夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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春の終わりに――

ギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」の春の章の終わりは、次のような断章でしめくくられている。

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     二十五

  今日も好きな小道を歩きながら、その道が「さんざし」の散った花で一面におおわれているのをみた。クリームがかった白い色をみせ、朽ちながらも馥郁たる香を放ちながら、この5月の花は一面に散りしいていた。春もすでにすぎたことをそれは物語っていた。
  春を私は充分に楽しんだであろうか。私に自由がもたらされた日以来、4度も新春を迎えた。そしてスミレが散りバラが咲く頃になると、この天の賜物をせっかく身近にありながら、充分味わうことがなかったのではないか、といつも不安に思うのだ。牧場に行けば行けたのに、多くの時間を読書に費やしてしまったりした。えられた効果は結局同じであったかどうか。半信半疑で、私はわが心の言い訳に耳を傾けるのである。
  私は喜びの瞬間の数々を思いだす。開いた一つ一つの花を見つけたり、一夜にして緑におおわれて芽ぐむ枝をみて驚いたりした。あの喜びの瞬間を思いだす。「りんぼく」の枝に初めて雪のように白い花が輝くように咲いたのも私は見逃さなかった。見なれた土手の近くで、早咲きの桜草を私はいつも注意した。その叢(くさむら)の中でアネモネも見つけたものだ。「きんぽうげ」で黄金色に輝く牧場、「りゅうきんか」で照り輝く窪地など、長い間私の目をとらえて離さなかった。「ねこやなぎ」が銀色の柔毛(にこげ)をもった玉で照りかがやき、金粉できらきら光るのも私はみた。こんな平凡な光景も、見るたびごとにいっそうつのる驚異の念をもって私の心はうたれるのである。これらも再び去っていった。いよいよ夏かと思うと、不安の念は喜びの念とまざりあってわが心に生じてくる。

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これを読んで、わたしはこのように日記に書いた。
3月の終わりのことだった。

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今年の春はまだこれからだ。まだ3月が終わったばかりだから。

4月の華やかな花々の季節が残っている。5月の若葉の季節も残っている。

5月も半分くらい過ぎた頃、初夏の風が吹くときに、
わたしたちも後悔しないほど春を楽しめているだろうか。

わたしたちはギッシングのように解放されていなくて、仕事だの家庭だのに縛られている。
それに4月から新しい年度が始まる日本では忙しい時期である。

それでも、通勤するとき桜が咲いていたら、足は止めなくても目線をそちらに向けてみよう。
道端にアスファルトの間から小さく花を咲かせている雑草を見かけたら、心を向けてみよう。
空の青さが冬とは違うと感じたら、少しだけ顔を上げて遠くの空を見てみよう。
春の花が香ってきたら、歩きながら一瞬だけ眼を閉じて香りを楽しもう。
玄関のドアを開けたら、道を挟んだ向かいの家に花をつけた木々があれば微笑もう。

そんなふうにして、自分で満足できるくらいに、日々の中で春を楽しもうと思う。

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そして今、問われている。
「春を私は充分に楽しんだであろうか。」と。

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雨上がりの空

雨上がりの空


雨上がりの休日。

快晴。

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人生の損得

M.Oさま

かっこよさと素晴らしい人生の相関関係ですが、
・・・・・・多少はあるのではないでしょうか。

美人な人は楽しい思いをする可能性も多くなるし、
頭のいい人は有利なことがある可能性も多くなるし、
人格的に優れている人は人脈や運に恵まれる可能性が多くなるし、
結果として「素晴らしい人生」を送れる可能性が多くなりそう・・・・・・
という気がします。

その分、美人な人は若さに執着しやすくなったり、
頭のいい人は傲慢になったり、
人気者は妬まれたりして、
「素晴らしくない人生」になるリスクも
少しばかり多めにあるかもしれませんけど。

春とはいえ、肌寒い日もあります。
ご自愛ください。

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白バラ

白バラ


青い空には白い雲が似合うように、
白いバラもまた似合う。

まだ夏の暑さはなく、
大気は透き通っている。

白は冴え、
空は冴え、
光は冴える。

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今だけ、目黒まで通勤しています。
電車は行きも帰りもぎゅうぎゅうです。
みんな、よくこんなぎゅうぎゅうの電車で毎日通っていられるなあ、
と感心してしまいます。

今日、帰りのぎゅうぎゅうの電車の中から、虹を見ました。
太い虹が地面から突き出ていました。
7つの色もはっきりと見えて、大きく、堂々とした虹でした。
「あれ、虹じゃない??」というようなぼんやりしたものではなく、
見間違いようのない虹でした。

電車の中にはたくさんの人が鮨詰めになっていましたけど、
虹を見た人はそんなにいません。

坐っている人は背中に目がないので気づかないし、
向かい側に坐っている人は立っている人が壁になって見えません。
立っている人も、虹が見える方の窓に面している人しか見られません。
見える位置にいる人でも、本や雑誌を読んでいる人は気づきません。
疲れてぼんやり目を閉じ加減にしている人は知らないままです。

「虹が出ていますよ」と周囲の人に大声で教えることはできないので、
黙って見ていました。
少し離れたところに立っていた、髪を後ろで束ねた男の人も、
ドアのガラス部分から、虹の方角をずっと見ていました。

駅が近くなると、ビルが増えて見えなくなります。
駅に近いところはビルばかりなのでずっと見えません。
でも辛抱強く見ていると、電車が発車してまた現れるのです。

6つ目の駅を過ぎたところで、とうとう消えてしまいました。

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ハナミズキ

ハナミズキ


光輝く季節には、
光輝く花が咲く。

目の覚めるような白と、
はっとするような赤の、
花水木。

空気は光り、
花はそれを受けて、
照り輝く。

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新緑便り

O.Mさま

新緑の季節になりましたね!

わたしは桜の季節よりもこの葉っぱの季節の方が好きかもしれません。
先日の日曜日、夫と代々木公園&明治神宮に行って来ました。
この時季の葉は、まさに萌え出づる若緑、日に透けて輝いています。

代々木公園は広々として開放感に溢れた魅力あるところですが、
わたしは明治神宮に感動しました。

明治神宮は今回初めて参拝しました。

入り口を入ると、道の両脇に実に見事な堂々たる木々の壁がそびえていて、圧巻です。
敷地面積としては思ったほど広くないはずなのですが、
参道の配置や木々の重なりが、広大な森の中を歩いているような錯覚を起こさせます。

木がこれほど防音効果が高いとは。
参道も境内も実に静かです。
玉砂利はちょっと歩きにくかったですけどね。

身を清める意味で口を漱ぐ水を、ゴクゴク飲んでいる外国の人、
おみくじというから引いてみたら明治天皇の詠んだ歌だったという顛末の「大御心」、
見渡す空に電柱もビルも見えない清清しい蒼穹、
絶対日本人は買わないだろうという「神風」の文字や富士山の絵のついたキャップ、
などなど、いろいろありました―――

が。

なんといっても特筆すべきは、やはりあの見事な木々です。
日本中から集められたという風格と威厳を感じさせる大木が幾重にも取り巻いて、
爽やかな空気で包んでくれます。

この時季に行って本当に良かったです。
英気を養いました。

原宿には、若者の賑わう喧騒からほんの少し入るとこのような場所があったり、
東郷神社があって骨董市が開かれていたり、
浮世絵美術館があったり、――興味のつきない街ですね。

その中でも、明治神宮の荘重な鳥居や清らかな大気、
威風堂々たる木々は素晴らしいです。





N.Tさま

昨日は暖かい日でした。

本当に、この季節は至るところに美しい緑が萌えていて、
どこを見ても心弾む季節です。

これが夏の葉ともなると色も濃くなり、埃をかぶったりしてくすんできますが、
初夏の若芽というのは美しいことこの上なし。

通りがかりの家々の庭先や街路樹の枝に芽吹いてきた葉は、
透きとおって日に輝き、匂いたつような瑞々しさを放っています。
道端、塀の隙間、アスファルトの間、空き地、
ほんの小さな割れ目から、ちょっとした広さの土地まで、
いたるところに草の葉が伸びています。
ぎざぎざの葉、小さな葉、細く上に伸びている葉、
丸みを帯びた葉、赤みがかった葉、
若芽と同じ色の茎、細い茎、丸く真っ直ぐな茎、
黄色い花、白い花、紫の花、青い花――――

そこいらじゅうに生まれ出た喜び、生きている喜びが踊っています。

夏そのものはあまり得意ではありませんが、
夏の前の、初夏と梅雨の季節は、水と緑と瑞々しさに満ちていて、美しいです。

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水を張った田

水を張った田


この辺りでは、ゴールデンウィークの頃が田植えの時季だ。

七連休、十連休と休みを伸ばして旅行に行ってなど、いられない。

掘り起こされた田には、水が張られ、順々にトラックがやってくる。
軽トラックには苗が積まれているのだ。

そして人々がやってくる。

大きな機械が、精確に同じ間隔をあけて、苗を泥土の中に埋めていく。
田の端っこ、機械がぴったり通れない場所には、人々の手が埋めていく。

こうして一分の隙間もなく苗が植えられ、後は成長するばかり。

連休明けには家族の半分は、苗の成長を水と光に任せて、出勤する。

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