夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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桜と若葉

ここ10日ほど通っている仕事場の敷地には桜がたくさんあります。

花はまさに吹雪のように舞い落ちて、昨日今日は桜の花びらが道路に敷きつめられていました。
白っぽい花びらの吹き溜まりは美しいものです。

そして夏への序章です。
花だけが爛漫と咲いていた春の木々の様子はもうありません。
若葉が透き通った小さい顔を一斉に出し始めています。

見事な並木道を15分ほど歩いて仕事場に行くのですが、
ここが今、透き通る翠が陽光にきらきら輝いて素晴らしい緑のシャワーになっています。

夏の濃く分厚い深緑より、陽の光を通す瑞々しい明るい緑の方がわたしは好きです。

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春の宵

春の宵


闇になりきらない群青色の空。

春の宵の、夜のグラデーション。
時の経過と共に、色が変化していく。


春の宵


群青色がだいぶ濃くなった頃――
空に小舟のような半月が浮かんだ。

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4月某日

O.Mさま  4月某日

春ですね。
以前も申しましたが、この季節は道を歩いていると沈丁花が香ってきてほっとします。
前職時代はこの香りが、繁忙期で疲れた心身をいやしてくれるように感じておりましたが、今年はぬるま湯のような毎日です。
これは「いい職場」ということなのかもしれませんが、日々売上やコストを考えていたあの頃と比べると、覇気のないものに感じられます。

最近は本を読んだりするのは電車の中です。
細切れの時間なので、あまり続きものは読みません。

直近では、「イタリア ウンブリアで田舎暮らし」という本を読みました。
イギリスの人の間では、南仏やイタリアなど暖かい地方に憧れて、
余生を海外でというのが一時期はやったようですね。

著者はBBCのキャスターで超多忙な生活をしていたそうです。
引退の日からいきなり時間を持て余す、とならないように、
5年かけてイタリアとイギリスを行ったり来たりし、
徐々に仕事時間を減らしていったそうです。

イタリアでは古い農家を買い、改修したり庭仕事の楽しさに目覚めたり、
お定まりのオリーブを育ててオイルを取るとか(葡萄はまだ挑戦していないとか)、
イタリアならではの楽しみを始めています。
ウンブリアは中部で、まだまだ男性上位だったり貧乏な農民がいたりと、伝統的な暮らしが多いそうです。
雅趣のあるエピソードが多いと思いました。

BBCのキャスターだけあって、理屈や薀蓄が多いです。

その前は、アン・モロウ・リンドバーグの「輝く時、失意の時」という書簡集を読んでいました。
「翼よ、あれがパリの灯だ」のリンドバーグ大佐の夫人です。

有名人の妻になる大変さが明るく書かれている前半。
本当にリンドバーグは大スターだったようです。
メディアもアメリカ国民も彼に夢中で、映画スターと王族とを合わせたような騒ぎ。
結婚式も新婚旅行も極秘です。(でも見つけられたりしますが)
常に人目を考えた言動をしなければなりません。

中盤では夫に同行して、カナダのイヌイットが住む土地や日本、中国、インドなどを回る飛行をします。
外国の人が日本について描写するのを読むのは面映いものですが、リンドバーグ夫人の日本に対する見解はしっかりしたものだと思いました。

後半では幼い息子を誘拐され、騒動と心痛の中で冷静に淡々と状況を綴っています。
本当に辛いときって、そういうものなのでしょうね。

結局、数々の希望と慰めに反して、息子さんは遺体で発見されました。
その後の苦しみを乗り越えようとする努力までが書かれています。

一人の女性が、人生の様々な局面を生きていく様子とでもいいましょうか。
それは有名人の奥さんの書いたものだから面白いのでも、内幕が描かれているから価値があるのでもなく、
また、特殊な人生だから読むに値するのでもありません。
ある人がどのように真剣に生きたか、というところに感動するのだと思いました。

リンドバーグ夫人は「海の贈り物」という本を書いていて、それも読んだことがあるのですが、実に自立した女性です。
驚嘆します。
わたしも、危機のときどう行動するかはともかく、同じように自立したいものだとしみじみします。
難しいことですね。自立って。

何故か、最近は映像ものを楽しむ気がしないのです。
多分、ある程度時間をとらなくてはならないからだと思います。
本ばかり読んでいます。
――いえ、「ばかり」というほど多くは読んでいないですが。

O.Mさんは毎日いかがお過ごしですか。
突然寒い日もありますから、お体にはお気をつけてください。
では、また。おやすみなさい。





O.Mさま  数日後

やはりO.Mさんも「海からの贈り物」をお読みになったことがおありでしたか。
わたしは一度しか読んだことがありませんが、いい本でした。
いつかまた、年月がたったら読み返そうと思ったのを覚えています。

「イタリア ウンブリアで田舎暮らし」は古い友人にも話したのですが、
彼女からは「それはピーター・メイルが書いた本では?
ピーター・メイルはあまり好きではないので、
プロヴァンスの本も少し読んだところでやめてしまったけど」
というような返事が来ました。
彼女の言いたいこと(なぜメイルが嫌いかということ)もよく分かります。
確かに彼は毒が強くて、皮肉の色が濃いとろこがありますから、
プロヴァンスの「田舎人たち」を蔑視しているようにも感じられます。
でも、もちろん、ウンブリアの本を書いたのは彼ではありません。
イギリスの人の南への憧れは強く、そういった本は多いのでしょうね

桜が見ごろを迎えていますね。
わたしのうちの向かいに神社があって、そこの桜がとても綺麗です。
2,3本しかないのですが、毎日どこへ行くにもその下を通ります。
桜の天蓋をくぐっているようで、気持ちのいいものでした。
しかし、今年は桜が八分くらいになったとき、いきなり切り倒されてしまいました。
他にもたくさん、木を切っているようでしたが、
桜は咲いているさなかに突然なくなっただけに、驚きました。
痛ましい気がします。

今年もまた桜を見る時間をとれないうちに終わりそうですが、
近所でも、ほんの30分でもいいから、機会を持ちたいと思っています。

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救いの糸

救いの糸


今日、目黒に行ったのです。
帰りに通った道に大円寺があり、人がお参りしていたのでわたしも入ってみました。

たくさんの羅漢が並んでいます。
五百羅漢と書いてありましたが、本当に五百あったのか『多い』という表現だったのか、数えられなかったので分かりません。
お一人お一人、顔の表情が違っているのですが、遠い段の上のお顔はよく見えません。
ずらりと並んで、思い思いのポーズをとっておられます。

ゆっくり歩いて、境内を見て回りました。

ふきの葉に囲まれた小さなお地蔵さまがいて、舞い散るピンクの花びらを頭にかぶっていました。
お地蔵さまの後ろに花ももの木があったのです。
お地蔵さまの頭の上にも、ふきの葉の上にも、舞い落ちた花びらが彩りを添えています。
お地蔵さまが坐っておられる台座には、花びらが積もっていました。

ふきの葉に隠れてしまいそうな、可愛らしいお地蔵さまでした。

おみくじを引きたくなって、何回も振って出しました。
「いろいろの事に心を迷わさずひとむきにわがいとなみに勉強すべしとなり」とあり、ふっと肩が下がりました。

ここのところ、あれこれ思い悩むことが多くありました。
仕事でも、仕事そのものではなくて、そこにまつわる事情や人間関係など、余計なことで煩わされていました。
けれど考えてみれば、やるべきこと、やろうと思っていたことは中途半端で終わっている――文句を言わず、頑張ってみようと思いました。
「このくじを引いた人は、真を大切にして誠を尽くさねばいけないが、あとは目上の者が引き立ててくれるのでじっと待つように」というお告げでしたから。

   ひたすらに
   目当ての岸に
   進みなば
   波荒くとも
   終に渡れん

また明日になったら、あくせく思い煩うのでしょう。
でも、今日のところは、じっと表情を変えない石の仏さまに荷を代わっていただきました。

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桃の花

2007年
実は、去年、桃を買いました。
果物ではありません。樹木です。

600円くらいで安かったので、50センチから70センチくらいの木を買いました。
枝が2本ほど突き出ているような木です。
2株買いました。桃は1株だけでは実をつけないと説明が書いてあったからです。

でもすぐ枯れてしまいました。
桃は育てるのが難しいようです。
1つは早々と枯渇したようなたたずまいになりました。
もう1つは頑張って葉を伸ばしていましたが、冬の最中とうとうすべての葉が落ちてしまいました。

先に枯れた方には、芽が出そうな膨らんだものが、枝の先に幾つも付いています。
はっとしますが、いつまで待っても何の変化もなく、こういう状態でひからびているだけのようです。
状態を見たり、水をやったりするのは、もうやめていました。

3日ほど前ベランダに出たところ、後から枯れた方の桃の枝に、ピンク色がかったティッシュの切れ端がひっかかっていました。
あんなところにゴミがひっかかっている、と思いました。
取ってあげようと近寄ると、頼りなさそうな弱々しい蕾でした。

本当に鼻紙が小さくまるまっているのかと見まごうような蕾でした。

わが家は大騒ぎ。

その後、頼りない弱々しい蕾は、頼りない弱々しい花弁を広げ、今にも吹き飛びそうな花を咲かせました。
細く短い枝が3方に分かれた小さい木に、しょぼくれた花が一輪だけぽつんとくっついています。
これから葉が出て大きくなっていくのか、まだまだ分かりません。

でも、もうだめだと思っていたものが甦るのってなんだか嬉しいですね。



2008年
2年前になるのでしょうか。
春だったのか、秋だったのか、はたまた夏だったのか――。
冬でなかったこと以外は忘れてしまいましたが、桃の鉢植えを買ったのです。
2鉢買いました。桃は1本では実をつけないと書いてあったので。

ですが、その年の冬が来る前に、1鉢は枯れてしまったようでした。
分からないので、ずっとそのまま置いてありましたが、春が来ても夏になっても生き返りませんでした。
残った1鉢も葉が落ち、わたしと夫は何も知らなかったので、枯れたかと思い込んでいました。
落葉するとは思わなかったのです。
では常緑樹だと思っていたのかというと、そうでもなく――何も考えていなかったということでしょう。

桃はほったらかされました。

翌年、まだ風の冷たい季節に、ふと見るとちり紙の切れ端がひっかかっていました。
どこかから飛んで来たのだと思い、取ろうとすると、花でした。
たったひとつ、ぽっかりと咲いていました。弱々しく萎びた花びらでした。

それが今年は満開になり、びっしりと花をつけました。
花は白っぽい色でしたが、春の日差しが強くなるにつれて濃くなっていきました。
最後には、まさに桃色の花がぎっしり咲いていました。
桃は、桜と違い、しっかりと枝にくっついていて、長く楽しめました。

今は緑の細い葉が出て、びっしり枝を覆っています。
完全に元気になりました。
1鉢しかないせいか、実は気配もありませんが、葉は元気に出ています。
ただ、幹にあたると思われる枝の先端を切って売られているので、上に伸びません。
ひたすら横に枝が垂れ下がるだけなのです。
これはどうしたらよいのか分かりません。

そして、困るのは、桃にくっついているヤドリギも元気に伸びることです。
これこそが桃本体なのかと思うくらい、威勢のいい木なのです。
油断するとすぐに大きくなってしまいます。この木は上に伸びます。
切ってもまた伸びます。
今もまた、脇のほうから葉が顔を出しています。あっという間に大きくなるでしょう。

なんだか――その元気さが、羨ましいくらいです。

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桜の水辺

桜の水辺


水辺のからし菜。

散りかけた桜の天蓋。

水ぬるむ春、
黄色と桜色が緑に映える。

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アナウンス

今日、とある駅で停まっている電車の中にアナウンスが流れました。

「先に運行している準急電車の構内に・・・・・・立ち入ったため・・・・・・」

単純に「あ~人が入ったのね~」と思っていました。
そういうことはよくあるので、さして気にもせずに本を読み続けていました。

するとまたアナウンスがあり、人がザワザワし始めました。
「先の準急の・・・・・・敷地内にこうしが入ったため、この電車しばらく停車しております。
お急ぎのところ大変・・・・・・」

「こうし?」「子牛?」という声があちこちで囁かれました。

このアナウンスの男性、ボソボソした喋り方なので、よく聞き取れません。
この路線の電車では、どの人もなぜか大抵、聞きとりにくいのです。
でも確かに「こうし」または「こおし」または「こーし」と言っているように聞えます。

このように聞き間違うとしたらどんな単語なのか、想像もつきません。
皆さん首を傾げて考えている空気。
まさか「人」と言っているのが「子牛」に聞えるはずはありませんもの。

「え~、この電車の前を―――」とアナウンスがみたび始まると、車輌内がしんとしました。
皆で耳を澄ませている雰囲気が漂います。
やっぱりはっきり聞き取れなかったのですが、またもや「線路内に子牛が入ったため」と聞えます。
でもこのあたりで子牛を飼っている人がいるとは思えないけれど。

あれはなんだったのかなあ。

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桜の道

桜の道


桜の咲く道沿いに、
人々が歩く。

日はうららか。
4月の光。

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世界が音をたてて春になる

今年の春は速い。

冬は寒かったので、春の到来は早いかと思ったがそうでもなかった。
冬将軍はいつまでも居残った。
3月もだいぶになって、ようやく春を確信できるようになってきた。
少し暖かい日があって春が来たと思っても、翌日はまた冷え込み冬のコートを着る、なんてことが多かったのだ。
「やっと・・・・・・!」という気がする。

ところが、一旦春が来るとなると、その勢いは爆発的になった。

梅の花が咲き始めて、寒い日が続くと心配になったりしていたが、ここのところ暖かい。
するともう梅は散り始めていた。
いよいよ春の花々に道を譲る日が迫っているらしい。

1週間前に散歩した時に、裸の木を写真に撮った。
冬の木々の、枝ぶりも露な様子が好きだからだ。
今日、1週間経った土曜日、同じ場所を通ると、その木は緑色に萌えていた。
瑞々しい透明な新芽がいっせいに芽吹き、枝を覆っているのだ。

いつのまにかあちこちの庭で、花が咲き始めていた。
花壇では冬も咲いていた、パンジーだのデイジーだのとは違う花。

××川に沿って朝散歩したときに、桜の木に花芽が膨らんでいるのを見た。
開花も間近だと思った。
膨らんだ花芽を写真に撮った。
しかし間近どころではなかった。
午後、××の公園に行ってみると、1本の桜が3部咲きになっていて、風に揺れていた。

家の玄関を出ると、道を挟んだ向かいの一軒家の、欄満に咲き誇る木々が見える。
薄いピンク色の花や白い花がついた木々は、桃なのか梅なのか他の何かなのか。
今年も見事に満開になって、美しいと愛でていた。
しかしもう今日あたりは、花の間に葉が出始めている木もある。
こうなると美しさの絶頂は過ぎてしまう。

世界が音をたてて春になっていく。
生き急ぐように芽が伸びて行く。

沈丁花がもう香っている。
公園に行ったら菜の花がたくさんあり、そういえば菜の花の香りとはこんなものだった、とつくづく思った。
が、きっとすぐに花期も終わってしまうのだろう。

だって、こんなに速く速く世界が動いているのだもの。

                               2006年 春 記す

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