夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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枯れ葉のベッド

枯れ葉のベッド


冬の寒い大気から守ってくれた、
暖かい枯れ葉のベッド。

もういらないの。

春が来たから!

小さな最初の花たちは、
枯れ野を押しのけ顔を出す。

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秘密の花園

「秘密の花園」は春の物語だと思います。

始まりはインドで四季はなく、メアリーがヨークシャーに移ったのもまだ冬の間のことです。
それにラストは秋になってクレイヴン氏が屋敷に帰ってきたときでした。

でもこの物語のひとつのクライマックスは、「春が来た!」というところだと思うのです。

ヨークシャーの荒野の中の広いお屋敷ミッセルスウェイトにやってきたメアリーは、春を前にして秘密の花園の話を聞きます。
メアリーは意地悪な子供で、不器量な子供です。
花園の秘密はメアリーの心を捉え、忘れられなくなり、ついに中に入る道を発見すると自然に世話をし始めます。
戸外で遊ぶことはメアリーを健康にし、やがてディコンという貧しい少年と知り合い、彼女は変わり始めます。

その屋敷にはもう一人、わがままな子供がいて、彼こそはこの屋敷の若様でした。
「もうじき死ぬ」と思い込んだ彼コリンは、いつも不機嫌でひどいときはヒステリーを起こします。
その彼もメアリーと会って、変化しました。

ついにメアリーとコリンは本当に打ち解けあい、コリンも花園の秘密にあずかることになります。
ここまでの経過が本の3分の2くらいを使って語られていて、そしてついにコリンが花園に入るときがクライマックスです。

インドにずっと暮らしていて、春を知らないメアリーが、ディコンの説明で少しずつ春を知る様子。
そして自分の目で、ふくらんでいく芽や球根、萌出る蔦の緑などを見て、春を感じていく様子。
ずっと病室に閉じこもって、部屋を出ることも窓を開けることもしなかったコリン。
彼が春のことをメアリーに聞いて驚く様子。
そして「春が来た」とメアリーが言うと、いったいそれはどんなものかと思う様子。

この高まって行く気持ちと、加速して行く春の到来が、ちょうどぴったりと合います。

――――
「とてもきれいよ!」彼女は走ってきたために少し息切れ気味にいった。「あんなきれいなもの、あなたはきっと今までに一度も見たことがないでしょう! とうとう春が来たのよ。あたしこの間の朝もう春が来たのだと思ったけど、あれはまだ来る途中だったのね。でも今はちゃんと来てるわ。ああ、春がほんとに来たの。ディコンもそういってるわ!」
「春が来たんだって?」とコリンは大声でいった。そしてほんとうは彼は春のことなど何もわからなかったのだが、自分の胸が高鳴るように思った。彼は実際に寝床の上に起きあがった。
「窓をあけて! きっと僕たちには金のラッパがきこえるにちがいないよ」と、彼は、半分はうれしくてたまらなくなり、半分は自分自身の想像をめぐらして、こうつけ足していった。

実際に春が来て、コリンが花園に行って、花が咲き乱れて、全員が幸せに健康になっていく部分よりも、春を待っている間の描写のほうがずっと長くわくわくします。
特に、まだ何も見えない枯れた庭に見えるときから、そっと地面の下で動き始める球根や土の盛り上がりは、期待で興奮させられます。

だからこの本は春の物語だと思うのです。
春を待っている時期に読むと、より味わい深いと思うのです。

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わたしの春

外国の小説を読んでいると、同じように四季を語っていても、やはり季節が違うと感じることがあります。

春は、花が一斉に開き、緑が一斉に萌え、爆発的にやってきます。
それは日本でも感じるし、ヨーロッパの小説にも書いてあるのですが、でもきっとやっぱり違うのです。

わたしは特に、関東を離れたことがありません。
ですから、長い冬に耐えた後の春の喜びを、本当には知らないのだと思います。
ヨーロッパの冬はわたしが思っているより長いようで、「長い冬に耐える」という気持ちがもっと大きいらしいのです。
そしてヨーロッパの冬はわたしが知っている冬より陰鬱で、「暗く閉ざされた」ものらしいのです。

その後に訪れる春の嬉しさ、素晴らしさ、歓びは、わたしとは違うのだと思います。
わたしは、冬の日にも晴れた青空や、裸の枝の美しさを楽しんだりしているからです。

もちろんヨーロッパと一口に言っても、国や地方によって違うでしょう。
日本でもやっぱりわたしが知っているものとは違う冬があるでしょう。

だから個人的な思いなのかもしれないけれど、それは確かなことです。
わたしの知っている冬が違うから、わたしの感じる春も違うのです。

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うぐいす

わたしが育ったところは田舎でしたので、うぐいすの鳴き声は毎年聴きました。

それでも毎年、うぐいすの声を聴くと特別なものを聴いた気がしました。

春の初めには、まだ上手に鳴けないうぐいすもいて、「ホーホケキョ」とは聴こえないときもあります。

幼い頃、裏庭の畑で一人遊びをしていると、うぐいすの鳴き声が聴こえます。
わたしはハッとして、耳をすまして聴き入ります。
うぐいすは特別な鳥だから、ちゃんと聴きとりたいのです。

唯一近所で同じ年だった子の家に遊びに行ったとき、うぐいすが籠に飼われているのを見たことがあります。
「うぐいすの糞をつけると肌が綺麗になるんだって!」
そんなことをその子が言って、わたしも感心し、緑色の糞を見つめたことがありました。
まだ子供で、田舎のことでその年でしゃれっ気が出るものでもなく、肌が綺麗だったらいいとか悪いとか考えもしなかったのに、感心して見つめました。

肌が綺麗になりたいというより、貴重なものを見たという感動だと思います。

その子は、お母さんやおばあさんに内緒で少し糞を持って行っていい、と言ってくれました。
でもついに糞を肌に塗ってみる勇気は出ませんでした。

今もあの頃と変わらず、うぐいすの鳴き声を聴くと、特別な気持ちになります。
春が来て嬉しいというより、貴重なものを聞いたという感動だと思います。

姿は見えずに声だけが響くとき、一層貴重なものに思えてくるのだと思います。

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春の光

春の光


まだ寒風が吹きすさんで、肌寒い3月。

喫茶店のテラス席は、コートを着込んだ人でいっぱい。
中の暖かい席は満席なのだ。

雀たちは、人々が鷹揚に与えるパンくずを得ようと、
テラス席の近くで様子を窺っている。

羽が暖かい陽光をたくわえている。

ああ、この間まで、
あんなにふくらんでいた冬のまんまるい雀が、
こんなにほっそりしてきた。
あと少しすれば、細身の夏の雀に戻るに違いない。

春が来ている――春が。

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仕事仲間ファミリー

3月になると、以前3月に行った短い期間の仕事を思い出します。

その仕事は多くの派遣を集めていましたが、普段はSEさんやプログラマーさんたちがシステム開発をしていました。
本社の社員も出向してきていました。
でもそんな人たちは僅かで、グループ会社の社員がほとんどでした。
中には子会社の社員も数人いました。

いつも思い出すのは、この子会社の社員さんたちです。

子会社はもともと遠くにあって、この大きなプロジェクトの間だけ東京に来ています。
会社はあるコーポの部屋をまとめていくつも借りていて、そこが寮として使われています。
子会社にいる当時は会ったことのない人同士、違う支社にいた人同士が、この現場で出会いました。
そして同じ建物に住むことになりました。

社員さんたちは男性も女性もいましたが、とても仲良しで、まるで家族のようでした。

でも本当の家族ではありませんから、男性と女性の間には微妙な恋愛めいた雰囲気が漂っていたりもしました。
恋人ではないけれど、ただの友達よりはいい感じ――そういう二人がいたり、二人を取り巻く友達がいたり。
でももしかしたら、友達の方と恋愛が芽生えちゃうかも――そういうつかみどころのない漠然とした色っぽい雰囲気がありました。

家族より密な家族のようでした。
同時に、家族ほど永続的ではない家族のようでもありました。

毎日同じ職場にやってきて、同じプロジェクトに携わります。
忙しいので残業があります。
終電間際になって全員で一緒に帰ったり、あるいは各自で、あるいはたまたま一緒になった人と帰ります。
「××のDVDを借りて一緒に見ようよ」
「じゃ、Aさんも誘おうか」
そういう話をしているのも聞こえたりします。

そんなふうに若くて、そんなふうに青春で、そんなふうに友達でいるのって、なんて羨ましいんだろうと思いました。

それは壊れてしまうものなんです。
誰かが結婚していたら、なんとなく違うムードになってしまうものです。
それに誰かが別な現場に行くことになったら、やっぱり違うムードになってしまうものです。
このファミリー全部がいっぺんに解散する日も来ます――プロジェクトの終わりの日です。
先が見えているからこそ、より楽しくて、密接で、濃い時間になります。

傍から見ていて、とても楽しそうで、羨ましく思えました。
学生時代にそういう活動をしている人もいますし、若手社会人時代にそういう体験をする人もいますでしょう。
職場によっては、組織が大きなファミリーで、定年まで所属することになるかもしれません。
自分にそういう時代があったにせよ、なかったにせよ、今後訪れる可能性は低そうです。

だからとても羨ましいと思いましたし、とても印象に残ったので今でも思い出します。
実際に中にいたら楽しいかどうか疑問に思う部分もありますが、見ているとやはり楽しそうです。
組織というファミリー、友達家族のようなファミリー、長い時間を一緒にすごす濃密なファミリー。
アウトラインの外にいる身には、何か感情をかきたてられる存在です。

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春の光

春の光


街路樹に小さな芽もまだなくて、
裸の枝を晒している冬。

青空は澄んで、澄み渡って、
明るさに満ちている冬。

でもビルを染める日の光は、
少しずつ強さを増しているのだ。

ほら、二、三日前より、こんなに強い。
春が来ている――春が。

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