夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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内なる世界が荒れはてないために

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内なる世界が荒れはてないために

ミヒャエル・エンデ

(『芸術と政治をめぐる対話』から)



 みんながあまり注目しない現象がある。それは内なる世界の荒廃だ。これはおなじように脅威だし、おなじように危険だ。そして、この内なる世界が荒れはてないように、ちいさな内なる樹木をためしに植えてみてはいかがだろう。
  たとえば、いい詩を書いてみよう。これは内なる木を植えることだ。
  木を植えるのはリンゴを収穫するためだけではない。いや、木はそれだけで美しい。なにかに役立つというだけでなく、樹木がただ樹木であることがたいせつなのだ。
  それがおおぜいの作家たち、いや、おおぜいではなくとも、何人かの作家や芸術家がこころみていることだ。つまり、ただそこにあり、人類みんなの財産になりうるなにかを創造することである。それがそこにあることが、それだけでよいことだから。



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はるかな国 遠い昔 より

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はるかな国 遠い昔 より

ハドソン

(『はるかな国 遠い昔』最終行)

・・・・・・・・・・・・よく世間の人が、好きで好きでたまらぬほど、この世の生活を楽しいとも、おもしろいとも思わないとか、自若としてこの世の生活の終わりに臨むことができるとか、言うのを聞くとき、私は、こう思わずにはいられません。そんな人たちは、本当に生きていないか、それほどつまらぬものと考えているこの世界を、冴えた目で見てはいないかだ、この世界にあるものを、なんにも―――草の葉一枚だって、見てはいないのだ、と。ただ私は、私の場合が、例外的なものであること、目に見えるこの現実世界は、世の常の人びとにまして、私にはもっと美しく、もっと興味の多いものに見えること、自然との交わりにおいて、私が経験した喜びは、あとかたもなくかき消え、ただ、はかない幸福の思い出だけを残し、現在の苦痛を、いっそう激しくさせるものではないこと、をよく知っています。自然との交わりがもたらす幸福は、決して失われるのではなく、私がお話しした、あの機能のおかげで、私の心に及ぼす力を、だんだんと増し加え、再び私のものとなるのでした。だから、長い長い間、自然との交わりを断たれて、ロンドンに住み、貧しく、友もなく、病気がちの日々を送らねばならなかった私の最悪の時代でさえ、なお、生きていないよりは、生きているほうが、ずっとずっと、はるかによいと、私は、いつも感じることができたのです。



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ヘンリ・ライクロフトの私記

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ヘンリ・ライクロフトの私記

ジョージ・ロバート・ギッシング





 「人間とは自らの不幸を嘆く愚痴多き動物なり。」この言葉の出典がどこか、私はよく知らない。一度シャロンの文章の中で、出典を明らかにしないままで引用されているのを見たことがある。そしてそれ以来、この言葉は名言というか、悲痛な真理として、しばしば私の心に浮かんだものであった。少なくとも長年の間、私にちっては真理であったのだ。自分を憐れむという贅沢がなければ、人生なんていうものは堪えられない場合がかなりあると私は思う。子の自己憐憫のおかげで自殺から救われている場合がどれだけあるか分からないと思う。ある人にとっては、自分の不幸を語ることは大きな慰めであろう。だが、そんなことをしゃべったところで、ただ黙って考えているうちにしみじみと味わわれるあの深々とした慰めなどは得らるべくもなかろう。私の場合、自己憐憫のこの癖が昔を思ってめそめそするといったのもでなかったことはありがたいことであった。現に苦しみに直面していた場合でも、そのためにあがきがとれなくなるほど根強い悪癖になることもなかった。この癖についに負けたとき、私は自分の弱さに気がついていた。そうやって慰めを感じたとき、私は自分自身をなんて情けない奴だと思ったものだった。たとえ「自らの不幸を嘆きつつも」、私は嘲笑的に笑うことができた。そして今では、われわれを支配している、知られざる力のおかげで、私の過去はその死せるものを葬ったのである。いや、それだけではない。私は自分が今まで経てきた生涯のすべての出来ごとの必然性を、まじめに、しかも快く承認することができる。かくなるべきであったし、また現にかくなったのである。このためにこそ自然は私を作ってくれたのである。その目的がなんであるか、もとより私の知るところではない。しかし、永遠から永遠にわたる万象の流れの中で、私の定められた運命はまさにかくの如きものであったのだ。

  いつも私が恐れていたように、もしも私の晩年が無残な貧窮のうつに送られたとしたら、はたしてこれだけの人生観を私はうることができたであろうか。仰いで天上の光をみようともせず、不平たらたら、ただ自憐の奈落の底に沈み、のたうちまわっていたのではなかったろうか。



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ヘンリ・ライクロフトの私記

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ヘンリ・ライクロフトの私記

ジョージ・ロバート・ギッシング





 かつてジョンソンがいった。「君、貧乏がけっして不幸なことではないという議論が多いが、そういう議論そのものが、結局は貧乏が明らかに大きな不幸であることを証明している。たくさんお金があれば幸福にくらせる、ということをやっきになって説こうという人間はまずないからね。」

  この率直な、常識の大家ジョンソンの言葉は、誠に人生の機微をうがっている。貧乏なんてものはもちろん相対的なものであって、貧乏という言葉はなかんずく各個人の知識人としての地位と密接な関係がある。新聞の報ずるところが本当であれば、週25シリングの定収入さえあれば、なんぼなんでもわたしは貧乏人でございますなどといえた義理ではないと思われる、れっきとした貴顕淑女がイギリスには幾人もいるのである。その連中の知的欲求ときたら、まるで馬丁や下働きの女中のそれと同じなのだ。同じ額の収入が私にあれば、生活だけはやってゆける。しかし貧乏であることははっきりしている。

  人々は、お金では貴いものは買えないという。そういうきまり文句こそ、貧乏を経験したことのないなによりの証拠なのだ。いかにも私は一年にいくばくかの金を稼ぐことはできた。しかしあと2,3ポンドという金が手に入らなかったばかりに、私がこうむった悲しみと寂しさを考えるときに、お金のもつ意義に対して私は今さらのように憮然として嘆ぜざるをえないのである。ただ貧乏であったために、すべての人間が当然の権利として求めるかりそめの幸福の数々、快い喜びの数々を私はいかばかり失ったことであろうか。来る年も来る年も果たされなかった愛する人々との出会い。私がしたいと思ったことも、ほんのわずかな助けさえあればできたはずのことも、結局それがどうにもならなかったために生じた悲哀や誤解や、否、みじめな疎遠など。ただ乏しきがゆえにささやかな娯楽や慰安を切りつめたり諦めたりしたことも数限りなくある。ただ生活が苦しいという一事のために友人を失ったこともある。また友人として交際できるはずの人々も遂にあかの他人として終わったこともある。骨を噛むような孤独が、切ないほど心から友を求めているのに冷たく強要された孤独が、幾度か私の生活をみまったが、それというのも全く私が貧乏だからであった。どんな善行だって現金さえあればなんとかできるといってもほとんど過言ではなかろう。

  「貧乏は」とさらにジョンソンはいった。「全く大きな不幸なのだ。しかも多くの誘惑、多くの悲惨をもたらす不幸なのだ。したがって私は心からそれを避けるよう諸君にすすめざるをえない。」

  私自身は、貧乏を避ける努力をせよという、そんな忠告は不要であった。ロンドン中の多くの屋根裏は、貧乏というこの面白くもない相棒といかに私がいがみあったかを知っているはずだ。貧乏神が最後まで私につきまとわなかったのを私は不思議に思う。それは自然界における一種の気紛れかもしれない。もし気紛れだとすると・・・・・・しばしば真夜中に目をさました時などになんとなく私が不安にかられるのも実はこのことなのだ。



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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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 芸術家のいわゆる「魂」というものについても、余りそれにとらわれる誤りをおかしてはならない。かれも魂をもっているが、べつだんわれわれのものと非常に違ったものがあるわけではない。一生かかっても線一本かけず、曲一つつくれない人々の間では、芸術家の心理というものがいつも議論の種になる。本当によい芸術家はたいてい、自分の仕事でいっぱいで、かれの不死の魂の心理的下部構造とやらにはちっとも気をかけない。しごく単純な人間らしい。仕事はかれにとっては、たまたまかれが恋をしている女のようなものだ。彼女のためならどんなものでもささげるであろう。彼女はかれのあらゆる忠誠の対象である。彼女がなぜ好きなのか、は、女をバスに乗せてランデヴーに出かける仕上げ工ほりもよく知っているわけではない。また全くそんなことには関心もない。
  そこに彼女がいる。
  だからかれは彼女を愛する。
 それだけのことだ。なぜかれの魂や心理的反応とやらについて愚問を出して、かれを困らせるのか。かれは本当に知らないし、気にもかけていないのである。
 どんな芸術家も法律の枠をこえる権利をもってはいない。だがわれわれと同じように、同輩から成る陪審員によって裁判をしてもらう権利がある。
  これはいつからとはなしにわれわれの文明生活を支配しているルールである。それはまた芸術の領域でも守られるべきである。
 しろうとが熟練した外科医や技師の仕事について意見を求めることはまずないことである。それならばなぜわれわれは、盲腸をとったり、橋や地下鉄をつくったりする人と全く同様に、個人的な方法で自分を表現する芸術家に対して、同じ寛容さをもてないのであろうか。


 ところで(というのはこの章が余り長くなったので)、いったい芸術家とは何か。
画家とは、「私は見ていると思う」と語る人であるにすぎず、またそれ故に、かれが見たと思うところのものを、もしわれわれの目がかれの目と調子が合っていれば、われわれにもそう見えるように、表現する人であるにすぎない。
  音楽家とは、「私は聞いていると思う」という男女のことである。
  詩人とは、「これは私が自分の個人的な夢をある種の普遍的なリズムで一番よく表現できる方法だと思っている」人なのである。
  作家は、「起こった、あるいは起こったかもしれないと私が想像した物語をしよう」というのである。
  すべてこういった調子である。
 芸術家の一人一人はそれぞれ、たんに一種の「レコード吹込み器械」にすぎない。そのレコードがわれわれに何かの意味があるか、または全然ないかは、かれの知ったことではない。ウグイスもカラスもわれわれの意見などどうでもよいのだ。かれらはほかのウグイスやカラスによく思われようとして一生懸命に鳴いている。ウグイスがカラスにとりまかれたり、その逆だったりするときは、まことにあわれである。だがどうすることもできない。
  ・・・・・・・・・・・・



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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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  もう一つの例を示そう。そうすればわれわれはかならずたがいに理解し合えると思う。私はかつて古いイタリア絵画や18世紀のイギリス絵画の貴重なコレクションをもつ地方博物館やハイフェッツが独奏者をしていたことがある交響楽団をいtjも自慢の種にしている人々の住む町々を訪れたことがある。だがその町に着いてみると、かれらが全く品の良くない家に住み、みすぼらしい、きたない街を通って仕事場にかよっていること、そしてかれらの日常生活の中には、一日のうちわずかな時間しか開いていないその博物館と、一週間にただ一度、しかも2,3時間しか演奏しないその交響楽団を除いては、目や耳を楽しませてくれるものが何もないことがわかった。

  このような隣人たちと議論したり、かれらがまちがっていると説きつけたりしてもしかたがないことは、後になってよくわかったのだが、当時私は若く、短気で、全く経験がなかった。私はこれらの正直な町の人々に対してこう説きつけたものだ。本当の巨匠たちの本当によい複製画を、2,3枚居室や食堂にかけておく方が、地方美術館の片隅に1ダースものコレッギオやレイノルズの原画をしまいこんでおくよりもはるかに芸術的な心の救いのためによいであろう。また子どもたちを一週間に一度だけ交響楽団のコンサートにひっぱってゆくよりは、毎日本当によいレコードを聞かせてやる方が(すくなくとも音楽に関する限りは)おおいに世界の将来のためになるであろう。実際そのコンサートたるや、かれらにとっては全く退屈な一夜以外の何ものでもなく、ラジオの楽しい通俗性と感傷性からむりやり引きはなされているというだけのことではないか―――と。

  こういう議論をしても得たものは何もなかった。いくらかの人々は私に心から賛成してくれたが、これらの人々は今さら説得する必要はなかった。というのはかれらはいつも私と同じ考えをもっているからである。ところが別の人々は私のことを、新奇な教育思想をもった物好きな男で、わざと異を立てるため、おもしろがって宣伝しようとしているのだと考えた。

  このような経験を二、三したあとで、私はおしゃべりをおさえることを学んだ。だが私は絶対に正しかったと思っている。慈善は客間からというが、芸術はそれよりもずっと奥から、すなわち芸術は台所から始まるのである。もしも諸君が、ラファエルを三枚、デル・サルトを二枚、ムユヨを六枚、それにレンブラントまでもっている人に夕食に招かれ、しかも食事に使うフォークやナイフやスプーンが不恰好で釣合いがとれていないようなものだったとする―――そのときは、よく覚えておき給え。その人は真の芸術を大切にしていないということがわかる。かれはこれらの絵を隣人を感心させたり、銀行で信用を得るために買ったのである。かれはそれがなければ生きてゆくことができないから、それを手に入れたのではない。かれは真の芸術愛好者ではなく、かれの所蔵する絵は、あkれにとって夫人の着ている高価な毛皮のコートほどの値打ちもないのである。
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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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  われわれほどはものを知らないが、われわれが疑いすらかけないたくさんのことを理解していた中世の人々は、それを悟っていて、物語のひとつに示している。それは悔い改めた二人の罪人の話で、かれらは聖母の像に近づいてお恵みを求めたが、さまざまな祝福を与えてもらうのに対して、お礼にささげるものが実は何もないことに気がついた。

  そこでその一人、古いヴァイオリンのほかには何ももたない貧しい音楽家は、かれの一番好きな曲をひいた。するとどうだろう、かれの祈りはきかれたのである。だが靴屋の番になったとき、かれは自分の礼拝はむだであったと思った。というのはかれにできることといえば、天の女神がこの次のダンスのときにはく優雅な小さい靴をつくってさし上げるぐらいしかなかったからである。「だがいったい」と靴屋は自分に問うてみた。「今聞いたばかりのあの音楽に比べて、一足の靴に何の値うちがあろうか」と。

  だがともかくもかれはできるだけ美しい靴をつくってさし上げた。するとどうだろう、かれもまた女神の瞳の中にお恵みを見出したのである。かれの黄金色の靴は感動を表現するかれ独特の方法だったのであり、とりわけそれは、出来ばえはとにかくとして非常に大きな努力を払ったものだったからである。

  このささやかな中世の物語と関連して、いつも妙に私の気にかかっていることがある―――その一つは私にはどうもよくわからない。現代の世界はなぜ、芸術と技術との間にこんなにはっきりした境界線をひきたがるのであろうか。芸術が本当に人々の日常生活になくてはならないものであった時代には、この境界線はなかった。誰も芸術家と職人のちがいを知らなかった。じじつ、芸術家というものは(芸術家というものを認めるとするならば)、たんに例外的な才能をもつ職人にすぎなかった、すなわち石工組合の他の組合員よりすこしばかりうまく大理石を刻むことのできる石工のようなものであった。ところが今日では、芸術家は街の一方の端、職人はその反対側に暮らしていて、互いにことばをかわすことさえほとんどない。

  私自身もそういう考え方をする時代を超えてきた。私の若かったころは、「芸術のための芸術」という、例のまちがったスローガンが、芸術を知っていると思われている人々の間に依然流行していた。だがそれはもう三十年も前のことで、それ以後幸いなことにわれわれはもっと勉強をした。今日では古いブルックリン橋を設計した人が、シャルトルの寺院の設計図をひいた名もない石工と全く同様に偉大な芸術家であることをわれわれは知っているし、たいていもの者はフレッド・アステアのダンスの芸によって、マイスター・ジンガーの終幕の五重唱を聞くときと全く同様の、本当の楽しみを味わうことができるのである。
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闇に光を より

闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



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 さてこうして私が戸外生活が好きだというと、びっくりされるかたもあります。しかし神様はその創造物の多くのものを凸字版にしていてくださるのをごぞんじでしょうか。大地の美しい声は聴覚や視覚によらなくとも聞くことができるのです。私は森の中にいる時、木の葉の中をがさがさといわせてはっている小さな動物を捕らえることが好きであります。
  私は苔や、じめじめいsた植物の香が漂う小暗い路や、喬木(きょうぼく)や草むらが私のからだに触れる山路や深い谷などを歩むのが好きであります。
  また私は小さな橋の上に立って、脚下にヤナギバエを泳がせながら流れる小川を感じるのも好きであります。
  私は倒れた朽木の上にすわって、その木に巣くっている内気な小動物たちが、安心して私の足の指に上りはじめ、付近の小滝が私の顔に飛沫(しぶき)を散らすのを感じるほど、長い間じっとしているのが好きであります。からだを不動のまま耳を澄ますと、限りなくいろいろの音が聞こえてくるものです―――葉の立てる音、草の音、鳥が止まると痛いといってかすかに泣く小枝の叫び、昆虫の翅(はね)がさっと触れると一揺れする草ずれの音、アザミの銀色のそよぎ、これらの物音は聞こえても、あたりはなおも森閑としているのであります。
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闇に光を より

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闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



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  庭木の中では常緑樹がいちばん好きであります。常緑樹というものは素直に人間の生活の中にはいってきてくれます。他の木といっしょに森の中にはえていた時の野生を捨てて、ただちに私たちの家族生活に調和し、私たちがその生長を阻むようなことをしても、じょうずに、しかも力強く、私たちを感化してくれます。いつ見ても美しく立っていて、私たちのうちにひそんでいる美徳を引き出してくれるようであります。

  私の庭の小径の片一方の側にはえている常緑樹は、私が彼らを知っていると同じように、私をもまた知っていてくれるようであります。私のそばを通るといつもその枝を手のように伸ばして、私をからかったり、髪の毛をひっぱったりします。世界じゅうが生命の香気に氾濫する春になると、うれしいニュースをいっぱい持った友だちのように私の方へ寄りかかってきます。何かしきりにいいたげな様子をするのですが、私にはよくわかりません。その木はみんなで、「なぜ人間というものは、水や風と同じように少しも一つところにじっとしていないのでしょう?」と話し合っているようであります。「第一、あれを見てごらんなさい。あのかたにしても花の中をあちらへ行ったり、こちらへ来たりして、まるで風に吹き散らされる蛾のようじゃありませんか」と、そのとがった小さな指を突き出していっております。

  もしも私にそのささやき、そのため息を測り知ることができたならば、私は常緑樹のもつ意識の奥所を測り知ることができるでありましょう。私は常緑樹というものが未来を予言するものであるかどうかということは知りませんが、過去を啓示するものであるということだけは、はっきりいえると思います。数世紀以前に起こった事柄でも、なぜ起こったか、またどんなふうにして起こったかということを告げることができると思います。そうして彼らの過去に横たわっていた永生の様子をも教えてくれることができるでありましょう。私は樹木の年輪に触れて見たことがあります。それは今日の生命に到達するまでに経過してきた生死の歳月を物語るものであります。なぜ、こんなにまで大空にあこがれるのでしょう?なぜ、こんなにまで大地にたいする義務に忠実で、目的に執着し、その魂は過去の思い出に吐息しているのでしょう?私がそばに立つと彼らはこういうのです、「あなたというものは過去から未来を通して不変のものです。あなたの中にあるすべての原子と感情とは、私たちと同じように永遠の昔に始まったもので、ついにはまた私たちとともに永遠の帰り行くべきものなのであります」

  私は世の中の不幸に思い悩んでいる時、常緑樹の間を逍遥すると、自ら心が和らんでくるのを覚えます。私は夜の間、霜にいためられた花が、朝になると茎の上に身じまいを正し、再びりりしい勇気をふるって大空を見上げる時のような感じに打たれるのであります。そして私は常緑樹の間を散歩している時には、いつも闇の中で不平をいわず、せっせと労苦している地中の根の歌を聞くような気がします。根というものは自分の咲かせた美しい花をけっして見ることのできない運命にあります。自分は一生闇の中に隠れていて、しかも光の花を咲かせるのが根なのであります。根は小さく、賤しいものですが、その花を開かせ、幹を生長せしめる力にいたっては偉大なものがあります。私は手を伸ばしてそれに触れることはできませんが、根をやはり愛します。

  緑の木立の間を歩いていると、雨に湿った風が吹いてきて、私の顔に斑点の薄化粧をつけて行きます。遠い国から楽しい思い出がわき起こってきて、目に見えない砂の上に砕ける大波のように吐息します。その思い出は私の胸奥に「ホーム」「南の国」「母」「父」というささやきの飛沫(しぶき)を送ります。私の心情は昔、私を抱擁してくれ、歩くことを教えてくれた懐かしい人々の手を求めてときめく暗がりの中を手さぐりするのです。あの時小さな、おぼつかない手でつづって教えてくれた言葉は、今思い出してもほほえまれます。その言葉は現実のもので、私は赤ん坊の妹が私の膝頭にすがりついているように感じるのであります。

  アラバマの暖かい風が私と長い歳月との間に吹いております。弟のフィリップが片言をいって、その幼なげな越えが私の指先を軽くたたいているようです。「ヘレンねえちゃん、お馬ごっこしてちょうだい」とでも。いまや幾星霜、時は過ぎ去りましたけれども、私の頬に感じた接吻と、スミレと、早なりの珍しいイチゴとを摘んできてくれた手との思い出は忘れずにおります。「古くなり、過ぎ去りしがゆえに美し」といったあらゆるものの懐かしさよ。ああジャスミンとバラとの香がして、モノマネ鳥が騒々しくパラダイスの門をたたいていたいたずらざかりの若き日よ!
  ・・・・・・・・・・・・




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闇に光を より

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闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



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  私の庭の周囲にある常緑樹に囲まれた六月は、芳香のふしぎな緯(よこいと)であります.常緑樹や汀(みぎわ)の草の間には、ライラックや月桂樹の芳香が縫うように漂っております。私の行く道のかたわらに美しい色とりどりの花が咲き乱れ、かわいい顔で私を見上げてくれます。柔らかい草のはえているところでは、スミレが碧い瞳を見開いてふしぎそうに私をながめます。私はスミレとスズランとは夢の花だと思っております。というのは、これらの花はいつも眠りの園に咲いているからであります。スイカズラはイボタノキの壁にはい上がって微風に薫香を送っております。ワイギーラは生霊のような蔓を伸ばして私に抱きかかろうとします。それをはらいのけようとすると、その実をついばみに来る翅(はね)のある略奪者が、日光の中へさっと飛び散ります。日本とドイツから来た丈の高いハナショウブが、あずまやの周囲に園丁がつけてくれたリボンのような道に沿うて美しい花を咲かせます。庭の片隅にはライラックの繁みがあります。六月になると枝もたわわに花をつけて、心にしみいるような芳香!・・・・・・といってもライラックの香をほんとうに言葉に表した人はありませんが。

  五月から六月の初めにかけては、燃ゆる汐のようなチューリップが芝生いちめんに咲いて、ここそこには紫水仙、ヒヤシンスその他の花の島々ができるのです。その島の一つに触れると、手の中でユリが生まれ、腕の届くかぎり同じような奇跡が行われます。こうして自らの生命を与えることによって、生きる愛が私のエデンを占領したのであります。
  ・・・・・・・・・・・・




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女性についてのふたつの見解

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「ぽるとがる恋文」
ポルトガルの17世紀の古い文学作品で、作者についての研究がなされてきました。
この問題について、「社会契約説」で有名なルソーが、男性であると論じている文章も載せておきます。

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ぽるとがる恋文について
『ぽるとがる恋文』は、17世紀にポルトガルの修道女マリアナ・アルコフォラードがフランス貴族シャミリーに宛てて書いたとされる5通の手紙を出版したものである。この本は、女心の熱い思いのたけを、ひたむきになんの粉飾もなく吐露した手紙が人々の心をゆさぶり、当時のサロンで争って読まれた。その流行は時を経ても衰えず、ポルトガル文学史上に名を残す作品となった。ジャン・ジャック・ルソーも『ぽるとがるぶみ』を絶賛している。この手紙は誰が書いたものか、長く秘されていたこともあって、創作ではないかという説も未だにある。しかし、現在ではマリアナ・アルコフォラードの名前も生涯も明らかになり、彼女が書いたものだとするのが正しいように思われる。
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ジャン・ジャック・ルソーの言葉
(ダランベール宛の書簡より)

 女性たちは一般に、どんな芸術も愛さない。どんな芸術も彼女たち自身、理解できないし、なんの天分も持っていない。彼女たちは、軽妙なエスプリや趣味や典雅しか必要としない小さい作品では、成功するかもしれない。しかし、魂を熱くし、燃えあがらせる天上の火、焼きつくし、むさぼる天才、燃えるような雄弁および心の底まで恍惚とさせる崇高な感動は、彼女たちが書くものには常に欠けている。彼女たちは愛を感ずることも、愛を描くこともできない。私は『ぽるとがる恋文』は男性が書いたものであることに、世の中のすべてのものを賭ける。
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「愛はさだめ、さだめは死」
これは、アメリカのSF作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品です。
ティプトリーについての簡単な説明と、ティプトリーについてロバート・シルヴァーバーグが書いた文章とを載せておきます。
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアもロバート・シルヴァーバーグも、SF界では著名な作家です。

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愛はさだめ、さだめは死について

ジェイムズ・ティプトリーJrは、1970年代頃活躍したSF作家である。独特な作風で人気を博した。しかし、長いこと正体を秘していた。誰もティプトリーを見たことがなく、どこの誰なのか、ティプトリーというのが本名なのか筆名なのか、噂にはなっていたが明らかにならなかった。以下は、ロバート・シルヴァーバーグがティプトリーの短編集『愛はさだめ、さだめは死』に寄せた序文の一部。シルヴァーバーグも同時代の著名なSF作家であった。
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ロバート・シルヴァーバーグの一文
(『愛はさだめ、さだめは死』序文より)

 身元を隠しとおそうとするこの頑固なまでのティプトリーの意思に触発されて、SF関係者はこれまで彼に関するさまざまの飛躍した憶測をめぐらしてきた。しばしばささやかれるのは、彼の本名がティプトリーではないという説だが、では本名がなんであるのか、だれひとり知らない(”ティプトリー”が筆名であることは充分考えられるが、できれば本名であってほしい。わたしはこの名が好きだし、その名を自己の作品に使っている男に、生得権として所属するのが望ましい)。ティプトリーが女性ではないかという説も耳にするが、この仮説はばかげていると思う。なぜなら、ティプトリーの書くものには、なにか逃れようもなく男性的なものがあるからだ。男にジェーン・オースティンの小説が書けるとは思えないし、女にアーネスト・ヘミングウェイの小説が書けるとも思えない。それとおなじ意味で、ジェイムズ・ティプトリー作品の筆者は男性だと、わたしは信じている。

・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・

 ティプトリーの作品は退屈と無縁である。どれもひきしまった筋肉質で、しなやかで、ひとしきりの簡潔な地の文に挟まれた会話に重きをおいている。文体の面で、他の作家からのこれといった影響は認められないが、ヘミングウェイとの類似性はあると思う。すくなくとも表面上は単純で直接的で、そして率直さをこころざしたときのヘミングウェイにだ。ヘミングウェイは、また恐るべき、なみはずれた小説技術の革命家でもあり、現代短編小説の性格をまったく作りかえたが、技巧的な側面をさりげなく隠しているので、不注意な読者はそれに気づかない。ヘミングウェイは、外見よりはずっとふところの深い、芸のこまかい作家だった。ティプトリーにもおなじことがいえる。彼はくだけた俗語表現の裏に、しっかりと場面場面を構成し、読者を予想もしない経験の深淵に誘い込む技術を隠している。それとまた、ふたりの作家に共通するのは、むんむんするような男っぽさ―――勇気、絶対の価値、生と死の神秘や情熱に向けられた強い関心である。そして、これらのものは、苛酷な肉体の試練によって、また苦痛と受難と喪失によって明らかにされていくのだ。

・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・

  追記―――三年後。
  1976年のクリスマス直前に、あのなじみ深い青のリボンで打った一通の手紙が届いた。その手紙には、”ティプトリー”がアリス・B・シェルドン博士の筆名であることがためらいがちに告白してあり、あなたが”ティプトリー”男性説をのっぴきならないほど強力に主張したことを、どうかあまり気にしないでほしいと書いてあった。たいへんなびっくり箱だ。まずいことに、こっちは”ティプトリー”の動かしがたい男性的特徴うんぬんを、堂々と活字で力説したものである。よろしい―――恥の上塗りはしないでおこう。わたしも、ほかのみんなも、みごとに彼女にかつがれただけでなく、小説の中のなにが”男性的”であるか、または”女性的”であるかという観念ぜんたいに疑問を投げかけられたのだ。わたしはいまもその問題と格闘している。このことからわたしがまなんだのは、伝統的に男性中心の話題を、たいていの男よりも博識に書ける女性がいるということ、そして、本当に優れた芸術家は、題材にふさわしいいかなるトーンをも採用して、ちゃんとそれを成功させるということだ。そして、わたしは―――またまた―――もうひとつのことをまなんだ。まったく、なんべん教えられたらわかるのだろう―――”物事が外観どおりであることはめったにない”のだ。アリス・シェルドンよ、これらの面でわたしを教育してくれたあなたに、ここで感謝をささげたい。そしてそのほかのもっとたくさんのことにも。
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親しい友よ

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親しい友よ

ルーシー・モード・モンゴメリ

(1941.12.23 マクミラン宛の手紙)



親しい友よ

 お見舞の品をありがとうございました。具合は良くありませんし、良くなることもないでしょう。でも、わたしたちの長年の美しい友情を神に感謝しています。たぶん、もっと幸福な別の世界に生まれかわったときに、再びこの友情の続きを持てるでしょう。この一年間は絶え間のない打撃の連続でした。長男は生活をめちゃくちゃにし、その上、妻は彼のもとを去りました。夫の神経の状態は、わたしよりももっとひどいのです。わたしは夫の発作がどういう性質のものか、二十年以上もあなたに知らせないできました。でも、とうとうわたしは押しつぶされてしまいました。今年は、あなたに送る本を選びに外に出かけることはできませんでした。皮下注射をしていただかなかったら、この手紙を書くことさえ無理だったのです。あれやこれやのことに加えて、戦況がこうでは、命が縮んでしまいます。もうすぐ次男は兵隊にとられるでしょう。ですからわたしは元気になろうという努力をいっさいあきらめました。生きる目的が全くなくなるのですから。
  神があなたを祝福し、この先長きにわたってあなたをお守り下さいますように。わたしは、今まで、あなたの友情とお手紙ほど大切にしてきたものはほとんどありません。かつてのわたしを覚えていて下さい。そして、今のわたしは忘れて下さい。

          真心をこめて
          おそらくこの手紙が最後のものとなるでしょう
          L.M.マクドナルド



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モンゴメリ書簡集より

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モンゴメリ書簡集

ルーシー・モード・モンゴメリ

(「G・B・マクミランへの手紙」ボルジャー/エパリー 編)



・・・・・・5月24日の手紙から・・・・・・
 今、あたりは一面の薄緑色、湿気を含んだ野性的な香りがたちこめるたぐいまれな夕暮です。

・・・・・・11月9日の手紙から・・・・・・
  外は凍てつくような寒い夜。地面はうっすらとユキにおおわれて、銀色の三日月が果樹園の上に広がるサフラン色の空を漂ってゆきます。わたしは、たった今、その月を右肩越しにふり向いて見ましたから、一ヶ月間はきっと幸運に恵まれると思います。

・・・・・・6月の手紙から・・・・・・
  「六月の一日ほど美しいものはあるかしら?」。今日はその美しい日々に数えられる一日でした。世界中が花盛りのようです。わたしは《私室》の窓辺に坐って、クローバーを一面に敷きつめた広々とした緑の野、紫色のスミレがびっしりと生えていることがわかっている小径、まるで婚礼のためにバラ色と純白の衣裳を身にまとったような果樹園を見おろしています。六月という月がある世界に生きているって本当に素敵。



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千夜一夜物語 まえがきより

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千夜一夜物語 まえがきより抜粋

リチャード・バートン

(「バートン版 千夜一夜物語」 大場正史 訳)



 ・・・・・・

  ものうい,平凡で,<お上品>なわたしの環境から,魔神(ジン)はたちまちわたしをともなって,あこがれの国アラビアへとつれ去った。この国はわたしの心にとっては,たいへんなじみ深い国だったから,初めて見たときでさえも,遠い昔の輪廻の生命を思いおこさせるような気がした。ふたたびわたしはすきとおった」青空の下に,エーテルのように輝く大気に包まれて,つっ立った。大気の息吹は,泡立つぶどう酒のように,人々の心をふるいたたせてくれるのである。そしてまた,ふたたび,わたしは西方の蒼穹のまっ正面に,ひとつはめの宝石のようにかかっている宵の明星を眺めた。すると,にわかに,さながら魔法にかけられたように,飾り気のない,凸凹した土地の相貌が夕ばえをうけて,ほかの土地や海を照らすことのない光線で輝きわたった,おとぎの国へうつり変わっていった。それからまた朽葉色の粘土や褐色の砂利のはてしない荒れ地の中に,黒点のようにちらばっている本物のバダウィ族の,低く,黒い毛布の天幕やぽちっと蛍火(ほたるび)のように部落のまん中に輝いているかがり火も,きまってあらわれてきた。

  やがて,黄昏をぬって羊や山羊をかり立てていく,というよりむしろ,なぐりつけて追っていく若い男女の荒々しい,聞きなれない歌声や,あずかった駱駝のうしろからゆったりと大股に歩いていく槍使いたちの調子のそろった歌声が,羊の群れの鳴き声と瘤をもった獣の群れの咆哮にいりまじって,遠く離れているためか,いっそう快い響きとなって,わたしの耳に伝わってきた。また,いっぽうでは,頭上をとびまわる栗鼠(りす)のかわいい鳴き声,しだいに濃くなっていく夕闇をつんざいて響きわたるヤマイヌの怒号,それに---音楽の中でも,いちばん旋律的であったが---流れ落ちる水の,たいそうやさしい調べをもって夜の微風のささやきに答える棕櫚(しゅろ)の葉ずれの音,こういったものも,きまって聞こえてくるのであった。

  それから,舞台が一変すると,アラブ人の老人(シャイフ)や<白髯(はくぜん)の翁(おきな)>がおごそかにいれ替わり,かがり火をかこんで,アラブ人の形容によると,草原の塚さながらに服の裾をひらいて坐りこんでいる。そのあいだ,わたしは一同の款待(かんたい)に報い,いつまでもその款待をつづけてもらうため,みなの好きな物語を少しばかり読んだり,暗誦してやったりする。女も子供も車座の外側に影法師のようにじっとたたずみ,耳をすませて,息をのんでいる。耳だけではあきたらず,目からも口からも話をのみこもうとしているように思われる。どんなにばからしい,奔放な空想でも,どんなに奇々怪々な事柄でも,不可能事の中のもっとも不可能な事柄でも,彼らにとっては,ごく自然な,日常茶飯のことのように見えるのである。

  作者がつぎつぎにわき立たせていく感情の起伏の中へ,彼らはすっかりはいりこんでしまい,タジ・アル・ムルクの任侠精神や騎士道的な武勇をわがことのように誇り,アジザーの献身的な愛情に感動して,ほろりとする。また,うず高く積んだ千金の黄金を土くれのようにチップとしてふるまう話をきくと,口から涎(よだれ)を流し,判官(カジ)または托鉢僧(ファキル)が荒野の下品なおどけ者から浅ましいあしらいをうけるたびに,くすくす笑い興じる。なおまた,ふだんはまじめくさった顔をし,感情を表面に出さないけれど,おしゃべり床屋やアリやクルド人のいかさま師といった話になると,みんなどっと,腹をかかえて笑い,時には地面をころがりまわるくらいである。読むほうでさえ,しかつめらしい相好をくずして,あやうくふき出したくなる。

  こういった心楽しい雰囲気も,稀れにではあるが,破られる時がある。それは,時には祈祷も唱える,人なみ以上にすぐれた嗜み(たしなみ)を身につけたバダウィ人がとっぴょうしもなく「アスタグファルラー」---アラーよ,許したまえ---という叫び声をあげるときである。つまり,これは,みながカーライルのいわゆる<まっ赤なでたらめ話>に耳をかしたからではなく,砂漠の貴族のあいだでは決して聞けないセックスの話をちょっとばかり耳にはさんだためなのである。

  ・・・・・・



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ガラクタ屋

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ガラクタ屋

ジョージ・オーウェル

(『イヴニング・スタンダード』 1946.1.5号)
(「一杯のおいしい紅茶」 小野寺健 編訳)



 ロンドン一魅力的なガラクタ屋つまりジャンク・ショップはどこかと言っては、好みの問題だから議論の種になるだろう。だが、グリニッチでも汚らしい界隈、イズリントンにあるホテル、エンジェルの近く、ホロウェイ、パディントン、エッジウェア・ロードの裏になる辺りなら、いくつか一流のジャンク・ショップにご案内できるだろう。リージェント公園の付近でも、ローズ・クリケット競技場の近くには二、三ないことはないが―――ただし、この場合も、店があるのは廃墟同然と化している一画だ―――いわゆる高級住宅地では、問題になるジャンク・ショップなど見かけたためしがない。

  ジャンク・ショップは、あくまでも骨董屋とはちがう。骨董屋というのは、清潔で、品物もきれいにならべてあって、実質の倍くらいの値段がつけてあり、ひとたび中へ入ろうものならうるさくつきまとわれ、ついに買わされてしまう店である。

  ジャンク・ショップのほうは、ショーウィンドーもうっすら埃をかぶっていて、置いてあるのも捨ててもいいようなものが珍しくなく、たいてい奥の部屋で居眠りをしている主人は、まるで売りつける気もない。

  それに、一番の宝を一目で発見できることはぜったいになく、たいていは竹製のケーキ・スタンドがごたごたならんでいるなかから拾いださなければならない。料理が冷めるのをふせぐためにかぶせるブリタニアウェア(しろめ)の皿覆い、大型の懐中時計、あちこちページが折れている汚い本、ダチョウの卵、今では存在しないメーカーのタイプライター、レンズの入っていない眼鏡、栓のないデカンター、鳥の剥製、針金でできた炉格子、鍵の束、ボルト・ナットがはいっている箱、インド洋産のほら貝、靴型、中国製のショウガ壷、ハイランドの城の絵といったものが、ごちゃごちゃしている。

  こういう店では、メノウなどの貴石がついているヴィクトリア朝時代のブローチやロケットという、掘り出し物にぶつかることがある。

  十中八九は汚くてどうしようもないが、なかにはきわめて美しいものもある。銀の台にはめこまれていたり、もっと多いのは金のまがいで銅を混ぜた金色銅の台にはまっているもので、近ごろこのきれいな合金ができないのはどういうわけだろう。

  このほかの掘り出し物には、蓋に絵が描いてあるパピア・マシェ(箱、盆などの製造に用いる紙粘土状の模擬紙)でできた嗅ぎ煙草入れ、ラスター(真珠の光沢をもつ陶磁器)でできた水差し、1830年前後の先込め式ピストル、瓶の中に造った船の模型などがある。こういうものは今でも造られてはいるが、古いものがいいのだ。ヴィクトリア朝の瓶は形が美しいし、グリーンのガラスの微妙な色合いがいい。

  また、オルゴールや、馬具につけた真鍮の装飾金具、女王即位祭の角製の火薬入れの形をしたジョッキ(どういうわけか、1887年の即位五十年祭のもののほうが、十年後の六十年祭のものよりはるかに高級である)、あるいは底に絵が入っているガラスの文鎮などがある。

  そのほかにもガラスの中に珊瑚を封じこめたものもあるが、これは例外なくべらぼうに高い。ヴィクトリア朝の新型服装図とか、押し花がぎっしり貼ってあるスクラップブックに出会うこともあるし、まれに見る幸運に恵まれれば、スクラップブックの親方のようなスクラップスクリーンが見るかることもある。

  スクラップスクリーンというのは、いまではすっかり珍しくなってしまったが、要するにふつうの木製の板かキャンバス地に、切り抜いた色刷りのスクラップを、何とかまとまって格好のついた絵になるように張り合わせた衝立である。最高のものができたのは1880年前後だが、ジャンク・ショップで買ったのではかならず傷んでいて、じつは、こういうスクリーンを持つ最大の楽しみは自分でそれを補修することにあるのだ。

  美術雑誌の色刷りページとか、クリスマスカード、絵はがき、広告、本のカバー、ときには煙草の箱に入っている景品用の引換え券まで使うことができる。一箇所は、もう一枚スクラップを貼れる場所がきっとあるもので、そこに慎重に選んだものを貼れば、かならずもっともらしい絵ができあがるのだ。

  というわけで、自分だけしか持っていない自家製のスクリーンでは、黒い酒瓶をかこんでトランプに興じているセザンヌの男たちが中世のフィレンツェの街路と鼻をつきあわせ、その街路の向こう側にはゴーガンの南海の島の住民がイギリスの湖のほとりにすわっていて、その湖では袖が三角形のブラウスを着た女性がカヌーを漕いでいる、ということになるのである。こういうものが、みごとに一枚の絵になっているのだ。

  こうしたものはすべて骨董だが、意外なことに、ジャンク・ショップでも実用品が見つかる場合もなくはない。

  リージェント公園に近いケンティッシュ・タウンの店では、空襲のあとでフランスの銃剣を六ペンスで買ったことがあるが、これは四年間、暖炉の火掻き棒代わりに使うことができた。そしてこの数年は、かんなのような大工道具とか、栓抜き、時計のネジを巻く鍵、ワイングラス、銅製の鍋、乳母車のスペアタイアといったものを買おうと思えば、このジャンク・ショップしかなかったのだった。

  どんな錠前にでも合う鍵が見つかる店があるかと思えば、絵を専門にあつかっていて額縁が必要なときに助かる店もある。わたしは絵を買ったあとに額縁だけのこして絵は棄ててしまうという方法で、何度も最低の値段で額縁を手にいれた。

  しかし、ジャンク・ショップの魅力は掘り出し物との出会いどころか、甘く見てもそのせいぜい五パーセントしかない美術的な価値とさえ関係がなく、その魅力は、だれの心にもひそんでいるコグルマガラス―――つまりこまかなものを盗みたがる本能にあるのだ。銅の釘とか、時計のゼンマイ、レモネードの瓶に入っているビー玉のようなものを、子供が集めたがるのと同じなのである。ジャンク・ショップを楽しむには、何かを買うどころか、買いたいと思う必要さえもない。

  トテナム・コートロードには、何年も昔から、汚くて手にとる気にもならないもの以外見つかったためしのない店が一軒あるし、逆にすぐ隣のベイカー・ストリートにはかならず欲しくなるもののある店がある。ところが魅力という点では、トテナムの店もベイカー・ストリートの店に劣らないのである。

  もう一軒チョーク・ファーム地区にも、古い金属製のガラクタしか売っていない店がある。ずっと昔からいつでも同じ、おんぼろな道具と半端な鉛管がトレーにならんでいて、入口を入ったところには、これもいつでも同じガスストーブが何台もおみこしを据えている。何か買ったこともなければ、買いたいと思うものを見かけたためしもない。それでいて、その辺へ行ったときには、かならずちゃんと寄って丹念に眺めないと気がすまないのである。



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一杯のおいしい紅茶

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一杯のおいしい紅茶

ジョージ・オーウェル

(『イヴィニング・スタンダード』 1946.1.12号)
(「一杯のおいしい紅茶」 小野寺健 編訳)


 手近な料理の本を開いて「紅茶」の項目を探しても、まず見つからないだろう。たとえ二、三行かんたんなことは書いてあっても、いちばん大事ないくつかの点では何の参考にもならないのが関の山なのだ。
  これは妙な話である。何しろ紅茶といえば、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドまでふくめて、この国の文明をささえる大黒柱の一つであるばかりか、その正しいいれかたは大議論の種なのだから。
  完全な紅茶のいれかたについては、わたし自身の処方をざっと考えただけでも、すくなくとも十一項目は譲れない点がある。そのうちの二点には、大方の賛同を得られるだろうが、すくなくとも四点は激論の種になることだろう。以下に十一項目、どれをとってもわたしがぜったい譲れないものを列挙する。
  まず第一に、インド産かセイロン産の葉を使用することが肝心である。中国産にも、いまのように物のない時代にはバカにできない長所はある。経済的だし、ミルクなしでも飲めるから。しかし、これは刺激にとぼしい。飲んだからといって、頭がよくなったとか、元気が出た、人生が明るくなったといった気分にはならない。「一杯のおいしい紅茶」というあの心安らぐ言葉を口にするとき、だれもが考えているのは例外なくインド産の紅茶なのである。第二に、紅茶は一度に大量にいれてはいけない。つまり、ポットでいれることだ。金属製の大きな紅茶沸かしでいれた紅茶はかならず不味いし、軍隊の、釜で沸かした紅茶となったら、油や石灰の臭いまでついている。ポットは陶磁器、つまり土でできたものでないとだめなのだ。銀やブリタニア・メタル(スズ、アンチモニー、銅などによる、銀に似た合金)製のポットでは不味くなるし、エナメルのポットはなおいけない。ただし、不思議なことに、さいきんではあまりお目にかからない白目(スズなどが主体の鉛などとの合金)のポットは意外にわるくない。第三に、ポットはあらかじめ温めておくこと。これにはよくやるようにお湯ですすぐよりも、ポットを暖炉の棚から突き出ている台にのせて温めるのがいい。第四に、紅茶は濃いことが肝心。一リットル強入るポットに縁すれすれまでいれるとしたら、茶さじ山盛り六杯が適量だろう。いまのような配給時代には毎日そんなまねはできないけれども、一杯の濃い紅茶は二十杯のうすい紅茶にまさるというのが、わたしの持論である。ほんとうの紅茶好きは濃い紅茶が好きなだけでなく、年ごとにますます濃いのが好きになっていくもので、この事実は、老齢年金受給者の配給量には割増があることでも証明されている。第五に、葉はじかにポットにいれること。ストレイナーを使ったり、モスリンの袋にいれたり、紅茶の葉を封じこめる細工を弄してはいけない。国によると、紅茶の葉には害があると思って、葉をつかまえるためにポットの口の下に小さなバスケットをとりつけたりしているが、紅茶の葉はかなり飲んでも害はないし、葉がポットのなかで動けるようにしておかないと、よく出ないのである。第六は、ポットのほうを薬缶のそばへ持っていくべきで、その逆ではだめだということ。お湯は葉にぶつかる、まさにその瞬間にも沸騰していなければだめで、となれば注いでいるあいだも下から炎があたっていなければいけないのだ。そのお湯もはじめて沸かしたものでないとだめだと言う人もいるが、これは影響がないらしい。第七は、紅茶ができたあと、かきまわすか、さらにいいのはポットをよく揺すって葉が底におちつくまで待つことである。第八は、ブレックファースト・カップつまり円筒形のカップを使い、浅くて平たい形のは使わないことである。ブレックファースト・カップならたくさん入るし、平たいカップでは、まだ満足に飲みはじめないうちに、かならず冷めてしまう。第九は、紅茶にいれるミルクから乳脂分をとりのぞくことである。乳脂が多すぎると紅茶はきまってむかつくような味になる。第十は、まず紅茶から注げということ。ここが、最大の議論の一つである。イギリスの家庭はどこでも、この点をめぐって二派にわかれると言ってもいいだろう。ミルクが先だという派にも、なかなか強力な論拠はあるけれど、わたしの主張には、反論の余地はないだろう。つまり、紅茶を先に注いでおいて後からミルクを注ぎながらかきまわしていればその量を正確にかげんできるのに、逆の順序でやったのではついミルクを入れすぎるではないか。
  つぎはいよいよ最後になるが、紅茶には―――ロシア式でないかぎり―――砂糖をいれてはいけない。この点は少数派であることくらい、充分承知している。しかし、せっかくの紅茶に砂糖などいれて風味を損なってしまうようでは、どうして紅茶好きを自称できよう。それなら、塩や胡椒をいれても同じではないか。紅茶はビール同様、苦いものときまっているのだ。それを甘くしてしまったら、もう紅茶を味わっているのではなく、砂糖を味わっているにすぎない。いっそ白湯に砂糖をとかして飲めばいいのである。
  紅茶そのものが好きなわけではなく、ただ温まったり元気が出たりするから飲むので、苦みを消すには砂糖がなければという人がいる。こういう愚かな人には、ぜひ忠告したい。砂糖抜きで飲んでこらんなさい、まあ、二週間くらい。まず確実に、二度と砂糖でぶちこわす気にはなれなくなるから。
  紅茶の飲み方をめぐる論議なら、まだまだつきないけれど、以上でも、この問題がどれほど凝った複雑なものになっているかはわかるはず。この他にもティー・ポットの周辺には不可解な社会的エチケットもあるし(たとえば、なぜ受け皿で紅茶を飲んではいけないのか)、運勢を占うとか、客の来る来ないを当てるとか、兎の餌になるとか、火傷の薬、カーペットの掃除用といった、葉の副次的利用法についてもいくらでも書けるだろう。ただ、ポットを温めておくとか、かならず沸騰しているお湯を使うといった細かい点にだけは気をつけて、使い方さえ上手なら二オンスという乏しい配給量でもとれるはずの、濃くておいしい二十杯の紅茶だけはしぼりだしたいものである。



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喜びをうたう

喜びをうたう
シラー

喜びよ、きみは美しい火花
 天のむすめ、
火のように酔ってわれわれは
 きみの神殿にふみのぼる。
神の力できみはふたたび結ぶ
 時の波濤(はとう)のへだてたものを。
人はみな兄弟だ、
 きみのやさしい翼のおおうところ。

    合 唱
さあ 抱きあおう 千万の人よ、
 この接吻を全世界に。
 兄弟よ――あの星空の上に
ひとりの父は住んでいる。

大きい願いがみたされて
 ひとりの友の友となったものは
やさしい女の愛をかちえたものは
 いや――この世に生まれて
たった一人の心をでも
 自分のものと呼べたものは
列にはいって歓呼の声をあげろ。
 そうでない者はすみへさがって
指をくわえているがいい。

    合 唱
この大球体を家とするものは
 たがいの共感をまもりそだてよ、
 星の世界へそれはみちびく
未知の神のいますところへ。

ありとあらゆる存在は
 喜びを自然の乳房から飲む、
善人も悪人も
 そのバラ色の足あとを追う、
それはわれらに
 接吻と葡萄と
水火を辞せぬ友とをさずける。
 肉体の快楽は蛆虫(うじむし)にあたえられたもの、
だが喜びの天使は神のまぢかに立っている。

    合 唱
ひざまづくのだね 君だちは? 千万の人よ。
 世界よ きみは造物主を予感するのだね、
 星空の上に彼をもとめよ、
星々の上に彼は住む。
喜びは自然を動かす
 つよいばね、
喜びこそは宇宙の
 時計じかけの車をまわす、
喜びは蕾から花をひきだし
 もろもろの太陽を大空に燃えたたせる。
喜びは学者の知らぬ星々をも
 空間におどらせる。

    合 唱
もろもろの太陽が
壮麗な青空を飛びめぐっているように
 兄弟たちよ たのしく君たちの道をすすめ。
英雄のように喜ばしく勝利をめざせ。

白熱する真理の鏡から
 喜びは探求者に微笑をおくる、
徳行のけわしい丘の頂上へ
 喜びは忍苦の歩き手をみちびいてゆく、
信仰のかがやきわたる嶺には
 喜びの旗がひるがえり
柩(ひつぎ)のさけめからのぞいても
 喜びが天使の合唱のただなかにいるのが見える。

    合 唱
堪えしのべ 雄々しく、千万の人よ、
 よりよい世界のために堪えしのべ。
 あの星空の上で
偉大な神はむくいてくれる。

神々はわれわれから報償をもとめはしない、
 それを神々に倣(なら)うのはたのしいことだ。
憂いの人も貧しい人もかくれているにおよばない、
 すすんでたのしいわれわれと一緒にたのしめ、
怨みも復讐も忘れよ、
 不倶戴天の敵もゆるそう、
敵を泣かすことも考えるな、
 悔恨が彼の骨を噛むことも願うな。

    合 唱
貸しも借りも水に流そう、
 全世界は和解せよ、
 兄弟たちよ――星空の上で
神はさばく、われわれはさばかずとも。

喜びは杯(さかずき)からほとばしる、
 こがねの葡萄の血となって。
それを飲めば食人人種にも柔和がやどり
 絶望の人にも勇気が芽ばえる。
兄弟たちよ、なみなみと酌(つ)いだその杯が廻ってきたら
 君たちの席からおどりあがれ!
その泡を天にむかって飛びちらせ!
 その杯を善い霊にむかってささげろ!

    合 唱
星の合唱が褒めたたえているもの、
 天使の聖歌があがめているもの、
 その善い霊にこの杯をそなえろ、
星空の上に住むあの巨きい存在に。

深い苦悩には不屈の勇気を、
 罪なく泣くものには救いの手を、
かたい誓いは永遠を、
 友にも敵にも真実を、
王座の前に立っては男子の誇りを――。
 兄弟たちよ、たとい財産と命をかけても
功績にはその名誉を!
 欺瞞のやからには没落を。

    合 唱
聖なる団結の輪をかたくしめろ、
 このこがねの酒にかけて誓え、
 盟約に忠実であることを。
かたく誓え、あの天井の父にかけて。



(手塚 富雄 訳)


※シラーのこの詩はベートーヴェンの交響曲第9番に使われている歌詞

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