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夢の海

――すべてうつろうその果てに――

秋を楽しみきれない間に、秋が終わってしまいます。
――いえ、終わりはしないのですが、でも「○○の秋」と言うとき、
その楽しみは主に10月のことではないでしょうか?
暑さがまだ残る初秋の9月や、寒さが始まる晩秋の11月ではなく、
10月仲秋こそが楽しい秋の本番のように思えます。

食欲の秋。
栗ごはんは食べたでしょうか?
さつまいものお菓子は?
松茸は少しは口にできたでしょうか?
旬を迎える果物、柿、いちじく、梨、葡萄・・・・・・。

芸術の秋。
あちこちで開催される展覧会、どれだけ行ったでしょうか?
大きな国立の美術館から、小さな土地の美術館まで、
いろいろなテーマで開催されています。
舞踊、演劇、音楽、大小さまざまな舞台がありました。
何かを見に行ったでしょうか?
書道や絵画、何かを楽しんでみたでしょうか?

スポーツの秋。
せっかくの秋晴れの日は、何かスポーツをしたでしょうか?
ハイキングやピクニックに行ったでしょうか?
登山も気持ち良かったでしょう。
せめて近くの公園ででも運動したり、
遠くまで行かなくてもウォーキングをしたり・・・・・・。

読書の秋。行楽の秋。文化の秋。

・・・・・・

とてもそんなにできません。
いっぺんにあれもこれも差し出され、でも仕事も忙しくなる時季、
気がついたらめまぐるしい思いだけで終わっていました。

いたるところに「○○の秋!」と銘打って楽しいことが提供されています。
でも欲張らずに、しぼっていかなければなりませんね。

20代だったら、季節なんて無視して、オールシーズン邁進していけばいい。
30代だったら、体力にまかせて、楽しいことをすべてやってみたらいい。
でも40代になったから、40代のように選んで楽しむようにしていかなければ、
と悟りました。

50代60代になっていったときは、どのような楽しみ方になるのでしょうか。

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赤い実、ついた

赤い実、ついた


秋も深くなったから、
斜めの日差しに赤い実ついた。

金の日差しに透ける葉脈。
斜めの日差しに実の影落ちる。

つやつや、ぴかぴか、
赤い実ついた。

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鬼が笑う

来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、10月になると「来年」というのが存在感を増してきます。

家計簿やスケジュール帳の発売時期は早まるばかり。
10月には翌年の家計簿が勢ぞろいし始めます。

出遅れたら、発売した頃には「あら、この家計簿素敵ね。でも来年のはもう他のを買っちゃったわ」となるかもしれません。
どこかが時期を早めれば、他の会社も追随せざるを得ません。

スケジュール帳も今は10月始まりのものもある時代。
10月始まりなのですから、10月には当然売っていなくてはなりません。

「年賀状も12月になって準備すると遅いんだよなあ」
「自分は11月からどの写真を使うか考え始めるよ」

でも、年賀状ばかりは何が起こるか分からないものです。
用意していたら喪中になってしまったり、「喪中のため」のハガキが来て予定枚数が狂ったり。

年賀状ばかりは?

いえ、何事も分からないものです。
定かなことはないのですから――。

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山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

山のきのこ

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月のうさぎは だんごが作っている

『月のうさぎは だんごが作っている』

しおりに書かれていた言葉。

そのしおりは、文化祭で配られるはずのものだった。
「文化祭は明日」という日だったので、夕方遅くまで準備で忙しそうだった。

わたしは自分の仕事を終え、文化祭には関わりがなかったので、帰ることにした。

帰る前に準備をしている教室に入ると、ずいぶんにぎやかな飾り付けだった。
「ご自由にお持ちください。この教室で作られた作品です」
として、来年のカレンダーが並べられている。
しおりが並べられている。
ブックカバーが並べられている。

しおりには、絵だけのものもあるし、字と絵が描かれているものもある。
絵は実習としてパソコンで描いたもの。

たくさんのしおりが展示されているのをゆっくり見ることができた。
明日の当日は人がたくさんいて、なかなか見られないのだろうな。

「私はこの絵が好きですね」
「こっちもいいですよ」

話しながら見ていたら、誰かが気づいた。
「これ、文章が間違ってますね」

うっかりミスではない。
このクラスには聴覚障害の人もいて、音で聞かないので「て に を は」が苦手な人がいるのだ。
「あー、これ、きっと××さんが作ってたやつだわ」
「去年ですね」
「あ、××さん、もういらっしゃらないんですか」
「もう修了したんですよ。就職が決まりましたよね、確か」
「そうそう、何の会社だったかな」
「××さん、てにをはが苦手だったから・・・・・・」

××さんという彼だか彼女だかは、普通に入力しただけなのだけど、間違ってしまった。
誰もそれに気付かないまま、こうしてできあがってしまった。
もうその人はいなくなっていたけど、去年作ったそれもいくつか混じっていた。

なんかシュールでいいんじゃないですか?

職員たちはそう言い合って、そのままにした。

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赤の競演

赤の競演

赤の競演

赤の競演

赤の競演

赤の競演

赤の競演

赤の競演

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人生の時季

O.Mさま

メールを整理したのですが、ここ2年ほどのメールはそれ以前の2年くらいのメールと随分違います。
自分を取り巻く環境も、世界から家庭まで大なり小なり変わっているものですし、
その時々でわたしの感じ方考え方も違うものです。
分かっていますが、改めて読んでみると本当に違います。

ここ2年は、感受性に起因した内容が減っています。
月を見たら綺麗だったとか、本を読んだら素晴らしかったとか、こういう話を聞いて考えさせられたとか、
そういったことがなくなりました。
現実に起きている仕事の悩み、家庭のこと、ぐち、連絡事項、即物的なことが増えています。

自分が働き盛りに入って、本を読む冊数も減りましたし、
公演にしろビデオにしろ舞台を見る回数も減りました。
いえ、ほとんどなくなったと言ってもいいくらいです。
仕事場、家、顔合わせ、打ち合わせ、家事、友達との約束、家族との約束、
いつも次にすることが目の前にあって、
頭の中にはいつもその時々の懸案事項があって、
路傍の草だの空の月だのに目を向けなくもなっています。

自分に潤いがなくなっているな、と思ってもどうにもなりません。
両立はしないものなのです。
もし、人生に心のゆとりを得たければ、少しゆっくり歩かなければなりません。
少し立ち止まる時間をとらなくてはなりません。
得たいゆとりの量だけ、突っ走る方ををやめなければなりません。

わたしは、これまでの2年、走って来たことを後悔はしていません。
人生の中で5年や10年はわき目もふらず頑張る時期があってもいいでしょうし、
それまでを実にのんびりと過ごしてきたからです。
自分で満足のいく、充実した歳月でした。

好調の波というのは、自分だけが頑張っていても来ないこともあります。
タイミングがあるからです。
わたしは、せっかく来た好調の波を逃したくなかった。それで頑張りました。
でも今は、頑張ろうにも波は緩やかになってしまいました。
そういつまでも運のよいままではいないものです。
これはこれで、また自分や周りを見つめる生活を取り戻せるので、いいことです。

これからの2年は、またもう少し星だの花だの、芸術だの哲学だの、
考えながら生活していけるのではないでしょうか。
これからのメールは、また直前の2年とは違ったものになるのではないでしょうか。

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秋の訪れ

秋の訪れ


緑色の中に、秋がそっと
忍び寄ってきます。

秋の色がひとさし、
入りました。

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実りの季節

10月、実りの季節がやってきました。

わたしの中で、10月のイメージは茶色、または赤です。
茶色も赤も、実のイメージです。

10月に入ると、仕事も忙しくなることが多いです。
夏も残暑も終わり、何かと案件が多くなる季節です。
実りを迎えているのでしょうか。

ここで充実した秋が過ごせると、12月がやってきたとき、心晴れ晴れと迎えることができます。
今年も多少なりとも成し遂げた、と思えるからです。

人間は最後の印象が強烈です。
「終わり良ければすべて良し」とはよく言ったものです。
最後がいいと、全体的に良かったような気がするのです。
逆に最後が悪いと、全体もあまり良くなかったような気がしてしまいます。

これを利用して、わたしも講習会などの仕事では、
最後に盛りあがったり楽しい思いができたりするように、構成を考えます。

今日から10月。
今年を気持ちよく終えることができるよう、今月来月、最善を尽くしていきたいです。

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