夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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覚えていますか?

覚えていますか?


あなたがお店を辞めて、どのくらいになるでしょう?
ご無沙汰ばかりしているけれど、元気でやっていることでしょう。
まだ小さいお子さんも、きっと元気で、可愛い盛りですね。

覚えていますか? ××さんのこと。優しい笑顔でよくお店に来てくれた・・・
あの方のお宅は改装して、娘さんがブティックを始めましたよ。

駅前には大きな病院ができて、そのためにずいぶん薬局が増えました。
前から駅の近くに3つはあったというのに、そのほかにもう4つ。
薬局だらけになりました。

駅前のスーパーでは、通院の人のために、
マクドナルドが開店時間を1時間早めたんですよ。

あの頃はなかったマンションがいくつも建っています。

西友の向かい側にあったコンビニエンスストア、あそこはつぶれました。
後にはクリーニング屋さんが入ったけれど、それもなくなってしまいました。
今は子供と一緒に入れる喫茶店になっています。

何度か一緒に行った駅のところのレストラン。
メニューが改良されて、おいしくなりましたよ。とても混んでいます。

わたしたちが働いていたお店は、人もずいぶん変わり、やり方も変わりました。
今は景気が少し落ち着いたのか、あの頃より好条件で募集しています。

元気にしていますか? ずっと会っていないけれど。

今日、お誕生日だったよね。おめでとう・・・・・・

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どくだみの花

どくだみの花


どくだみ、どくだみ。

独特の香り。

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お礼

Iさま

先日は偶然お会いして、スケッチを見せていただくことができ、大変嬉しいことでした。
あのように素晴しい絵をお描きになっていらしたとは、存じませんでした。

普段会社では、あまり関わることのない仕事ですが、
Iさんのイメージと同じ印象の絵でした。
まっすぐで、正統派で、正確で。
水彩は、油絵ほど色が濃くなくて、鉛筆の線も残る濃淡で柔らかいものですが、
それでもそのまっすぐさはしっかり伝わってくるのです。

足し算も引き算もない、あるがままの姿をきちんと描いていらっしゃる描写は、
風景写真のようでした。
でもやはり写真とは違うので、そこにいた感動や喜びやその他の感情が、
絵の具に写り込んでいるのでした。

本当にただの趣味、とおっしゃっていましたが、
もったいないくらい素敵でした。
ですが、「趣味」としてただ自分のために描いていらっしゃるからこその、素直さ美しさなのかもしれませんよね。

そういう清々しさのようなものが、Iさんの絵にはあって、
それがわたしの心を明るくしました。
「いいものを見た」という気持ちになったのです。
たまたまあのお店でお昼をいただかなかったら、
偶然会うこともなく、偶然絵を見せていただくこともなかったわけです。
それを思うと、幸運だったように感じられ、うきうきして会社に帰りました。

こんな弾むような気持ちにさせてくださったことに、お礼を申したいです。
ありがとうございました。

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浮かぶスイレン

浮かぶスイレン


池に咲いているスイレン。

美しい花がぽっかり浮かんでいる。

水の中には何があるか、
水の底はやはり美しいのか、

池の水は透き通らず、
中を見せてくれない。

でもどんな淀みからも、
こんなふうに美しいものが咲きいづることがある。

その美しい花弁には、一滴の汚れもなく。

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お盆

東京では、7月になるとお盆グッズが出回ります。
スーパーに買い物に行くと、小さな籠に入ったお盆用の野菜セットや、
なすで作られた馬などが目につくようになります。

わたしの田舎は関東ですが、お盆は8月にします。
でも東京では、7月に済ませてしまう家も少なくないのです。

以前働いていたところでは、一軒の家を構えた人生の大先輩がいました。
その方は、7月になるといつも忙しくなりました。
「あんた、もう大変よ。今日は帰ったら近所の新盆の家に行かなくちゃならないわよ。
明日は知り合い2人と待ち合わせて、××さんちに行くことになってるし。
今年は新盆が多くて大変よ」

その方が言うところでは、8月のお盆休暇は「休暇」として楽しむもの。
旅行に行ったりするから、線香をあげにいくことができない。
また逆に、来られるほうも、「休暇」として楽しめないから、8月では困る。
ということで、7月にお盆参りなどは済ませてしまうのだと言うのです。

当然7月はお休みでも何でもありませんから、
お線香をあげに行くのは仕事が終わった夜です。
お客さまを迎えるほうでも、夜でないといらっしゃらないこともあります。

それはそれでいいのかもしれない、と思いました。
わたしの田舎では、亡くなった人がいる家では、
お盆の間は誰かしら家にいなくてはなりません。
近所の人や親類の人、または故人の知り合いが訪ねてくるかもしれません。
日常の買い物に行くにも、誰かが家に残るように配慮します。

土地によって習慣はいろいろです。

わたしは大先輩の職場の方に、「しんぼん」と言って笑われたことがあります。
わたしの家の周辺では、「にいぼん」とは言わず「しんぼん」と言うのですが、
何度説明しても納得してくれませんでした。
わたしがその当時若かったために、
物を知らない若い子の勘違いと思えたのかもしれません。
「あんた、そんなことあるわけないわよ。しんぼんだなんて。笑われるわよ」

でも本当に「しんぼん」とお年寄りまで言っていたのです・・・・・・。
「にいぼん」という読み方を覚えておくのはいいことだとは思いますけど。

このことを7月になるといつも思い出します。

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ガクアジサイ

ガクアジサイ


綺麗に咲いたガクアジサイ。

小さな青い花がぎっしりと。

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Dearest

N.Tさま  某日

トマトはわさわさ大きくなりました。
でも本当は、もっと早い時期に不要な葉や茎を摘んでおかなければならなかったのですね。
夫が義父に聞いていました。
植物を相手にするのって奥が深いですね。本当に。

夫は実が食べられるかどうかなどどうでもよいようで、
トマトの苗が何倍にも育ったのを見て喜んでいます。
パプリカとシソの苗を一つずつ買ってきて、植えました。
わたしはマダガスカルジャスミンを買いました。
匂いに惹かれるので、こういうほうが好きです。

N.Tさん、お疲れのようで少し心配です。
何もお力になれなくて歯がゆいです。ぐちでもなんでもお聞かせ下さい。
と言っても、そういうときはどうしようもないのが痛いほど分かります。

今の季節はあじさいや菖蒲が綺麗で心が和みますね。
梅雨にまかせて静かな毎日を送られますように・・・・・・




N.Tさま  その1ヶ月後

トマトは実がなりました。でもまだ緑です。
なかなか大きくなりませんけど、そういうものなのでしょうか?
トマトというのは取ってから赤くなるのですか?
ピーマンもひとつだけ買いましたけど、実どころか小さいままです。
夫はわたしより向いてるみたいですね。園芸。
わたしはおまかせです。
でも植物を育てている夫はずいぶん楽しそうで、癒されているようです。
そういう効果が土いじりにはあると聞きましたが、本当だなと実感です。

前にお話したホブデーという人の「ウンブリア地方で田舎暮らし」という本を覚えていらっしゃるでしょうか。
その本の中でも紹介されていたエリザベス・ローマー著「イタリア・トスカーナで暮らして」を手に入れましたので、読んでみるつもりです。
結局のところ、田舎に暮らそうと思い立つ人はたいてい土いじりをしたくなるのですね。わたしも緑は大好きです。水の流れる音も日の光も大好きです。

Tさんのお庭、今度見せていただくことができたらと思います。

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ねじばな

ねじばな


どうしてこんなふうに咲くのだろう。

どんなに華美に着飾っても、
神さまが咲かせる野の百合にさえかなわない、
という有名な言葉が聖書にあるけれど、

自然はときどき、面白い造形をする。

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6月某日、読書

『心地よく秘密めいた場所』という本、以前に読んで好きだったのですが、
久しぶりに読み返してみました。
ピーター・S・ビーグルという作家の本です。

ニューヨークにある大きな墓地。
そこには初老の男が住んでいて、死者たちの話し相手をしているのです。
死者たちは、墓地に来た当初は話をしたがります。
やがては色々なことを忘れていくのですが――
そのときに死者たちがどうなるかは、男は知らないのです。
自分は死んだことがないからです。

この物語りに登場するのは・・・・・・
墓地に来たばかりの若い男の死者、その後やってきた若い女の死者、
初老の男を養うカラス。
少し不思議な感性を持った墓地の管理人(たちのうちの一人)、
夫の墓参りに来る中年(?初老?)の女性。

ばらしてしまうと、色々なことがあった末、
物語のラストで初老の男は墓地を出ることになります。

でも、それが、自然で何気なくて、よい終わり方だと思いました。
きっと善悪をきっちりつけていないところがいいのだと思います。

人は墓地を出て自分の人生を精一杯生きるのが善い、とも言っていないし、
このまま墓地で死者のために話し相手を務めていけなくて残念なことだ、とも言っていない。
「そうだ!そこを出て、頑張って日常の暮らしをしたまえ!!」という気負いもないし、
「結局人はこんな風に死者の相手をしては暮らせないのか、なんて悲しいことなんだ!!」という憤りもない。
初老の男には、彼なりの苦悩もあり、逡巡もあるにせよ、それらは淡々と描かれています。

あとがきをパラパラ見ていて、この作家の別の本が翻訳されていることを知り、読みたくなりました。

『最後のユニコーン』というファンタジーのような物語です。
それを言うなら『心地よく秘密めいた場所』もファンタジーと言えるでしょうし、
普通の小説とも言えます。
あまりきっちりしたジャンルをつけられない作家です。

今日、その本『最後のユニコーン』を読み終わりました。
期待を裏切らない出来栄えでした。
『心地よく秘密めいた場所』とはまた違った本ですが、同じくらい良いです。

『最後のユニコーン』は、美しい表現が印象的な物語です。
「まるで月夜に降る雪のような」音だったり、
「その瞳の中には緑が」あったりします。
ひとつひとつ覚えていないのですが、
とても綺麗な言葉がそこここに散りばめられています。

そしてそのストーリーも、美しく深遠な印象です。

ですが、やはりそこにははっきりした意味は与えられていない。
与えられていたとしても、読者に「これこれこうですよね」「このことにはこんな意味があります」とは言わない。
そういうところが好きです。
千変万化の幻のように、読む人や読む時期でいろいろに読み取れそうな本――。
それでいながら、はっきりした思想があるように思える本――。
読者は結局、どちらなのか分からないままになっているように思います。
押し付けるところが全然ないのです。
でも、「好きに読み取って」という本ではないのです。

雨に降り込められた静かな日に読めたのが幸せだったと思います。

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