夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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I先生

 先生、先日はお忙しい中、お時間を割いていただき、ありがとうございました。とても楽しくお話しして、自分もとても落ち着きました。
 話しているうちに「ああ、こういうことだったのか」という発見もあり、自分がもう少し大人になるよう求められている時期なのかもしれない、と思うと、少し気が楽になりました。人生のそういうステップなんですね。
 自分ではどうにもならないことがあれこれ起きて、体の疲れもたまっていましたが、聞いていただくことで少しすっきりしました。先生には何でも話せてしまって、不思議です。「こんなこと人に話すことじゃないし」と思って言う相手がいなかったことまで全部聞いていただいて、ありがとうございました。
 I先生とは、まるで友達みたいに同じ空気を感じることがあって、同じ系列の仕事をしているということがなくても、会いに行きたいと思うのです。でも仕事もレベルが違いすぎますから、全然「同じ」じゃないですけど。
 幸せのハーブティー、ありがとうございました。フルーツがいっぱいで、ほのかな甘さがしみでて、本当に飲んでいるとゆったり幸せな気持ちになりますね。先生のおっしゃるとおり、特別なハーブティーです。
 わたしも常備しておきたいと思いましたが、売っているところが遠くて(笑) そういう幸せアイテムを探してみようと思いました。
 そのときどきでわたしにもありますが、そういえば今は思いつかないかも。以前好きだったものも、もう一度思い出してみようと思います。
 また次に伺うときまで、どうかお体を大切に、お元気でいらしてください。

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N.T.さま

 お返事をいただきながら、こんなに遅くなってしまって申し訳ありません。
 N.T.さんの手紙を読んでいて、自分は今までのんびり適当に生活してきたのだなぁ、と思いました。
 考えてみれば、ある程度の年齢になれば、誰でも何かしら抱えているものですよね。自分が病気だったり、家族が病気だったり、病気以外の悩みがあったり、そしてそれらが結構深刻なものだったりすることも少なくなくて――。
 みんな、何かしら抱えて、でも人には見せずに普通の顔で生きているんですよね。
 わたしはここにきて、急にいろんなことがあった気がして、動転して取り乱してしまっていましたが、表に出さないだけで多くの人が何かを背負っていたり抱えていたりするのだなぁ、と実感させられました。
 N.T.さんが気づかせてくださったことに感謝しなくてはいけませんね。考えれば分かったはずだし、自分に何かコトが起こるまでは知っていたはずなのに、いざとなると目の前のことしか見えなくなるんですね。
 これからは口に出しませんってことではないんですけど(笑)、きっとまたN.T.さんにも甘えちゃうと思うんですけど、大切なことを気づかせてくださって、ありがとうございました。
 N.T.さん、たくさん抱えていらっしゃるから、どうか体にだけは気をつけてくださいね。
 またお手紙します。

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言葉の変遷

ジェイン・オースティンの「ノーサンガー・アビー」という小説を読んでいて、知的な青年がヒロインをからかう場面に出会った。

このヒロインはわざとヒロインらしからぬ造形をされていて、特別なところなどない普通の女性なのだ。
当時の小説では、できすぎた人格および品格のヒロインが、過酷な運命に翻弄されつつも気高く乗り切ってゆく姿が描かれることが多かったので、わざと平凡な女性らしく造られている。
わたしにも覚えがある若いばかばかしい友情ごっこを堪能し、勉強嫌いだったため知的レベルは平凡だし、恋愛も平凡。

ずいぶん前に、若い女性が何にでも「カワイイ!」という形容詞を使うことが指摘されていたことがあった。
その前だか後だか忘れたが、何にでも「超」をつけることが指摘されていたこともあった。
今は若者言葉とは当時よりさらに無縁になってしまったので、どういう言葉が流行っているのか分からないが、「最近は言葉が乱れている」と言われることがまったくないわけはないと思う。

「ノーサンガー・アビー」は十八世紀末のイギリスで書かれた小説だが、同じような場面を発見したのだ。
当時は詩を読むのは高級だと思われていて、小説を読むのは低級だと思われていた。
ヘンリーが「自分も小説を読むし、楽しむ」と言ったので、ヒロインのキャサリンは言う。

「それを聞いてほんとにうれしいわ。もうこれからは、『ユードルフォの謎』が大好きだということを恥ずかしいと思ったりしません。でもほんとに私、若い男性は小説をすっごくアメイジングリー軽蔑していると思ったんです」
「ほう、それはほんとに驚きですね。若い男性がほんとに小説を軽蔑しているとしたら、ほんとにすっごく驚きです」

(ヘンリーは、若い女性がamazingly「驚くほど」という言葉を強調語として多用する風潮をからかっている)という訳注があった。
さらに会話は続き、キャサリンは言う。

「でもほんとに、『ユードルフォの謎』は世界一すてきナイスな本だと思いませんか?」
「すてきな本? それはきちんとした本という意味ですか? 本がきちんとしているかどうかは、製本しだいですね」

(ヘンリーは、nice「きちょうめんな」「好みがやかましい」という言葉が、「すてきな」という意味で多用される風潮をからかっている)という訳注があった。
「nice」という単語は、もうわたしにとっては「すてきな」という意味しかない。
昔はそのような意味があったとは驚いた。

「お兄さま、そういう言い方は失礼よ」とミス・ティルニーが言った。「ミス・モーランド、兄はあなたを妹と同じに扱っているんです。兄は、いつも私の言葉づかいのあら捜しをしてからかうの。それであなたにも失礼なことを言ったんです。兄は、あなたの(すてきなナイス)という言葉の使い方が気に入らないの。すぐに言い替えたほうがいいわ。そうしないと、帰るまでずっと、ジョンソン博士(「英語辞典」1755年)とヒュー・ブレア(「修辞学論」1783年)に悩まされるわ」
「私は間違ったことを言うつもりはなかったんです」とキャサリンは言った。「でも、あれはほんとにすてきな本です。なぜそう言ってはいけないんですか?」
「いや、おっしゃるとおりです」とヘンリーが言った。「今日はとてもすてきな日で、ぼくたちはとてもすてきな散歩をしていて、あなたたちふたりはとてもすてきなお嬢さまです。いや、ほんとにすてきな言葉だ! 何にでも使える。でももともとは、(きちんとした)(適切な)(繊細な)(洗練された)という意味で使われていたのだと思う。たとえば、服装がきちんとしているとか、意見や好みが適切である、というぐあいにね。ところが最近は、何でもかんでもその言葉で褒めるようになってしまった」

これを見ていると、言葉は流行でいつのまにか変わって行くものなのだとつくづく思わされる。
今はおかしいと思っていることも、やがてそれが正しい使い方になっていく。

何年も前に使われていた流行語や、間違った使い方が、だんだんと市民権を得ているのを目にすることはある。
自分は抵抗があってやはり使えないけれど、当時若者だった使用者たちも大人になり家庭を持っている。
「今どきの若い者は!」と言う立場になった人たちが、誤用をそのまま使い続けている。

でもそうして言語というものが変遷していくものなら、一個人がとやかく言うものではないのかもしれないな、と思う。

一方で、識者は正す努力をすべきで、わたしたちは正しく使う努力をすべきで、少しずつ変化するのはいたしかたないとしても、無法に使うことはできるだけ避けなければならないのではないか、とも思う。

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「お互い考える年なんだね」

            2010.09.23
F.N.さま

「お互いいろいろ考える年なんだね」というふうな話をした前回のお手紙とそのお返事でしたが、
わたしもやっぱりあれこれ書こうと思ったり止めたりで、日が過ぎました。
今日は気楽に、最近観ている番組のことを書くつもりです。

『HEROES』はファイナルシーズン。
Season1.2.3と観てきたので、評判はどうあれ最後まで見るつもりです。

人気ドラマ『フレンズ』に出ていたコートニー・コックスの『クーガータウン』。
40代の肉食系女をクーガーと言うのだそうです。
若い男の子も、熟練のお色気で喰っちゃいます。
とにかく「40代」「女性」というキーワードが出ていたら、見ちゃいますよ、そりゃ。
そう思って見始めて、今ひとつ面白さはピンと来ていないけど、
やっぱり毎週見てしまっています。

ボツワナを舞台にした『No.1レディース探偵社』。
すごく太っているけど笑顔がチャーミングなヒロインは、いつもカラフルなアフリカらしいワンピースを着ています。
秘書学校では97%の正解率だったことを誇る細身のミス・マクチは、いい味を出してます。
原作があるんですね。本も読んでみたい気がします。
アメリカの『CSI』などとは全然違う、ゆるい捜査。
アメリカの刑事ものや法廷ものではあり得ない、ザルの法律、やりたい放題の人々、ぬるい解決。
それはとても新鮮です。
これをアメリカを舞台にやってしまったら、嘘っぽくて見られない展開だと思いますが、
ボツワナの風景の中ではあってもいい気がしてきちゃう。
ドラマを見るとゆっくりしたテンポに慣れて、なんとなくゆったりした気分になるので、
リラックスにいいドラマかもしれません。

映画『バグダッド・カフェ』をスカパーで見たら、主要キャラを演じている黒人女性が
何度もアメリカドラマで見ていた顔だと気付いて驚きました。
『シールド』というドラマでは黒人女性警官をやっていて、
この役は最後には署長になっていました。――ガンで死にかけの署長だったけど。
『ダナ&ルー リッテンハウスクリニック』では死刑囚の母親、
一回だけの出番でハンガーストライキをしている役でした。
『ザ・プラクティス』でも誰かの母親役。
一回かそのくらいの出番で、病室でつきそっていました。
それがこんなにイライラして怒鳴り散らしている場末の黒人女性をやっているので、
芸達者な役者さんなんだなぁ、と感心しました。

2006年の映画『マルタのやさしい刺繍』が、ついにスカパーで放送されて嬉しかったです。
まあまあだったかな――でもこういう映画はいくつ見てもいいですね。
わたしの好みです。

さて、便せんと封筒セットの規定の3枚が埋まったからここまでにします。
数を合わせると1回当たりの便せん枚数は3枚になるの。

またそのうち話したいことがたまったら書きますね。

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お大事に――

            2010.09.23
N.T.さま

Nさん、ご無沙汰してしまいました。
暑中見舞いをいただきながら、すっかり遅い返信となってしまい、申し訳ありません。

お葉書では少しずつ体調が戻っていらっしゃったというお話でしたので、
とても嬉しい思いで読みました。
でも今年は本当に暑い日ばかり続いた記録的な猛暑でしたから、
その後いかがお過ごしかと心配な気持ちでした。

今日を境にようやく秋になるということですが、
お元気でお過ごしでしょうか。

わたしも最近、テレビはほとんど見ていません。
たぶん週に1時間も見ていないと思います。なので、人の話になかなかついていけません。
今話題になっていることも知らないし、どんな番組があるかも知らないからです。
でも、下っ端仕事をかけもちしている2つの職場とも、もう長くなってきましたので、
「この人は話が通じない」ということが定着しました。
テレビのことは話しかけられなくなりました。

新聞を再開なさったのですね!
Nさんといえば新聞でしたから、なんだか嬉しいです。
いつも前向きに情報収集なさるNさんですから、
世間のこともわたしよりずっとお詳しいと思います。

わたしは今年は40代に入り、お若い方の台頭や成長を見るにつけ、
年をとったと感じております。
50代になるまでに、Nさんのような明るさをもっと身につけたいものです。

どうぞお大事になさってくださいね。

好きで書いていますので、お返事なんてお気になさらず、読み流してください。

                       Yuki

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残暑

Xさま

ああ、ようやく9月になったなぁ、とホッとします。
まだまだ暑いですが、9月になれば「もう秋が来る」と思うので、安心できます。
わたしにとって夏は、じっと身を潜めている気分です。

去年は自分がすごく汗をかいていた気がします。
「年をとると汗をすごくかく」とよく聞くので、これは体がおばさんになっていることかと思いました。
たまたま去年は猛暑だったので、自分の体の変化なのか、それとも例年にない暑さのせいなのか、判別できませんでした。

でも――どっちもあったのだと思います。

例年にない猛暑だったから、汗だってそりゃいつもよりも出ていたのも事実だと思うし・・・・・・
自分が年をとったことも事実だと思うからです。

年はとっていきますね。

わたしは年をとっていくということを、あまり何回も言い過ぎるような気がします。
でも言わずにはいられないのです。
つい言ってしまいます。

周りの方が聞いていて気持ちのいいものではないかもしれませんし、返答にも困るでしょうから、気をつけなければと思っています。
――でも、つい言ってしまうのだろうな。

今日は、ここまででやめておきます。
どんどん愚痴っぽくなってしまいそうだから。

やっと9月になったとはいえ、まだまだ残暑の季節ですから、お体には気をつけて。

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写真とバレエ

O.M.さま

お友達の写真展のご案内をありがとうございました。
ご連絡が遅くなりましたけど、会期中に見てまいりました。

バレエのように動いているものの一瞬を、あんなふうにくっきりとカメラに収めるのは、
どうやっているのだろう、と本当に不思議な気持ちがします。
さすがにお仕事にまでしようという方はすごいですね。

動いている舞台をその場で見たり、映像になった舞台を画面で見たりするのとはまた違い、
瞬間瞬間が切り取られているので興味深いです。
バレエを見ていたなら、オデットやメドーラの心情を感じながら見ていたり、
物語の起伏を楽しみながら見ていたりするものですが、
それが一枚の写真となると、観客のわたしたちもまた少し違った視点から見ることになりますね。

たとえばそこには、「なんて美しいポーズだろう」とか、
「こんなに脚が開くなんて、同じ人間とは思えない」とか、
「こんなふうに足を上げてバランスを取りながらも、表情豊かに表現していてすごいな」とか、
技術的なことに感心する感想が湧いてきます。

「どういう気持ちで踊っているんだろう」とか、
「この舞台のために毎日何時間も練習していて、大変なんだろうな」とか、
「ひとつのことに生活のすべてを捧げて、人生を賭けるってどういうふうなものだろう」とか、
ダンサー自身に対する興味が湧いてきます。

「こんなふうに騙されてオデットは可哀想に」とか
「海賊に連れ去られても、その海賊がいい人で恋人になって良かったね」とか、
バレエの物語に対して感じるのとは違うものを喚起させられますね。

そういう意味で、観客のいない舞台で180度に足を上げるロパートキナを後ろから写した写真は、
とても印象深いものでした。

他には、ドレスのような衣装がとても綺麗に写っている写真が好きでした。
わたしが好むヨーロッパの昔の絵画を見ているようで、
ドレスの襞や柄をくっきり写した様子がとても綺麗だったからです。

あの後、たまたまネットニュースで全然関係ない記事を見ていて、
(浦和のセレブマダムが可愛い犬を飼っている様子の紹介です)
ワンちゃんを抱いた写真の下に「撮影 ××××」と書いてあり、驚きました。
このように普通のお仕事もなさっているんですね。
当然のことですけど、なんだかバレリーナの写真とはかけ離れていて、
つい驚いてしまったんです。

素敵なお写真をたくさん見られてとてもよかったです。
お知らせくださって、ありがとうございました。

最近はバレエもあまり見ていませんので、
見たくなりました。

                  Yuki



数日後

O.M.さん
お返事ありがとうございました。

わたしが行ったのは平日の閉館30分前でしたが、何人もの人がやってきては、写真を見ていました。
ちょうど有楽町線の駅で仕事をしていたので、帰りに寄るのがとても都合が良かったのです。

お写真を撮った方、そんなにメジャーなバレエ団で20年も踊ってらした方なんですね。
華やかな舞台で踊るときの気持ちも、そのための地味だったり面倒だったりする苦労も、他のわたしには思いつくことさえできないいろいろなことも、実感としてご存知なのですね。

もちろん感想を撮った方にお伝えくださってかまいません。
プロでない者がどう感じたかとか、バレエをやったことがない者の感想とか、いろいろなことが気になりますよね、きっと。

わたしはO.M.さんみたいに舞台に立ったことはありませんが、やっぱりあの一人で立っている後ろ姿の写真には強い印象を受けました。
人によってなぜ惹かれたかの理由は違っても、それぞれの人生の場面に照らして――たとえそれがバレエと関係のないことであっても、共感したり尊敬したりするシーンなのだろうと思います。
そしてその心情がにじみでる瞬間を、すかさず写真に収められたのですね。

「踊り」という観点から見ると、やはり動いていたほうがいいです。
もちろんポーズの美しさ、情景の美しさを見せるには、停止した写真のほうが有効だとは思いますが。
でも動いていては伝わらないこともあるということを、あの一人で立っている後ろ姿の写真は感じさせてくれます。

あのような展示を見る機会を与えてくださって、ありがとうございました。

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クーティヤッタムの衝撃

T.A.さん

先日は民族音楽イベントのチラシをありがとうございました。
無料とありましたので、できれば行ってみたいと思っておりましたが、行くことができました。

いろいろな国のいろいろな踊りを見ることができて、とても興味深いイベントでした。
お友達が所属されているカタックの演技も見ましたが、お友達がどの方なのか、そもそも出演なさっているかどうかも分かりませんでした。

一番驚いたのは、プログラムの中にクーティヤッタムがあったことです。
「クーリヤッタム」と書いてありましたが、それが正しい読み方なのかもしれません。

わたしがインド舞踊のDVD 10枚セットを、(わたしにとっては)大金を投じて買ったのをご記憶かと思います。
その中には、日本でも教室が多いバラタナティヤムやオディッシー、お友達がなさっているカタックなどがありました。
このセットの一枚として初めてクーティヤッタムを知ったのですが、これはYouTubeで探しても、あまり見つけられませんでした。
それを日本人でやっている人がいたので、大変驚きました。

家に帰って調べたほどです。
だってその方は、たまたまワークショップも見たのですが、15年間何度もインドに通って勉強しているのだそうです。
普段は何をなさっているのだろう? と不思議にも思いました。
クーティヤッタムというのは、ダンスというより劇に近く、バレエで言うところのマイムが細かく決まっていて、それをつなげて手話劇のようなものを演じるものなのです。
日本人にはマイムの意味も分かりませんし、DVDで下に説明が出ていれば「なるほど」と思いますが、そうでなければ面白みも分かりません。
舞踊という感じは薄いので、意味が分からなくても見れば楽しい、というものではないのです。

調べてみましたら、作曲家のお父様が設立した音楽学校で講師をしていらっしゃるようでした。
ときどきクーティヤッタムを披露していますが、わたしが見たイベントのように小さなものが多く、予想はできましたが公演活動はあまりしていないようでした。

この方の演技は、とても良かったと思います。
体を厳しく統御しなければならないので、緊迫感に溢れていて、迫力がありました。
意味は分からなくても、会場が静まり返ってしまうオーラが出ていました。

わたしが見たDVDでは、もっと顔の表情が激しかったのですが、日本人のシンプルな造形では難しいかもしれません。

何しろ、クーティヤッタムを学んでいて、演じている人がいる、というだけで大変な衝撃でした。
日本人はどんなスポーツでも手を出している、やっていないスポーツはないくらいで、カバディ日本代表だっているんだ、などと言われますが、まったくです。
ダンスも同じです。
カタックでさえ、わたしはDVDセットを見て初めて知ったのに、日本でやっている方がいらっしゃるし、クーティヤッタムまで!

こんな機会を与えてくださって、本当にありがとうございました。
来年もまた開催されるなら行ってみたいと思いました。

                  Yuki

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最近読んだ本

F.Nちゃん、今日は本などについて。

今日読んでいるのは、「田園日記」。
図書館で偶然見つけた1800年代イギリスのメアリ・ラッセル・ミトフォードという人が書いたエッセイ集。
晴耕雨読で心静かに読むには適しています。
――と言っても、晴れた日に菜園を耕したりもしていないけれど。
来週からしばらくの間は仕事一色になるはずなので、今日のうちに読み終えておきたいと思っています。
今日は雨で物音が消されて静かなので、この本を読むにはうってつけでした。

あまり頭を使うものや、あまりはげしく感情を揺さぶられるような本は、年々苦手になっていきます。

でもドラマはよく見ます。アメリカドラマ。
これもまた中年のずうずうしさなのでしょうか、「人と話を合わせる」ということも、どうでもいいやと思うこの頃、地上波は見なくなりました。
もっぱらスカパーばかり。

アメリカドラマは視聴率命なので、見る者を飽きさせるということがありません。
「なんか話がちょっとダレてきたかなぁ」・・・・・・ふと気付くと、ついキョロキョロしたりして注意力が散漫になっていて、わたしがそう思った途端、画面では急展開。
次はどうなるんだろう、と思わされて、目が離せなくなります。
毎回見てきたドラマ、つまらないっていうほどではないけれど、なんとなく退屈が忍び寄ってきたかもしれない。でもここまで見てきたのだから、次回も見るだろう。
そう思っていると、その次回で、大どんでん返しの急転回。と思ったら、また転回。
やめられなくなります。

自由主義経済による商業ドラマの凄さを見せつけられますね。
実に見事ですが、麻薬です。
これに慣れてしまうと、日本ドラマは面白く思えなくて、ついていけません。
面白いと評判だったので見てみた、ドイツドラマ「GSG9」も、途中、多少の甘さやタルさを感じたり。
自分の感性が侵されそうな、危険なエクスタシーです。
あまり見すぎてはいけないのではないか、と思うこともあります。

そういうものとは反対に、本でいえばエッセイのような、なごんだり慰められたりするものも、心地よくて好きです。
イギリス人シェフ ジェイミー・オリヴァーの「裸のシェフ」「ジェイミーの家で・・・」などの、海外料理番組はよく見ます。
「ナイジェラの気軽にクッキング」とかね。
「ル・コルドン・ブルー」も見ました。基礎篇、応用篇。
自分では何一つ真似して作らないのに、料理番組は好き。

こうしてただのんびりと過ごすことが多くなり、出かけなくなりました。
激減したのは、舞台やコンサートに出かけること、美術館に行くこと。
もともと旅行はあまりしませんが、都内の名所にも出かけなくなりました。
これはまずいかな、と思うことがあっても、またしても中年の言い訳が出てきて、「まぁ、いいかぁ、好きなようにするのが一番」で終わりです。

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社会参加について

F.Nちゃん、こんにちは。

薔薇が咲いていますね。
今年はとても気になるキーワードだったので「国際バラとガーデニングショー」に行こうと思っていました。
そうして、その感想を手紙に書いたら、F.Nちゃんにその感想がてら手紙を送ろうと思っていました。
でも結局行かなかったので、ショーの話は何もありません。

わたしは子供を持ちそうにないし、子供を産める年齢をもう超えようとしているので、なんとなく「ちゃんと生きていない」感、「社会に参加していない」感を抱いています。
結婚もね、既婚者だと言っても、きちんとお嫁さんをしている人とは違うなぁ、と感じて、やはりひけめを感じています。
仕事にしても、ひとつの会社に骨をうずめるような働き方ができなかった、という劣等感のようなものがあって、社会で自分なりに居場所を築くことができない人間のように思えるときがあります。

その反面で、なんだか40代になってから、「どうでもいいや」という疲れたような心境になることも多いのです。
完全に放棄することはできないけれど、頑張る気持も萎えてしまったような。
ただ、仕事だけはかろうじてしがみついています。
収入がなくなっても、支えてくれる子も孫もいないので。

こんなふうに書くと、暗い話のようにも聞こえますが、そうでもないのです。
なげやりになるにも、「堂々と」なげやりになれる。
それが中年の逞しさなのかしら、と考えてもいるんです。

・・・・・・最近ようやく自分を「中年」と考えることにも慣れてきました。
外見の若さにこだわるほど美人でもなかったわたしなのに、やっぱりまったく虚栄を持たないなんてことはできないものなんですね。
「中年だから」という言い訳は万能で、いくらでも自堕落になりそうで危険な麻薬です。

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雨の日

5月休日 雨
O.Mさん、こんにちは

今日は久しぶりにお手紙にしました。
朝から雨が降っていて、とても静かです。
それでもこの静けさは、車の音が絶えず××通りから聞こえてくるので、完全な静寂ではありません。

新しい年代になって、この春はいかがお過ごしですか?
お変わりなく活動的な毎日だと想像はしているのですが。

以前、O.Mさんとお話したときに、髪のことを申しましたが、ご記憶でしょうか?
わたしがかつて誰彼なく「自分の髪は多くてまとまらない」と言っていたのとまったく同じセリフを、10歳若い人から聞いた話です。
10年前はわたしも同じように言っていて、誰かが「私も昔は多かったけど、年をとって最近は細くなっちゃって」などと言うと、「でもわたしの髪はホントに多いんです。いつもボワーッとなってしまって、本当にまとまらないんです」と言っていました。
10歳下の人に「わたしも昔はそうだったんだけど」などと言ってみても、「でも私の髪はホンットに多いんですよ」という答えが返ってくるばかり。
10年20年したら、あなたの髪も細くなるかもしれないわよ、と言っても無駄だろうな、と思って口をつぐみます。
こうして当時わたしの話を聞かされた年上の人も、口をつぐんでいたのかもしれません。

人は人生について年長者から何か言われても、自分がその立場にならないうちはなかなか実感できないものです。

最近わたしは、ずっと以前にO.Mさんがおっしゃっていたことを身近に感じております。
**駅の前で、夜、通勤帰りといった時刻に、偶然出会ったときのことです。
「最近はシンプルに、物を持たずに暮らしたいと考えている。本も買わずに図書館を利用するようになった」とおっしゃっていました。

そのときは、「わたし自身は、所有したい気持ちをどうしても抑えられない、やはり借りるのではなく買いたい」と思ったものでした。
ですが、ここのところ、少しずつそういう気持ちになってきました。
まるでO.Mさんの後を追うように。

今、これをお聞きになったら、わたしの若さ未熟さにまたお笑いになるかもしれませんね。
そしてわたしはまた10年20年後に、同じことを年下の人が言うのを聞いて、「自分も言ったなぁ」と笑うのかもしれません。

わたしは子供を持ちませんでしたので、子育てしている人より少し早く、人生のたそがれを感じているのかもしれません。
子育てをしている方は、まだ忙しい最中で、こんなことをのらくら考えている暇はないかもしれませんから。
でもどんな人も、遅かれ早かれ、似たようなところに到達するのかしら、と思ったりします。

先日、仕事で50代60代の方々の座談会の記録をとりました。
それぞれに山や谷を越えた皆さんは、活力と気力に溢れていらっしゃいました。
わたしもそういう日が来るのかしら、そこに到達できるのかしら・・・・・・と思わされました。

そうそう、O.Mさんに使っていただけたら嬉しいと思う小物を見つけましたので、同封します。

きっとお忙しい毎日と思いますが、お体お大切に。
年が終わる頃、この一年を振り返って報告しあえるといいですね。

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桜便り 3

ご無沙汰しております。
N先生のところでお世話になっていた、**です。
 (↑あまりご無沙汰してしまいましたので、ちょっと自己紹介しています)

今日は青空も見え、桜が満開で、とても春らしく美しい日でした。
特にお花見に行かなくても、あちこちに桜並木があるので充分楽しいです。
K.Eさんとお昼に行った川沿いの桜も、とてもきれいでしたよね。

K.Eさんは、最近はいかがお過ごしですか?

わたしは「こんなことがありました」という特別なこともなく、
当時(?)のまま、適当に働きながら暮らしています。

でも今年はついに40歳になってしまい、
自分は変わったつもりはなくても、
やはり周りが「40です」というと見る目が違う、と
つくづく感じることはあります。
体は確実に年をとっていて、
どんどん太って行くのを止めることができません。

ときどきこうしてお便りしたいです。
K.Eさんもお元気でお過ごしください。


追伸
そういえば・・・
先日、免許の更新をしました。
ずっと車に乗っていませんし、
私は片付けや掃除が苦手なので、
免許証がどこにいったものやら見つかりません。

免許証があれば隣駅の警察署で更新できるのですが、
紛失している場合は試験場まで行かなくてはならないのです。

家からだと乗り継ぎも多くて、最後はバスで、
行けば大変な行列ですし、面倒でしたが、行ってきました。
どう探しても見つからなかったのです。

でも更新してきた翌日、ひょいと出てきました。
  そんなものですよね・・・・・・。

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桜便り2

F.Nちゃん、お久しぶりです。
手紙を書くなんて、何年ぶりだろう。

久々に便箋を買ったので、書いてみてます。

今日は桜が綺麗に咲いていました。
特にお花見なんて、今年はしませんでしたが、
今はどこでも桜並木があるので、
通勤するとか買い物に行くとか、その程度でも
充分に桜を楽しめますね。

一昨年あたりはあまり多すぎて食傷気味の桜でしたが、
年をとったということでしょうか、今年は素直に綺麗だなと思いました。

F.Nちゃんの趣味(というか、打ちこんでいること)、
とても順調で、デビューも果たしたそうで、素晴らしいですね。

2つある職場の1つで、同じ年の方が3年前くらいに入られ、
話をしていると同じようなことを考えていたりするので面白いです。
子供はなく38,39となり、打ちこめるものを探したいと思っていて、
このあたり、わたしもまったく一緒でした。
その一環としてバイオリンを始めてみたけれど、あまり続いていないとか。

皆いろいろやってみた中で、やっと見つかるかどうかなんですね。
F.Nちゃんはそんなに楽しんでいて、かなり本格的になってきて、
感心してます。

わたしも40代に入ってしまって、今は「もう年だから」病にかかっています。
言い訳にしているのかもしれません。

もう何年も本を読む数が減っています。
ほかにも娯楽がたくさんあったり、仕事が大切になったり、
状況の変化もあるのでしょうけど、
読書をする力も落ちているのかもしれません。
堪え性とか集中力とかね・・・・・・。

でもこれも「年のせい」。
(また)太ったのも、何事につけやる気がないのも、
あれもこれも「年だから仕方ない」。
便利なものです。

でもときどきは面倒がらずに、
こうしてお手紙でも書いていきたいものです。

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桜便り 1

N.Tさん こんにちは

今日は桜が満開でした。
雲が多かったですが、青空も見え、
桜並木は満開のピンク、
花吹雪が風にひらひら舞っていました。

わたしは今はほぼ2つの職場に落ち着きました。
昨日までは都心に向かう方の職場でしたが、
今日は逆の方向の職場で、
こちらは敷地内の桜が並木を作っています。
毎年4月のはじめは仕事がなく、桜はいつも見逃してしまうのですが、
今年は運が良かったです。

N.Tさんはいかがお過ごしでいらっしゃいますか?
体調、少しはよくなられたでしょうか?

先日I先生にお会いしました。
あと4年ほどで退職だそうです。
そのときは皆でお祝いできるとよいですが。

私は40代になりました。
ついに40代・・・・・・自分は変わったつもりがなくとも
周囲の目や反応で思い知ることがあります。
節目の年って、こういうものなんでしょうね。

つい最近60のお誕生日を迎えたお友達も
「いろいろ考えさせられる」と言ってました。

年をとった気分で、先行きも不安になる時もあり、
若い勢力はどんどん台頭してきて、居場所も微妙、
なんとなく塞いだ3月でしたが、
今日、都下の方向に仕事に行ってみると、
すみれがたくさん、あちこちに咲いていて、
自然に笑顔になりました。
お花って、心をなごませてくれますね。

このあたりもかなり田舎ですが、
田植えがあるとか、蛙が鳴くとかでもないので、
季節の移り変わりは、ほんのりとしか感じません。
ベランダ菜園は全滅したままですし・・・・・・。

小さなことで、小さく季節を味わって、
少しは心豊かに生活できたらな、と、
ちょっと大人になって(老いて)思います。

N.Tさん、お体お大切に。

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K.R.さま

あまり長いこと会っていないから、手紙でも書きたくなりました。
こんなふうに何となく思い悩んでいるときは、どうもあなたに話したくなるの。

だからこうして手紙を書いているけれど、でもそれは出さないかもしれない。

だって、今まで手紙なんて書いたこと、なかったですもんね。
急に手紙なんてもらったら、あなたはびっくりして怪しむと思う。

でもいつもこれまでしていたようにメールや電話で愚痴をこぼすのは、なんだかできないの。
そんなに深刻に悩んでいるわけじゃなくて、誰でもある程度の思い煩いだし、いつも同じことばかりだから。
きっとあなたは「また?」って思うし、何を言ってもわたしは思い切った手段をとらずに愚痴を言ってるだけだから、呆れると思う。

去年もわたしは言っていたよね。
仕事の量が減ったことや、来年度への不安や、自分の評価についての不満や――いろいろなこと。
おととしもわたしは言っていたよね。
来年度は減りそうだとか、なくなりそうだとか、どうなるかわからないとか――いろいろなこと。
その前も言っていたから、おととしはあなたに開口一番「また?」って言われた。
だから去年はあなたに愚痴を言わないようにして、ときどき報告メールを送ってた。

今年はこうして出さないであろう手紙を書いて、気を紛らわしてる。

昔、わたしは、同じくらいの年の人と張り合ってた。
その後、わたしよりいくつも年上の人にいいようにされてる気がして、くさってた。
わたしより少し年上の人も登場して、その人は能力があるから文句も言えず、溜息をついてた。

今年のわたしは、自分よりいくつも若い人の台頭を恐れて、不安に駆られている。
この人が登場した今年度の4月、わたしはこういう日が来るかもしれないと心配したけれど、あのときはまだ脅威は芽吹いてもいなかった。
彼女はあまりに未熟で、能力不足で、見込みが薄かったから。

でも一年も経てばどんな人でも多少は成長する。
周りの人も彼女に慣れて、この人にもっと仕事を任せてもいいのではないかと思い始める。

若いだけにガッツはある。
若いだけにガツガツしたところもある。
もっと!もっと!!もっと!!! って貪欲に求めてる。
求めて得られたら、それに合わせて努力をしていけば能力はついてくる、と単純に思ってる。
いや、そんなこと考えてもいなくて、ただひたすら求めてる。

こんな若いパワーにわたしは勝てないと思う。
自分の牙城を守ることもできないと思う。

老兵は少しずつ後退していき、退がったところには老々兵がいて、先がつかえていることを知る。
でもつかえた状態で、少しずつ終わりに向かってベルトコンベアーは動いていると悟る。
自分では足を踏ん張っているつもりでも、足をつけている地ごと運び去られている。

これに疲れたとき、「そろそろ退職する年齢なんだよなぁ、退職したらのんびり暮らそうかなぁ」と受け入れ始める。
第二の人生に夢をつないで、第一の人生では敗退していくことを綺麗な色で塗り固める。

今年はそんな気がしているの。
今までで一番にぶい悩みで、今までで一番敗色濃厚なの。

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年賀状

頻繁に連絡を取り合う知人もいれば、年賀状くらいしかやりとりのなくなった知人もいる。
若い頃は、儀礼的な「年賀状制度」というものに反抗的な気持ちを抱いたこともあった。
しかしある時期から、こういうものもいいと思うようになった。
連絡が途絶えた友人知人の消息を知る手段になるからだ。
年に一度、こういうことがあってもいい。
それが欧米だったらクリスマスカードなのかもしれない。



N.Kさん
仕事が大変だっていう話を聞いたまま、その後メールをしていなくてごめんなさい。
やっぱり大変だったんですね。
わたしも去年はひどかったんです。
今年はもう少しお話したいですね。

O.Mさん
木彫り、続いているんですね!
ワンちゃんや家族の写真の年賀状の中で、木彫りの小さな干支は素敵でした。
「形になる趣味を見つけたい」という気持ちから始まったホルツフィグア、すっかり趣味になりましたね。

F.Nちゃん
すごい!
ついにチェロでデビューを果たしたんですね。
そういえば、チェロを始めたというのも年賀状で知ったんですよね。
あの年賀状がもう3年前のものなんですね。
あの時は、何か打ち込める趣味があるっていうことで羨ましく思ったけれど、今年は素直に読めました。
わたしは今も「これこそ!」と言えるものがないのだけれど、なぜか素直に読めました。
「これこそ!」というのはないけど、でも打ち込めるものは見つけた気がするの。
単に楽しくてやっているだけだけれど、今は自分が楽しんでいるということを認めているから、だから素直なんだと思う。
今度、演奏会があるときは聴きたいです。知らせてね。

N先生
実は毎年「お元気ですか?」という同じ一言しか書かれていないのですが、有難いです。
優しいお気持ちを感じて、嬉しくなります。
お元気でまだお仕事をされていらっしゃるのですね。

N.Tさん
辛い一年でしたね。
でもその前の年もやっぱり大変だったし、本当に――体のことは、言葉もありません。
頑張ってください、というのも違うし、大事にしてください、というのも違うし、何と言っていいか分かりません。
何もお役に立てなくてごめんなさい。
お食事を作りに来てくれたり、励ましに来てくれたりするお友達がいて、本当によかったですね。
月並みな言い方だけれど、N.Tさんの人徳なのだと思います。
わたしも今度、伺ってみようと思います。
短い時間で失礼するようにしますね。



・・・・・・。
年賀状に書かれた一言二言を読んで、いろいろな返事が浮かんだけれど、そのままになっている。
また一年後に、自分も一言を書き、相手も一言を書いてくる時まで、このまましまっておくかもしれない。

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クリスマスカード

Dear N.T

昨日、3日ぶりにポストを見ましたら、
可愛いクリスマスカードを発見しました。
ちょうどクリスマスイブに!
有難うございました。

本当に、N.Tさんのおっしゃる通り、
年の初めには色々計画をたてておりました。
わたしにとっては、今年はたくさんのことがあって、
転回の年だったなあ、とは思いますが、
年の初めにあれこれ考えていた抱負とは違うことばかり。
どこでどうなってこんなとこまで来てしまったのか・・・・・・。
目標としていたことは全滅でした。

一年の計画なんてこと細かにたてるものではないですね。

わたしも来年は欲張らない計画をたてることにします。





H.Rちゃん

素敵な写真の葉書ありがとう。元気そうで何よりです。

H.Rの言うとおり、本当にあの頃からずいぶん経ってしまいました。
13年くらい経ちましたね。
これほど時が流れると、お互いに相手の人生に知らないことがいっぱいでしょうね。
少なくともH.Rにはお子さんが2人もできていて、それだけでも大変な変化ですもの。

どれほど時が経っても、わたしがどん底にいて返事を怠っても、
変わらずクリスマスにはカードを贈ってくれてありがとう。
そしてお誕生日も忘れずにいてくれてありがとう。
わたしは、遅れてしまって申し訳ないけど、メリークリスマス!

いつか、会いたいです。

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確率?

K.Rさま

最近のわたしの口ぐせは、「でも世の中何が起こるか分からないし」になってます。

片方の職場で「もうやってられない」と思っても、
じゃあ辞める?辞めない?と思う前に・・・・・・「でも世の中何が起こるか分からないし」
わたしを悩ませているAさんが辞めるかもしれない。
わたしと対立しているBさんが異動するかもしれない。
――そんなの、とても少ない確率なんだけど、
「でも何が起こるか分からないし」とつぶやくのが救いになってます。

例えば自分が海外と取引する仕事をしていたら、世界の経済情勢に左右されてしまう。
例えば自分の仕事や生活によっては、政権をとっている党の方針が利益に反することもある。
自分の力では変えられないことってあるものだから、我慢してやっていくしかない
――そんなときに自分に言い聞かせる言葉。

「でも世の中何が起こるか分からないし」

もちろんわたしの生活では、世界情勢や政治を考えることなんてあまりなくて、
もっぱら小さいことばかりなのだけど。

そんな宝くじに当たるような僥倖を救いにして、なんとなくやっています。

自分で頑張る必要もあるって分かっているけれど、
自分の頑張りではどうにもならないこともあるってことも分かっちゃいました。
年をとるにつれて、いろいろなことを悟っていくものですね。

どうしようもない部分があったからといって、すぐ方向転換はできなくなりました。
もう若くはないし――。

だからこんな僅かの、たぶんないだろうという確率を救いに、何かあったらつぶやきます。
「何が起こるか分からないし」という言葉。

気休め?
そうかもしれません。
――でも気休めが必要なときって、結構あるんです。

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同じ毎日

K.Rさま

もうすぐ12月、今年も終わりに近づいていますね。

今年もまた同じことをたくさん繰り返しました。
毎年毎年、新年を過ぎると同じように次の年度の不安を抱え――
春になると同じようにたまるストレス――
秋になると同じように起こる衝突――
冬になると同じように誓う翌年の抱負――

いつも愚痴を聞いてくれて、決意を聞いてくれて、お喋りにつきあってくれて、ありがとう。
自分の意見を押しつけないK.Rちゃんがいてくれるから、支えられてます。

わたしはあまりお返しをしていない気がするので申し訳ないです。
大騒ぎした挙句、何も変わらず同じ職場にいて、同じ毎日を過ごすわたし。
でもK.Rちゃんは、今年は本当に大変だったね。

年明けから不安なことがあって、変化もあって・・・・・・。
乗り越えて今日まで来ることができて、よかったね。

あと1ヶ月で今年も終わり――来年、再来年と、お互いいろんなことが好転していくといいですね。

それではまた――

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人生の時季

O.Mさま

メールを整理したのですが、ここ2年ほどのメールはそれ以前の2年くらいのメールと随分違います。
自分を取り巻く環境も、世界から家庭まで大なり小なり変わっているものですし、
その時々でわたしの感じ方考え方も違うものです。
分かっていますが、改めて読んでみると本当に違います。

ここ2年は、感受性に起因した内容が減っています。
月を見たら綺麗だったとか、本を読んだら素晴らしかったとか、こういう話を聞いて考えさせられたとか、
そういったことがなくなりました。
現実に起きている仕事の悩み、家庭のこと、ぐち、連絡事項、即物的なことが増えています。

自分が働き盛りに入って、本を読む冊数も減りましたし、
公演にしろビデオにしろ舞台を見る回数も減りました。
いえ、ほとんどなくなったと言ってもいいくらいです。
仕事場、家、顔合わせ、打ち合わせ、家事、友達との約束、家族との約束、
いつも次にすることが目の前にあって、
頭の中にはいつもその時々の懸案事項があって、
路傍の草だの空の月だのに目を向けなくもなっています。

自分に潤いがなくなっているな、と思ってもどうにもなりません。
両立はしないものなのです。
もし、人生に心のゆとりを得たければ、少しゆっくり歩かなければなりません。
少し立ち止まる時間をとらなくてはなりません。
得たいゆとりの量だけ、突っ走る方ををやめなければなりません。

わたしは、これまでの2年、走って来たことを後悔はしていません。
人生の中で5年や10年はわき目もふらず頑張る時期があってもいいでしょうし、
それまでを実にのんびりと過ごしてきたからです。
自分で満足のいく、充実した歳月でした。

好調の波というのは、自分だけが頑張っていても来ないこともあります。
タイミングがあるからです。
わたしは、せっかく来た好調の波を逃したくなかった。それで頑張りました。
でも今は、頑張ろうにも波は緩やかになってしまいました。
そういつまでも運のよいままではいないものです。
これはこれで、また自分や周りを見つめる生活を取り戻せるので、いいことです。

これからの2年は、またもう少し星だの花だの、芸術だの哲学だの、
考えながら生活していけるのではないでしょうか。
これからのメールは、また直前の2年とは違ったものになるのではないでしょうか。

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雨の夜

           某日、「民家で詩の朗読をする」という夜の小さな集まりに行って

F.Nさま

大雨の中、遠いところまでご苦労さまでした。(F.Nちゃんが言い出したこととはいえ)

私はそんなに遠くなかったし、大雨もまた風情があって楽しかったです。

朗読(お芝居?)は、正直に一言で言うと、「分からない」
もしかすると、一度や二度では掴めない魅力なのかも。コアなファンがいそうですね。

即物的にすぐ分かったのは、「家はいい感じ」ということ。
暗い庭も、鬱蒼と茂る植物も、いきなり道路際にある離れも。
あれは、闇の魔法でしょうね。
もう一度行ってみたいけど、次は魔法が消えていて幻滅しそうで怖くもある。

公演していない日に行って、勝手に庭に入ってたら家宅侵入になっちゃうかもしれない。
どちらにしても、「もう一度じっくり」というのは無理かな。

なにしろ有難う。
一日二日寝かせていたら、考えがまとまって、訳も分かったり感動もしたりするのかも。

おいしいお店も探してくれて感謝。
また会いましょう。


数日後

最近、秋のせいなのかな、急に音楽が聴きたくなったり、本が読みたくなったりしています。
学校という緊張する新しい環境にも慣れて、心にゆとりが出てきたせいかしら。

昨日は(券を買ってしまっていたので)美術展に行きました。
電車の中も歩いているときもずっと、何故か、トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」が頭の中に鳴り響いていました。
どうしても聴きたくなって、夜中にビデオを見たので、今日は眠かったよ。

せっかく連れて行ってくれたから、先日の芝居について感想をメールしようと思っていたのですが、やめることにします。
私には分からないみたいだから。
でも連れて行ってくれて良かったのは確かです、有難う。
雨とか、庭とか、闇とかいろいろな条件は魅力的でした。
正直、もう始まってしまっていたせいで入れない時間があったことが、むしろ良かった感じ。
それほど、夜の暗闇に雨音が響くあの庭は良かった。
あの朗読された詩の世界は、私には分からなかったかなと思うし。

学校や資格でいっぱいいっぱいではあるけれど、10月の末になったら、少しオペラのビデオを見たりしようかな。
また感想聞いてくださいね。
(ちなみに美術展はいまひとつだった)

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秋が来ます

O.Mさま

すっかり秋の空で、澄んで高くなりましたが、なかなか夏の名残は消え去りませんね。
なんとなく蒸し暑い日が続きます。

昨日古本屋さんで、時刻表検定のテキストを発見しました。
時刻表検定!そんな資格まであるなんて。

O.Mさんのメールを思い出して、「日本人は資格に挑戦することを愛しているな」と実感しました。
と言いながら自分もその傾向がないとは言えません。ほどほどにしないといけませんね。

秋になると日差しがやわらぐので、日光に過敏なわたしにとっては嬉しい季節です。
いつも手袋をしているので日焼けが嫌なのかと思われます。
「手のモデルをしているのですか?」と聞かれて苦笑したこともあるんです。
そんな美しい手じゃないのに、できるわけありません。

人には事情があり、外からはわからないものだなと思うことがありますね。

飲みに行くといつも最初から「日本酒を熱燗で」と注文される方がいて、
その方は「酒好き」「酒豪」と思われています。
先日うかがったところ、お酒に強いわけではなく、
大変な冷え性なので温かい飲み物を飲みたいということなのだそうです。
そういえば夏でも分厚いスーツをお召しになっていると思いました。

また、ある方について「あまりお歌は上手ではないけれど楽しく歌う」と聞いたのですが、
後から知ったらその方は以前ボーカルの訓練に通ったこともあるくらいだったそうです。
今は病気で喉を手術したので、声も変わり一時は喋れなくなったこともあったのだそうです。

表面で分かることって本当に少ないですよね。
頭では分かっているのですが、時々こうして実感させられることが起こります。

今年は秋に受けたい資格があるので頑張らなくては。

季節の変わり目です、お体に気をつけて、O.Mさんもお過ごしください。

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いかがお過ごしですか?

K.Eさま

お久しぶりです。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

××事務所をお辞めになられてから、1ヶ月ほど経ちましたね。
これまでの何十年、ずっと働いていらしたのですから、
さぞのんびりした夏休みを満喫されたことと思います。

わたしがご一緒したのは、K.Eさんの仕事人生の最後の2年ほどでした。
それほどの大先輩なのに、どこか初々しくて年が離れている気がしませんでした。
わたしが家事をさぼっているときも、よく遊びに行っているときも、
笑って眉をひそめていたので、批判されているような気持ちには全然ならず、
楽しく正直にお話することができました。
優しくて、何一つ分からないわたしに、うんざりすることなく
根気強く教えてくださいました。

本当に。
なんて楽しかったことでしょう!
わたしはあの職場には少しも不満がなかったとは申せませんが、
K.Eさんがいてくれたから楽しく働くことができました。
K.Eさんの退職までまだ何ヶ月かありながら先に辞めることになって、
どんなに残念だったかしれません。
・・・・・・K・Eさんと同じ職場で会えなくなることが一番残念でした。

今はどのようにお過ごしですか?

わたしは、今年こそ曼珠沙華を見に行きたいと思っています。
去年は、行きたいと思いながら、忙しさにかまけていけませんでしたもの。
K.Eさんが「こんなのもあったわ」と言って見つけてきたバス旅行のチラシ、
今年もあったらお誘いしようかな、と思いましたが、ありませんでした。
今年はやっていないのかしら?

意識して会おうと思わないと、なかなか会わなくなりますね。

もう少しして、華が咲き始めたら、またご連絡します。
一緒に行けるといいですね。

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年の後半

N.Kさま

もう9月です。
年度の後半に入りました。

励まし、ありがとうございます。
頑張ってみます。
楽しいことも、イライラすることも、
きっとまたN.Kさんが聞いてくださるだろうし、
たとえば嫌なことがあっても、誰だってそういうことはあるのだから、
乗り越えたり、すり抜けたりしていきたいです。

それでは、これから仕事に行ってまいります!

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夏の終わり

8月ともなると、もう夏は後半に入ります。
学校に通っていた年頃では、8月といえば夏休み。
8月こそ「夏」という気がしましたが。
年をとった今では、8月はもう下り坂です。

日が長い6月。
だんだん夏の頂点に向かう7月。

でも8月は、もう頂点を過ぎました。
秋へと下って行くだけです。

まして8月も終わりとなれば、ものさびしさが漂います。
夏の終わりの寂しさ。
夏休みの終わりの寂しさ。

もう大人なので、夏休みが何十日もあるわけではないのですが、
やはり夏休みの終わりを感じます。
暑いからとだらけていた気持ちも、もはやこれまで。
言い訳はなくなりました。
商売が停滞すると言われる8月も、もう終わり。
重い腰は軽くしなければなりません。

9月になってもまだまだ暑い日はあるはずですが、やはり夏は終わったのです。

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残暑の候

O.Mさま

メールを有難うございました。
いつも本当にちゃんと見ていてくださって、
嬉しいなあと思っています。

お仕事は如何ですか?
まだ夜も働いていらっしゃいますか?

わたしは8月はちょっと時給安めで働いております。
来週の中頃からヘルプデスクをするので、
その研修に行ったのですが、不安になって帰ってきました。
できるのかしら???と思って・・・・・・

そうして気が焦っていると、日々が乾燥していくような気がします。
難しいです。なるべく潤いを忘れずにいたいと思うのですが。

毎日暑いので、お体にはくれぐれもお気をつけくださいね。
わたしも体調だけは崩さないようにしたいと思っています。

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お元気ですか?

お元気ですか?


お元気ですか? 今はどのようにお過ごしですか?
わたしもあなたも、あの頃からずいぶん時が経って、生活も変わりましたね。
遠くに引越していったあなたは、あまりこちらに来る機会もなくなったけれど、
今でもこっちに来ると、あの頃住んでいたあの街を訪ねたりしますか?

時々飲みに行ったね。
あの頃気に入っていた店は、ほとんど別な店にとってかわられました。

あなたが住んでいた辺りはあまり変わっていないけれど、
この間行ってみたけれど、わたしたちが働いていたあの通りはずいぶん変わりました。

洒落たカフェが増えましたよ。洒落た雑貨屋も。
豪華なムードが玄関に漂っています。

でも、駅のところの甘栗太郎は、まだあったよ。
駅の近くの魚屋さんも。大判焼き屋さんも。

インドネシア料理の店もまだあるし、ローマ料理の店もそのまま。
ずっと変わらず営業しているお店も、まだいくつかありました。

あんなに変化の激しい街なのにね。

本屋さんもCDショップも、もとのまま。

一緒に行ったことはなかったけれど、○○通りにおいしいとんかつ屋さんがあったんだよ。
一度店を閉めていて悲しくなったけど、入院していたんだって。
今は再開しているの。
次に久々に行ったら開いていて、とても嬉しかった。すごく柔らかくてジューシーなの。

わたしたちが働いていたお店はとっくになくなって、全然別の業種の店になってるんだよ。
あそこでずっと働いていた人たちはどうしたのだろうね?

懐かしいあの頃、若かったわたしたち。
またいつか、あそこで再会したいものですね。

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覚えていますか?

覚えていますか?


あなたがお店を辞めて、どのくらいになるでしょう?
ご無沙汰ばかりしているけれど、元気でやっていることでしょう。
まだ小さいお子さんも、きっと元気で、可愛い盛りですね。

覚えていますか? ××さんのこと。優しい笑顔でよくお店に来てくれた・・・
あの方のお宅は改装して、娘さんがブティックを始めましたよ。

駅前には大きな病院ができて、そのためにずいぶん薬局が増えました。
前から駅の近くに3つはあったというのに、そのほかにもう4つ。
薬局だらけになりました。

駅前のスーパーでは、通院の人のために、
マクドナルドが開店時間を1時間早めたんですよ。

あの頃はなかったマンションがいくつも建っています。

西友の向かい側にあったコンビニエンスストア、あそこはつぶれました。
後にはクリーニング屋さんが入ったけれど、それもなくなってしまいました。
今は子供と一緒に入れる喫茶店になっています。

何度か一緒に行った駅のところのレストラン。
メニューが改良されて、おいしくなりましたよ。とても混んでいます。

わたしたちが働いていたお店は、人もずいぶん変わり、やり方も変わりました。
今は景気が少し落ち着いたのか、あの頃より好条件で募集しています。

元気にしていますか? ずっと会っていないけれど。

今日、お誕生日だったよね。おめでとう・・・・・・

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お礼

Iさま

先日は偶然お会いして、スケッチを見せていただくことができ、大変嬉しいことでした。
あのように素晴しい絵をお描きになっていらしたとは、存じませんでした。

普段会社では、あまり関わることのない仕事ですが、
Iさんのイメージと同じ印象の絵でした。
まっすぐで、正統派で、正確で。
水彩は、油絵ほど色が濃くなくて、鉛筆の線も残る濃淡で柔らかいものですが、
それでもそのまっすぐさはしっかり伝わってくるのです。

足し算も引き算もない、あるがままの姿をきちんと描いていらっしゃる描写は、
風景写真のようでした。
でもやはり写真とは違うので、そこにいた感動や喜びやその他の感情が、
絵の具に写り込んでいるのでした。

本当にただの趣味、とおっしゃっていましたが、
もったいないくらい素敵でした。
ですが、「趣味」としてただ自分のために描いていらっしゃるからこその、素直さ美しさなのかもしれませんよね。

そういう清々しさのようなものが、Iさんの絵にはあって、
それがわたしの心を明るくしました。
「いいものを見た」という気持ちになったのです。
たまたまあのお店でお昼をいただかなかったら、
偶然会うこともなく、偶然絵を見せていただくこともなかったわけです。
それを思うと、幸運だったように感じられ、うきうきして会社に帰りました。

こんな弾むような気持ちにさせてくださったことに、お礼を申したいです。
ありがとうございました。

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Dearest

N.Tさま  某日

トマトはわさわさ大きくなりました。
でも本当は、もっと早い時期に不要な葉や茎を摘んでおかなければならなかったのですね。
夫が義父に聞いていました。
植物を相手にするのって奥が深いですね。本当に。

夫は実が食べられるかどうかなどどうでもよいようで、
トマトの苗が何倍にも育ったのを見て喜んでいます。
パプリカとシソの苗を一つずつ買ってきて、植えました。
わたしはマダガスカルジャスミンを買いました。
匂いに惹かれるので、こういうほうが好きです。

N.Tさん、お疲れのようで少し心配です。
何もお力になれなくて歯がゆいです。ぐちでもなんでもお聞かせ下さい。
と言っても、そういうときはどうしようもないのが痛いほど分かります。

今の季節はあじさいや菖蒲が綺麗で心が和みますね。
梅雨にまかせて静かな毎日を送られますように・・・・・・




N.Tさま  その1ヶ月後

トマトは実がなりました。でもまだ緑です。
なかなか大きくなりませんけど、そういうものなのでしょうか?
トマトというのは取ってから赤くなるのですか?
ピーマンもひとつだけ買いましたけど、実どころか小さいままです。
夫はわたしより向いてるみたいですね。園芸。
わたしはおまかせです。
でも植物を育てている夫はずいぶん楽しそうで、癒されているようです。
そういう効果が土いじりにはあると聞きましたが、本当だなと実感です。

前にお話したホブデーという人の「ウンブリア地方で田舎暮らし」という本を覚えていらっしゃるでしょうか。
その本の中でも紹介されていたエリザベス・ローマー著「イタリア・トスカーナで暮らして」を手に入れましたので、読んでみるつもりです。
結局のところ、田舎に暮らそうと思い立つ人はたいてい土いじりをしたくなるのですね。わたしも緑は大好きです。水の流れる音も日の光も大好きです。

Tさんのお庭、今度見せていただくことができたらと思います。

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