

いくら喋っても話が尽きないのは、若いときだけ。
人生を長く生きてるのだから、そりゃ喋ろうと思えばいくらでも喋れるけど、聞いてるほうもたまったものじゃないから、じっくり向かい合ってランチをするより、他の話に移れるきっかけがあったほうがいいのだ。
バスや電車に乗っていて、じっくり話されて聞き役をしていても、1時間2時間すれば目的地に着いたりする。「あら、着いたわ」
ランチなら、次の料理が来る。「あら、これは綺麗な盛り付けねぇ」
そこで話をいったん切って、仕切りなおすことができる。

とにかく、「なるほど」と思った日だった。
次回は何かイベントと共に会うようにしよう――


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