夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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夏休み

いまどきの会社は、特に決まった夏休み期間がないところも多くあります。
各自が好きなときに夏休みをとる――交代でとるから、会社全体のお休みはありません。
わたしのようにダブルワークをして、どちらの会社でも末端の仕事をしていると、お休みがないままになることもあります。

子供もいないわたしにとっては、特に夏休みという気持ちがしないまま、夏が終わることもあります。

ですが、ダブルワークしている一方の職場に行くときは、巨大な団地群の中を抜けていくことがあります。
特に夏は、日陰の多い団地なので大変楽なのです。

すると、いつもとは違う光景に出会って、「ああ、夏休みなのだ」と実感させられます。

朝、幼稚園バスを待っているお母さんたちがいないこと。
そのお母さんたちの近くに群がっている、幼稚園の制服を着た幼児たちがいないこと。
いるはずのない時間に大きい子供たちが遊んでいること。

男の子たちは、着古した服を着ていることも多くて、いくら遊んでも汚してもいい日なのだと分かります。
わたしたちはいつもと同じような服を着て、いつもと同じ時間に歩いているけれど、今日は夏休みなんだなぁと感じます。

その光景に慣れた頃、終わりは急にやってきて、ある朝またママたちや幼稚園児たちを見かけるようになります。
小学生はもう学校に行ったのでしょう。
園児たちを見送った後、ママたちは就園前の小さい子を抱いたり、手をつないだりして、少しの間話をしています。

でも今はまだ、夏休みは始まったばかり。
夏が終わったと感じるのはまだまだずっと先のことです――。

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野菜の花

野菜の花


ししとうが可憐な花をつける。

ピーマンが小さな花をつける。

きゅうりが可愛い花をつける。

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そうめんとひやむぎ

素麺と冷麦は、似たようなイメージの食べ物です。
夏に食べる冷たい麺で、細い麺です。

どちらが好きかというと、わたしは素麺が好きです。
同じように細いのですが、素麺の方が細くて食感が好みなのです。
自分で買うときはいつも素麺にします。

実家にいた頃は、素麺や冷麦というのはお中元でいただくものでした。
選ぶこともできなくて、あるものが食卓に出てきます。
夜食べることはあまりなくて、だいたい祖母が孫たちに作るお昼の食べ物でした。

大人になった今では、素麺を冬に食べることもできますが、やはり夏の食べ物のイメージです。
野菜に旬があるように、素麺は夏のものというイメージが定着してしまいました。

素麺はカロリーも高くて、夏の食欲のないときは良い、と聞いたことがあります。
ですから、野菜と同じように、やっぱり夏の旬のものなのかもしれません。

わたしの生活では、あまりお中元やお歳暮を用意することはなく、いただくこともないので、今では素麺は買わなくては食べられません。
自分で買うとなると、つい好きなものを選んでしまうので、冷麦はまったく食べない年もありますが、素麺は一度は買ってしまいます。

カルピスと並んで、お中元が作りだした夏の風物詩だと思っています。

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トマト咲く

トマト咲く


辺り一面を青いトマトの香りでいっぱいにして、
トマトの茎が伸びる。
葉が開く。

花が咲く。

トマトの花は、トマトの香り。

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団地の黒猫

通勤で通り抜ける団地に、猫が住んでいます。
飼われている猫なのか、のら猫なのか、黒い猫がゆうゆうと生きています。

やせこけている様子もなく、ガツガツしている様子もないので、飼い猫なのかもしれません。
でも首輪などはしていません。
人に慣れていて、近寄っても逃げることはありません。
大きな団地群なので人も多く、わたしのように通り抜けに利用する人も多いので、見知らぬ人が何もしないことは分かっているようです。

お気に入りの場所にだらりと横になって、昼寝をしているところを見かけます。
間近に寄っていっても、チラリと目を開けるだけで、首をもたげることはありません。
でも「それ以上近寄ると逃げるかもしれないぞ」という気配は伝わってきます。

暑い夏の日は、日陰の冷たい石張りの歩道にいることが多く見られました。
寝るときはまるで警戒していない様子で、体全体を地面に預け、四肢を伸ばして寝ています。
冷たい路面に当たるところが多くて涼しいのでしょう。

寝ているところにそっと近寄っていくと、顔の辺りには白い毛がちらほらと生えています。
猫も白髪ができるのだと、面白く思いました。

遠くから見ていると、「子猫ではない」というくらいのことしか分からないけれど、こうして近くで見ると割と年をとっているのかもしれません。
ゆうゆうとした態度も、長年生きて来た経験と知識に基づいているのかもしれません。

その猫を見かけることはそれほど多くなくて、今までに見たのも5回くらいです。
わたしは毎日その職場には行かないし、猫はいつもその場所にいるわけではないからです。

いつかこの猫がいなくなっても、わたしは気付かないと思います。
そして一年も経ってから、そういえば全然見かけない、とふと思うでしょう。
そのときは淋しく思うでしょう――このふてぶてしい自信に満ちた瞳を思い出して。

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蓮花の季節

蓮花の季節

蓮花の季節


曇り空を突いて、
蓮の花が、とがった花弁を開く。

空に光がないときは、
地上に光をともそうとして。

この花の中に、
もしかしたら仏さまがいらっしゃるかもしれない、と
思わせぶりに少しずつ開く。

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ほおずき市

7月になるとあちこちでほおずき市が開かれます。

やはり有名なのは浅草だと思いますが、行ったことはありません。
高名なあまり、たぶん大変な人出だろうと二の足を踏んでいるからです。

一度、仕事帰りに少しだけ回り道をして、神楽坂のほおずき市に行ったことがあります。
神楽坂の毘沙門天さまで開かれているのです。

でも結局、わたしはほおずきを買うこともなく、家にほおずきを持ち帰ったことはありません。
通りすがりにお祭りの雰囲気を楽しんだだけに終わっています。

神楽坂というと地名を表していますが、「神楽坂」という坂もあるのです。
坂は人で賑わい、店が軒を連ねています。
京都に似ているところがあって、小京都と言われています。
川越など、他にも小京都と言われるところはいくつもありますが。

神楽坂は風情のある街です。どことなく遊興の香りがします。
何やら華やいだ空気の中で、7月の遅い黄昏時を歩いているだけでも、風情を満喫した気分になります。

たくさん出ていた屋台では、フランス料理のお店がガレットとワインを出していたりして、洒落ていました。
その向かい側では、赤い大きな提灯を粋に並べた大人の居酒屋が営業していました。

浴衣を着て行ったわけでも、友達と夜祭りを楽しんだわけでもありませんが、よい夜でした。

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紫陽花の季節

紫陽花の季節

紫陽花の季節


ひそやかな木陰で、
涼しげに咲く紫陽花。

たおやかすぎて、
強い陽には耐えられない。

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節目

6月が終わったので、時折、言い交わしたりします。
「もう今年も半分終わってしまったのね!」
「何もしていない気がするわ!」

でもいろいろなことの始まりが4月になっているので、それを考えるとまだ4分の1です。

「今年が半分終わった」というのは、もしかしたら考えないほうがわたしにはいいのではないか、と考える最近です。
なんだか一年が早く過ぎてしまう気がするからです。

コップに半分水が入っているのを見て、どう考えるか?
ポジティブ思考の話でよく出てきます。
「半分も入っている」とプラスに考えるのと、「半分しか入っていない」とマイナスに考えるのと。
この象徴としての話のときは、わたしとしてはどちらでもなく、「半分入っている」と考えたいと思っています。

でも一年は、「もう半分終わった!」と言ってしまうと、時が早く過ぎていくことが自分の中にすりこまれてしまいます。
本当は4月に「今年度が始まった」と思ってから、まだ3ヶ月しか経っていないのに。

そして12月が近付くと、「もう今年が終わる!」と思ってしまって、1月から3月は宙ぶらりん。
冬眠しているかのように数には入っていなくて、わたしの一年は9ヶ月しかなくて――
それでは短く感じるのも当然です。

6月が終わったとき、わたしは「半分終わった」とは考えないようにしたいです。
でも7月は本格的な夏の始まりの月ですので、「夏が始まる!」とは思いたいものです。

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