夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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夏の黄昏

夏の黄昏


黄昏の色に寂しさが加わり始めると、
夏も終わりに近づいている。

夏は強い力でわたしたちを翻弄してきたが、
去る時が来ると急に寂しげに訴えてくる。

まだ行きたくないの・・・・・・

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靴について

わたしはひとつ決めたことがあります。
「靴は履き捨てと思おう」ということです。

今までもわたしは高価な靴はあまり買ったことがありません。
だから行動にこれまでと違ったところはないけれど、気持ちは決まったのです。

運動靴のような靴ばかりではなく、ちょっとヒールのある靴を履くようになった20代。
お小遣いはあまり多くなかったので、高い靴を買ったことはありません。
こんなふうに黒や茶色の皮でできていて、ヒールがある靴を履くってことは、大人だなぁと感じたものです。

お給料の多い仕事をしてこなかった20代30代、わたしの靴は高くても4000円程度。
そんな靴は年に1足買うかどうか。
友人が高そうな靴を履いているのを見ると、急に自分が恥ずかしくなったりしました。
靴は、高いから履き心地がいいとも言えない気がするけれど、安物は一目で分かってしまうのです。

30代後半となって、自分も年齢的には完全に大人になったと思いました。
いくら世の中を知らず甘えん坊でも、いくら正しいマナーを身につけていなくても、年齢を聞けば誰でもわたしを「若者」とは思わないでしょう。

「30代になったら、ひとつくらいはいい真珠のアクセサリーを持っておいたほうがいい」
つきあいが増えたり家庭を持ったりすれば、冠婚葬祭に行くことも多くなる。
そういうときに重宝する真珠をひとつは持ったほうがいい、と言われると、なるほどと思いました。
でも持っていないので、なんとなくこのままじゃいけないと感じたりしました。

もうひとつは、靴です。
「この年になったら、靴だけはいいものを履いていないとね。
安物の靴を履いているとすぐ分かっちゃうから。
服はひとつだけ着るわけじゃなくて合わせたりもするけど、靴は違うからね。
人が見て、この年になって安物を履いているなんて、見よいものじゃないでしょ?
だから靴だけはちゃんとしたものを履くようにしてるのよ」

自分より数年年上の人がそう言うのを聞いて、ハッとさせられました。
いつも安いものばかり履いていたからです。
そのときは、自分としては大奮発の1万円の靴を買ったりしました。
でもすぐに足が痛くなってしまい、靴は1シーズンも履くとだいぶボロくなってきました。

もっと高い靴を買わないといけないのかもしれない。
もっとまめに手入れをしないといけないのかもしれない。

もっと高い靴を買うといっても、何万円もする靴を買おうとは思えなかったので、また安い靴に戻ってしまいました。

そうしているうちに、去年ふと思ったのです。
わたしは立っていることが多い職業に就いている。そしてわたしは体重がかなり重い。
こういう条件では、どんな靴でも寿命はだいぶ早く来てしまいます。
それならそれで仕方ないから、自分の条件に合う靴選びにすればよいのではないか、と。
高い靴だったからと捨てきれずに履き続けても、ボロボロになってそれこそ見苦しいものです。
またわたしの巨体をずっしりと受け止めるので、あちこちにすぐに不具合が出てきて、自分の足まで痛めてしまいます。

そうなったらすぐに捨てる、そう割り切って安い靴を買う。
それもいいのではないか、と思うことにしたのです。

自分が年をとったせいもあると思います。
人はだんだん「私には私のやり方があるわ」と思うようになっていきます。
周りを気にすることが少なくなっていきます。

これが悪い意味での開き直りなのか、それとも自己のスタイルを確立したということなのかは、難しいところです。
それはひとつには、人に迷惑をかけていないかどうかで、測ってみてもいいように思います。

たとえば、「私はスッピンでいい」と開き直るのは、それを見せられる周りが迷惑、というような一文を読んで、なるほどと思ったことがあります。
わたしが安物の靴を履いているのを見て、周りは不快に思うかどうか?
それを考えたらいいのかもしれません。

そうすると、わたしにできることとしては、傷んだ靴はすぐ廃棄することかもしれません。
安物を履くけれど、少し傷んだらすぐ買い換える――ボロボロになった様子は見せないようにする、ということです。
安物は、「使いこんだ味」なんて到底出ないのですから、長く履けば周りの人も不快になるかもしれません。

それならますます、高いものにしようなんて考えず、あっさり廃棄できる金額の靴にしよう、と決めました。

まあ、廃棄と言っても、仕事には履かないというだけで、近所の買い物などでは偶然出会う人に不快感を与えてしまうかもしれません。

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夏の夕暮れ

夏の夕暮れ


どこへ行くのか、夕暮の雲。

何を見るのか、夏の雲。

夏の終わりに向かっているのか。
夏の終わりを見ているのか。

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インドの風

アフリカは暑いから、暑い夏にはアフリカを見習って――と思ったけれど、アフリカは乾いた土地。
日本の蒸し暑い、湿気の多い夏とは違います。

それならどこが暑くて湿気が多いだろう、と考えると、インドが思い浮かびます。
インドに倣って夏を過ごしてみたら――と思いましたが、インドの特徴ってどんなものでしょうね。

インドの娯楽映画が好きで、以前はよく見ていました。
――今はあまり日本では見ることができないので、昔の作品ばかり見てしまいます。

ムンバイを舞台にしたヒンズー語圏の映画は、最近はまるでアメリカ映画のようになっていて、服も西洋風、物語も西洋風です。
そういうのではなくて、民族衣装のような服を着ていて、インドの田舎の様子が出てくるような映画を思い浮かべてみよう、と考えると――

水田で働くインドの農民たちは、たいていは上半身裸で、腰布をまきつけた姿。
肉体労働をする人たちは、たいていそういう格好か、都市であれば半袖シャツでした。
湿気はあまりなくて、日差しはどこまでも強いアフリカでは、日差しよけに体をすっぽり覆う服を着ていたりしますが、やはり湿度が高いところでは布はあまり多くないほうが良いようです。

暑い日中はできるだけ日陰にいる様子が思い浮かびます。
夜も蒸し暑いので、窓は開いている映像が頭に浮かびます。
靴は、ぞうりのようなサンダルが多かったと思います。
日本と同じですね。

食べ物は、辛いものを食べているイメージがありますが、全部が全部辛いわけではないそうです。
スパイスはきいているでしょう。
暑い時には熱いもの、ということなのかどうか分かりませんが、チャイは温かいものを常に飲んでいるようです。
日本でも同じようなことをしますよね。

暑いとあおいで風を送ったりします。
都市部を舞台にした映画では、エアコンがきいています。
これも日本と同じですね。

インドの音楽は起伏も多くて、ポップスなどもさかんです。
インドの瞑想音楽とか宗教音楽というCDを少し聴いてみたりすると、意外にもポップス調の曲があったりします。
やっぱりアフリカのものより、日本と同じような感じかもしれません。

インドに倣って、と思ったけれど、生活習慣では思いつくことがありません。
お食事にスパイスをきかせてみるくらいでしょうか。

インド音楽を聴いて、インドダンスなどを見て、少しインドの風に吹かれてみようかと思います。

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夏の影

夏の影


夏の強い影が、午後を強調する――

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アフリカの風

去年、「ようそこ!No.1レディース探偵社へ」というドラマを見ました。
アフリカのボツワナで、主人公ラモツエは探偵社を開きます。
彼女はボツワナ唯一の女探偵として、難事件を解決していくのです。

難事件と言っても、ドラマでは面白い事件が多くて、本格ミステリーという感じではありませんでした。
ですから気楽に見ることができ、ちょっと変わったアフリカ世界の空気を楽しめばよかったのです。

見終わった後、自分の時間までゆっくりになったように感じるドラマでした。

今は夏なのだから、暑いアフリカに倣って、ゆったりした時間を楽しむのはどうだろう?
そんなことを思います。

わたしは民族音楽が好きでよくビデオなどを見たのですが、アフリカのダンスはずっと同じふりを繰り返していました。
同じメロディをえんえんと繰り返すような音楽に合わせて、同じステップをえんえんと繰り返しているのです。
でもそれが、暑い国ではいいのかもしれないと思いました。
暑さまで麻痺してくるような、繰り返し繰り返し繰り返し――。

そこまで考えていくと、いつも思います。
――でも、アフリカの気候とわたしが今感じている夏は違う。

あの乾燥した大地の映像が浮かんできて、あの乾いた風が感じられるように思えて、全然違うと悟るのです。

日差しは人間の肌遺伝子を黒くするほどに強くて、白熱していて、きっとそれは想像もつかないものに違いない。
そしてあの空気は乾いていて、息をするのもむっとするようなこことは逆なのだ。

だから、同じ振付でダンスを踊ってみても、同じ結果にはならないでしょう。

そこでいつも「アフリカに倣って」という気持ちから、ハッと目覚めます。

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お昼寝

お昼寝

暑い午後は、木陰でお昼寝。

それが自然な生き方じゃない?

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忍耐と夏

夏は、わたしにとっては耐えるのみの季節。
ただただ、夏が過ぎるのを辛抱強く待つしかありません。

いつの頃からか、強い日光に当たると湿疹ができるようになりました。
湿疹はかゆくて、そしてしつこいものです。
薬を塗ってみても、かゆみが止まる気もしませんし、赤い発疹が消える気配もありません。

今日なったものが半分治っても、明日もまた日に当たってその分増えるでしょう。
そう思うと、ならない前に防ぎたいという気持ちになります。

そこでもう何年もの間、夏は必ず日傘をさすようになりました。
手袋も必ずはめます。
半袖を着ることはありません。
当然ノースリーブなんて着ません――腕が太いからそうでなくても着ませんけど。
首の回りにも布を巻きます。
去年はあまり暑くて、靴から出ている甲の部分にできたので、日よけの黒いタイツを履いています。

わたしが耐えているのは、湿疹ではなく、この暑苦しさです。
わたしを見かける人にも暑苦しさを感じさせているかもしれません。
この暑いのに長い袖の服を着て、さらにいろいろな布をまとっているなんて。

ばかばかしくなってちょっとサボると、湿疹ができます。
ちょっとサボったくらいではひどいものではないけれど、暑い夜にベタベタする薬を塗っているのもうんざりします。
そして後悔して、翌日はまた巻きつけるのです。

なるべく日陰を歩き、なるべく日に当たらない側の座席に座り、なるべく外に出ず――
どうしても外に出なくてはならない通勤では、長袖と日傘と手袋と首巻きと――
お昼に別な棟に行くのなら、遠回りをしてでも屋根のあるところを――
夏に外にランチに行くのなら、なるべく近いところに、少しの距離でも日傘と手袋――

そうして耐えるのがわたしの夏です。
でももう慣れてしまったから平気――そう思っていたのですが、最近は心配なことがあります。
更年期になると暑く感じるようになると言いますが、わたしもそうなるでしょうか。
より暑く感じるようになったのに、やっぱり防備し続けることはできるでしょうか。

そうして肌を晒しているうちに、湿疹のほうが退散してくれるのでしょうか。

湿疹が退散してくれるのはとても有難いですが、この強迫観念のおかげでだいぶ白くなった肌が、また黒くなってしまうのは残念な気もします。

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扇

扇


綾織の扇を開いて、王侯がゆく。

琉璃色の冠をかぶって、王侯が歩く。

照り輝く絹をまとって、王侯が立つ。


扇

扇

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