夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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ロートル

昨年度は痛い思いをしたから、今年度はしきりに自分に言い聞かせていた。
「今はうまくいってるけど、また来年になったら分からない。来月さえ分からない」
「いつなくなってもいいと思っておこう。なくなっても嘆かないようにしておこう」

この仕事はとっても大切だけれど、大切でないふりをする。
この年ではもう疲れるし、なくなったらのんびり生活を楽しめばいい。

この仕事に代わる仕事も趣味も持ち合わせていないけれど、探そうとする。
見つからなくても、仕事がなくなったらその暇を利用して探そう、と自分を納得させる。

こんなふうに、痛手を受けないように前もって余計な心配をしているのを思うと、自分もどんどん老いているのだと思う。
まだ「老人」と言われる年ではないけれど、明らかに行く先はそこなのだと悟る。

かつての職場で一緒に働いていたベテラン社員さんが、よく適当なカタカナ語を使っていたのを思い出したりする。
「ピーチサンダルを履いて」とか「ラッタッタに乗って(50ccバイクのこと)」とか、よく言っていた。
それから“ロートル”のことを“ロートロ”と言っていた。
「××さんはロートロよ」

この方は、自分と大して年の違わない人を「××さんはロートロなのよ」と言い切っていた。
ときには自分より年下の男性も「あの人はロートロよ」と言い捨てていた。

そんなふうになれたらいいと思う。
でもわたしはあの人のようになれなくて、自分が“ロートル”になってしまった。

自分もついに“ロートル”になってきたのか、と思って初めて、この単語を調べた。
老頭児 (中国語から)老人。としより。

「ロートロ」が正しくは「ロートル」だと知り、いずれにしてもどういう意味なのか、何語なのかと思っていたが、怠慢にしてきた。
今、知ってみると、中国語だったとは。

何やら物悲しい感慨にふける年度末である。

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冬空晴れて

冬空晴れて


冬空晴れて、朝の雲。

雲たちが拝む先には、朝の光。

稜線を染めて、現われる。

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K.R.さま

あまり長いこと会っていないから、手紙でも書きたくなりました。
こんなふうに何となく思い悩んでいるときは、どうもあなたに話したくなるの。

だからこうして手紙を書いているけれど、でもそれは出さないかもしれない。

だって、今まで手紙なんて書いたこと、なかったですもんね。
急に手紙なんてもらったら、あなたはびっくりして怪しむと思う。

でもいつもこれまでしていたようにメールや電話で愚痴をこぼすのは、なんだかできないの。
そんなに深刻に悩んでいるわけじゃなくて、誰でもある程度の思い煩いだし、いつも同じことばかりだから。
きっとあなたは「また?」って思うし、何を言ってもわたしは思い切った手段をとらずに愚痴を言ってるだけだから、呆れると思う。

去年もわたしは言っていたよね。
仕事の量が減ったことや、来年度への不安や、自分の評価についての不満や――いろいろなこと。
おととしもわたしは言っていたよね。
来年度は減りそうだとか、なくなりそうだとか、どうなるかわからないとか――いろいろなこと。
その前も言っていたから、おととしはあなたに開口一番「また?」って言われた。
だから去年はあなたに愚痴を言わないようにして、ときどき報告メールを送ってた。

今年はこうして出さないであろう手紙を書いて、気を紛らわしてる。

昔、わたしは、同じくらいの年の人と張り合ってた。
その後、わたしよりいくつも年上の人にいいようにされてる気がして、くさってた。
わたしより少し年上の人も登場して、その人は能力があるから文句も言えず、溜息をついてた。

今年のわたしは、自分よりいくつも若い人の台頭を恐れて、不安に駆られている。
この人が登場した今年度の4月、わたしはこういう日が来るかもしれないと心配したけれど、あのときはまだ脅威は芽吹いてもいなかった。
彼女はあまりに未熟で、能力不足で、見込みが薄かったから。

でも一年も経てばどんな人でも多少は成長する。
周りの人も彼女に慣れて、この人にもっと仕事を任せてもいいのではないかと思い始める。

若いだけにガッツはある。
若いだけにガツガツしたところもある。
もっと!もっと!!もっと!!! って貪欲に求めてる。
求めて得られたら、それに合わせて努力をしていけば能力はついてくる、と単純に思ってる。
いや、そんなこと考えてもいなくて、ただひたすら求めてる。

こんな若いパワーにわたしは勝てないと思う。
自分の牙城を守ることもできないと思う。

老兵は少しずつ後退していき、退がったところには老々兵がいて、先がつかえていることを知る。
でもつかえた状態で、少しずつ終わりに向かってベルトコンベアーは動いていると悟る。
自分では足を踏ん張っているつもりでも、足をつけている地ごと運び去られている。

これに疲れたとき、「そろそろ退職する年齢なんだよなぁ、退職したらのんびり暮らそうかなぁ」と受け入れ始める。
第二の人生に夢をつないで、第一の人生では敗退していくことを綺麗な色で塗り固める。

今年はそんな気がしているの。
今までで一番にぶい悩みで、今までで一番敗色濃厚なの。

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静かの海

静かの海


水平線を遮るものはなく、
唸る風も、騒ぐ鳥も、砕ける大波もない。

それでも小さな波のざわめきもあるし、
かすかに吹き過ぎる風もある。

だから無音の静寂はないのだけれど、
ここはやっぱり静かの海。

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停滞期

きっと3月になると、いろいろな心配ごとはもっと実体化し、来年度はどうなるのかとあれこれ考え始めるので、この季節は最後の停滞期です。

師走になると、新しい仕事というのはなく、ただ毎日の仕事を繰り返すだけ。
忙しい方は大変な時期でしょうが、わたしのような仕事にとっては師走は少々停滞するときです。

そして年が明けると、しばらくは何事もありません。
皆さんが普段通りの活動を始める時期にならないと、わたしの仕事に変化は起きないからです。

でも2月になってしまうと、まもなく年度末です。
この時期はわたしたち外部の人間は停滞します。
自分たちのことで忙しいので、わたしたちのことはしばらくお留守になるからです。

年末が近づいてきたときから停滞が始まり、年度末までそのまま停滞期間が続きます。
わたしにとっては休息期間です。

心の中では次年度の自分の取り分を心配して、やきもきしていたりするのですが。
それでもまだ、静かな時期です。
何も起こりません。何も変わりません。何も始りません。
良い変化も起きない代わりに、悪い変化も起きません。

でももうすぐそれらは終わります。
3月になれば、不安は現実味を帯びてくるでしょう。
取り越し苦労はさらに多くなるでしょう。
そして4月になったら、もう後戻りはできません。
始まってしまいます――いろいろなことが。

だからこの時期が好きです。
停滞していて静かなこの時期を、何の心配もなく心から楽しめたらと思います。

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テトラポッド

テトラポッド


静かなまっすぐな水平線。
テトラポッドの合間から見える。

人もいない、船もいない、鳥もいない海。
魚たちは水面下で眠っている。
それとも、ただじっとしている。

空には小さな雲、海には小さな波頭、
そして地上には巨きなテトラポッド。

太陽が、空を光らせ、海を光らせる。
そして地上にはテトラポッドが、
ただただ波を消している。


テトラポッド

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もうあの時代は終わったのだということを受け入れて

わたしは本来より少し早く老成してしまったようである。
子供がいたなら、まだあと20年ほどは、子供のことで忙しいだろう。
子供が結婚して、夫婦二人、あるいは自分一人残ったとき、そういうことを考えるのだと思う。

つまり――自分の活躍時代は終わったのだということを。

子供はもう持つことはあるまいと考えたとき、子供と共に歩む25年を飛び越えて、子供が去った時代に降りてしまったのかもしれない。

子供を育てあげ、社会に送り出した人は、あるし種の達成感があるかもしれないが、それもない。
社会の益となるか害となるかはその子自身の問題だとしても、そのどちらにもなり得る可能性溢れた存在を、わたしは生み出さなかった。
「後は自分のための人生を楽しむのよ」と言ったって、わたしには今までとどう違うだろう。

わたしはこれまでも何も生まず、何も育てず、これからも何も創り出さないのだ。

・・・・・・そんなふうに、どこか虚しい気持ちになったところに、老いは入りこんでくる。
体の不調、心の不調、ホルモンの不調。

「まだまだこれからひと花咲かせよう」と奮起したところで、ひと花もふた花も咲かせようとしている若者がたくさんいるというのに、枯れた自分に何ができるのか。
そんな後ろ向きな思いが湧いてくるのである。

そうだ、これはきっと、冬だからだ。
春が来れば、また違った考えも浮かぶはず。

そう考えて、悲しい思いは封印する。

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波打ち際

波打ち際


寄せては返す波打ち際。

誰もいなかろうと、
鳥も飛ばなかろうと、
波はいつでも寄せては返す。

冬の水はより青く、
冬の砂は滑らかで、
波はたゆまず寄せては返す。

聞く者もない波打ち際。

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