夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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空気が綺麗な季節です

O.Mさま

毎日寒いですね。

少しずつ仕事にも慣れてきました。
多分、本当にできるようになるには1年でも足りないですが。

いろいろやりたいことはあっても生来怠け者で、
計画はたてるけど思ったように進みません。
だめですね。

この時季は寒いけれど好きで、歩いているだけでも楽しみを見つけられたものです。
裸の木の枝ぶりや、凍てついた空気や、冴え渡る夜空や。
今年はそんな詩的な気持ちになっていなくて、「生活」という感じです。

先週の週末は本を読んで過ごして、少し自分の内的世界を取り戻しました。

新しい仕事は、遠いせいもあって帰りが今までより遅いので、
夜はご飯を済ませるともう終わり、すぐ寝る時間になって何も進みません。
早くよいリズムを作らないと、毎日が無駄に過ぎ去りそうです。

O.Mさんはどのようにお過ごしですか?

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青の世界

青の世界



冬の木々に囲まれた、早い朝の世界は、
青の世界。

葉は全部落ちてしまっているけれど、
冬の光には「青」が多く、
どこもかしこも青の世界になる――

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金魚さんに思うこと

あるサイトに金魚さんという方がいらっしゃいます。
可愛らしいイメージのお名前。
きっとご本人も可愛らしいのでしょう。

どんな金魚かな?

夜店などでも見かける、オレンジ色の普通の金魚?
赤くてぷっくりした高価そうな金魚?
それとも赤と白の? 黒の? ひらひらは付いてる?
どんな金魚なんだろう?

そうしたら、「白い風船」という映画を思い出しました。
イランの映画だったと思います。

お祭りに使う金魚、お母さんは安い金魚を買ってあるけど、
女の子はひらひらがついた大きな(膨らんだ)金魚が欲しい。
ねだってねだって買いに行くことになるのです。
その途中でお金を落したりして色んなことがあって、・・・・・・
というお話です。

あの女の子の愛くるしい顔立ちと、
ひらひらのついた金魚の可愛らしさを思い出しました。

すごくほのぼのした映画でしたが、
出てくる少年が面白いので印象に残ります。

女の子の近所の噴水のようなところで金魚を捕る少年、
女の子のお母さんが「お店の金魚が欲しい」とねだられ、
少年に「店で売ってるのも同じ金魚よね?」と聞きます。
「同じだよ」と少年は仏頂面で答えます。
後で女の子がお店に買いに行くと、
ちょうど少年が捕まえた金魚を店の主人に売っているのです。

そりゃ同じだって確信もって言えるよね、
と思ってしまいました。

でも女の子が欲しかった金魚は、もう少し値の張る、ひらひらのついた金魚でした。
男の子が売っていたものは、もっと安い値段で売られている普通の金魚です。

「お店で売っているものと同じ」という少年の答えは、間違っていません。
「(私が欲しい)お店の金魚とは違う」という少女の言い分も、間違っていません。

金魚が必要なお祭りって、どういうものなのだろうと思いました。
イランでは新年に、7つの「Sがつくもの」とコーランと、
生命の象徴である金魚を飾るそうです。
金魚は新年が終わると池に放されますが、中にはそのまま飼う人もいるとか。

新年のお祭りだったんですね。
映画で見たイランの新年は、雪もなく、寒そうでもなく、木々は緑だったので、
「新年」という記憶が残っていませんでした。

金魚は生命の象徴だったのか――なんて、
ふとしたことから感慨深く金魚のことを思いました。

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霜に覆われる葉

霜に覆われる葉



葉の縁に――
ぐるっと霜が輪郭をつくる。

葉の形はくっきりと描かれ、
葉のおもてはうっすらと塗られる。

「冬」は精緻な技巧を成し遂げる。

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小鳥の楽園

以前、すずめの楽園を作りたいと思ったことがあります。
『楽園』なんて言うと大げさですが、餌場があって、すずめが遊びに来ると食べ物があるというものを想像していました。

まめなたちではないので、やったことといえばパンくずや米を撒くくらいです。

しかし、撒いた餌は少量でも、残された糞はいくつもあったので断念しました。
不精なので、糞で汚れたベランダを掃除するのが面倒だったからです。
その程度でやめてしまうくらいの望みでした。

しかし、夫がベランダで家庭菜園をするのだと言い出してから、楽園構想に近いものができました。

夫の菜園は実に大雑把なものです。
プランターと土と苗を買うだけ、世話といえば水か米の研ぎ汁をかけるだけです。

殺虫剤を使わなかったので、菜っぱには虫がたくさんいたらしく、夏はすずめが来ていました。
プランターにちょこんと飛んできて、土の上から葉の裏をつつくのです。
どうやら葉の裏においしい虫がいたらしく、よく何羽も来ていました。
トマトはすずめより少し大きい小鳥に食べられたことがあります。

そして今、冬は、大きめの小鳥がよく来ています。
なんという鳥かは分かりません。

秋の終わり頃まで作っていた菜っぱは、寒くなって大きく育ちませんでした。
大きくなったら食べようと思ったまま大きくならなかったので、放ってあります。
その葉はきれいに食べつくされ、茎の部分だけになっているものもあります。

不精からそのまま放置されていた冬枯れのベランダが、はからずも楽園化していました。

色焼けしたなすはそのままぶらさがっています。
おいしくないようです。

今度はプランターの土の上にお米やパンくずを撒いてみようかしら、と懲りずに考えています。
土の上なら、糞をされても気にならないでしょうから。

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40代の誕生日

買ったばかりの靴



40歳になるとしても、そのことを重く考えたことはなかった。

今日39歳だったとして、1分後に明日になって40歳になるとしても、
だから何が変わるっていうのだ?
1分でいきなりいろんなことが変わるわけはない。

体が急に年老いたり、考え方が急に老成したり、
急に好むものが変わったり、そんなことは起こらない。

でもある日、初めて人前で口にした。
「もうすぐ40歳になるし」

一夜明けて、思った。
そうか、昨日がわたしの40代の誕生日だったのかと。

まだ40歳になっていなかろうが、もう41歳になろうとしていようが、
それはまた別。
自分が40代だと自覚した日――それが40代のバースデーなのだ。

同じ外見をしていても、40代は「4」という響きがある分、年老いているのだ。
周りから見れば。

「私は○歳よ」と言ったとき、
今までなら「えー! 見えなーい!」だったものが、
「4」になったら「えー!!! 見えなーい!!!」となるのだ。
社交辞令でさえも、真実を露呈してしまう。

30代のうちは50代の人は言った。
「あなたはまだそんなに若いから」
でも40代になれば仲間に入れてくれる。
「まだ若いんだから」の影に、仲間意識が見え隠れする。

自分は何一つ変わらなくても、周りが変化するのだ。

見た目が変わらなくても、大人になりきれていなくても、
「40代」とみなされる日が来た。

それを自覚した日、わたしはいつもなら買わないような靴を買った。
もしかしたら、1回も履かないかもしれない。
でも――
40代のバースデーなら無駄な物にお金を使う贅沢をしてもいいと思ったのだ・・・・・・

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冬枯れの庭

わたしの家には冬枯れの「庭」はありません。ベランダになってしまいます。
それでもいろいろな植物をほったらかしにしてある今年は、冬枯れのベランダになりました。

ビタミン菜とかいう野菜はプランターの中で葉が枯れ、切り株のようです。
かさかさに乾いたトマトの茎や葉。近くを通るとがさごそと音がします。
小さいトマトが一つ、ぶらーんと垂れ下がり、そのまま萎れています。
まるで、柿の木のてっぺんに、鳥のために残してある熟れた実のようです。
ただし、熟れてはいなくてしなびています。
結局うまく実にはならなかったブロッコリの葉が黄色くなっています。
ずっと外に置いてみたパキラは白く枯れた葉の塊になっています。
昼間カーテンを閉めきっていることが多く、日照時間が足りなくていつも枯れてしまいます。
なので今年は、試みにベランダに置いてみたのですが、無理だったようです。
枯れたトマトにぐるぐると巻きついているマダガスカルジャスミンだけは、青々した状態を保っていました。
ですがそれも、ここのところの寒さでついに黄色くなり始めています。

萎れ、枯れ、色彩を失い、眠ったようになっている冬も実は好きです。
枯れた庭というのは、神秘的な歓びを隠していそうに見えます。
生命がないような侘しい様子ですが、でもこれは眠っているだけで、
土の中には芽吹きの萌芽が、命の萌芽があるかもしれないという予感に満ちています。

この荒れ果てたベランダも、鳥たちにとっては興味ある場所のようです。
これまでの冬には現れなかった数の鳥たちがやって来ます。

耳慣れないほど近くで鳥の声がする――すると、手すりの上で首を傾げている鳥がいます。
すずめしか見たことがないように思っていましたが、それ以外の鳥もこんなにいるんですね。
ベランダが広くないので、カラスのような大きな鳥はなかなか来られないようです。
すずめと、他にすずめより少し大きい鳥、すずめよりだいぶ大きい鳥がよく来ます。

こちらは何もしなくても、鳥たちは何かのきっかけで突然一斉に飛び立ちます。
ふと気付くと戻ってきて、プランターのへりに乗ったりしています。
ほったらかされている葉をついばんだりしているのです。
主にビタミン菜にばかり興味を示しているようです。

今年の冬は12月などとても暖かく過ごしやすかったですが、
やはり冬の醍醐味というとこういった凍てつく大気と、
息をひそめて眠りについている張りつめた空気のような気がします。

冬眠もせず活動しているわたしは、寒さに閉じ込められた世界の密室ぶりを感じています。
内に閉じこもった安心感のようなものが冬にはあるのです。
雪が降る日は、閉塞感は強まり、自分だけの孤独に包まれる気分を楽しむことができます。

わたしは関東地方の冬に慣れ親しんで来ましたから、ここで言う冬とは関東の冬です。
北の人の冬に対する思いとは違うでしょうし、南の人の冬に対する思いとも違うでしょう。
北とひとくちに言っても、雪が多いと少ないでは違うでしょうし、
太平洋側と日本海側と内陸ではまた違うでしょう。
日本だけでも違うのだから、カナダにはカナダの、イギリスにはイギリスの、
ニュージーランドにはニュージーランドの冬があり、さらにその中でも違いがあるはず・・・・・・

冬への思いはかなり個人的なものです。
イメージしている「冬枯れの庭」も、きっとわたしの中だけの世界なのでしょう。

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朝焼けと日の出

朝焼け

日の出



1月1日の太陽だけが特別なわけではない。
明日もあさっても、同じように日は昇る。

でも人の心次第で、物事は特別なものになる。

「元日の日の出だから」と思えば、特別になる。

何が特別で、何が平凡かは、
人の心で決まるもの。

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夢の海

「夢の海」という名前が決まって、偶発的にこのページが出来上がりました。

まず名前ありきだったこのブログ、ようやく始動させることになりました。

夢の海というのは、今はない月の海の名前です。

「静かの海」というのは有名です。
そんなふうに、月の海にはそれぞれ名前がついています。
豊かの海、雨の海、泡の海、既知の海、危難の海、賢者の海、蛇の海・・・・・・

月ですから、海といっても水があるわけではありません。
クレーターのない平らな土地のことです。

夢の海は、海と命名されましたが、後(のち)に湖とされました。

ですから今でも「夢の湖」はありますが、「夢の海」はもうないのです。
それも夢らしくていいのではないかと思いました。

このブログについては、どこまで続くか、どんなふうに続くか、夢のように漠然とした計画しかありません。

でももしふと、この「夢の海」を発見なさったら、末永くおつきあいいただければと念じております――

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