夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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赤い足

赤い足


昨夜降った雪の上を歩くカモ。

朱色の足が鮮やかに、白い雪に映えている。

雪の上を素足で歩いては寒いから、
足が赤くなってしまっているのかしら。

そう思ってしまう、雪の朝。

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アメリカの時間

 アメリカの大都市には、忙しい時間が流れていて、世界中のどの国と比べても流れの早い時間なのじゃないかと思える時がある。
 ニューヨークを思うとき、それは一番強く感じられるけれど、他の都市でもやっぱり忙しい時間が流れていると思える。
 眠らない街――それだけじゃない。
 上層に上がっていくためにハードワークを要求される街。世界のトップであるためには、それは仕方のないこと。今日は忙しく過ぎ、明日はあっという間に来て、今日と同じくらい忙しい。
 競争がある。敗れることもあるけど、勝つときは盛大に勝つ。盛大に勝ちたければ、敗れたときのリスクも大きいことを受け入れなければならない。勝利だけ大きくて、失うものは少ないというわけにはいかない。だから厳しい毎日だし、忙しい毎日だ。
 こういう時間は、かっこいい。
 ――自分がやりたいというわけではない。勝てる見込みはなさそうだから、大きく得られなくても大きく負けない社会が気楽だ。得られる人は物足りないだろうけど、わたしはそこまでの能力も努力もない。ネガティブに聞こえるかもしれないけれど、負ける側に生まれついているのなら、負けて失うものが少ない勝負がいいに決まってる。
 でも厳しい社会は、見ていると魅力的に見える。ドラマなどで見ているだけなら、かっこいいと憧れられる。
 他愛のない憧れだ。
 裏側の努力はかっこよく短時間で描かれているから気にならない。実際は時間も労力も根性も要求されて、大変だろうけどドラマの中では短い時間だ。
 さすがにデザインのキマッている高そうなスーツを着こなして、颯爽と歩く。コツコツコツとヒールの音がする。きびきびと話す。戦わなければならないときは、断固として反論する。脅しもかける。
 今日は失敗したという日は、バーで落ち込んでいる。友達が励ましてくれることもある。
 今日は大成功だという日は、早く帰って一人で祝ってもいい。バーで祝杯をあげてもいい。きっと友達が同じバーにやってきて、一緒に祝ってくれるから。
 そんな上っ面のことだけど、でもその底に流れている実社会の厳しさや容赦なさにも魅力を感じているのだ。だからアメリカに憧れる。
 それはきっと忙しいけれど、充実した時間。苦労が多いけれど、実りや達成感も多い時間。
 それは素晴らしいことでもあるから、勝てない人もたくさんいるけど、やっぱり魅力的なのだ。まだ勝っていないし今後も怪しい人にさえ、魅力的なのだ。

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体温

体温


雪がすべてを覆い尽くした。

朝日が夜中の雪を解かし始めたとき、
早く解けるのは花があるところ。
葉があるところ。茎があるところ。

植物にも体温があって、
その体温で内側からも融けていくのかしら。

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田舎の時間

 外国には日本とは違った時間の流れがあるように思えるけれど、田舎にも東京とは違った時間の流れがあると思う。実家に何日か帰るとわたしは実感する。
 大雑把に「東京」「田舎」と言っているけれど、わたしが住んでいるのは「東京」であっても「都心」ではないので、田舎に近い時間が流れているとも言える。東京以外にも都市があり、それぞれの性格を持っているので、そこではまた違う時間が流れているかもしれない。けれど全体を考えるのではなく、一部分だけ見てみよう。
 都心で夜遅くまで働き、仕事は忙しくてアドレナリンがずっと出ている、という人は相当忙しい時間を送っている。もしわたしがそういう生活をしていて、週末に実家に帰ったら、田舎はなんてゆっくり時が過ぎるのかと思うだろう。
 でもわたしが家にいる3日間と、実家に帰った3日間だったら、わたしは実家での時間を「落ち着かない」と感じる。
 田舎の時間は実はいろいろとあって、気がつくと1日などあっという間に終わってしまうのだ。
 朝になれば朝ご飯。「いらない」というわけにはいかない。ご飯ができるのを待つ家族がいるからだ。これは子供がいたら東京でも同じことかもしれない。ただ、田舎の場合は子供がいなくても老人がいたりして、夫婦二人というのはあまりないのだ。
 洗濯は朝のうちにしなければならない。掃除も朝のうちにしなければならない。夜やっているなんて、そんな家ないもの。そんなことをしているともう10時のおやつだ。自分がいらなくても家族はいる。
 今日は本でも読んで過ごそうかと思っていても、朝食でも昼食でも夕食でもない時間帯は、用がある人にとっても訪問に適した時間。誰かが回覧板を持ってきてくれたり、次の道端清掃についての伝言をしにきてくれたり、そのたびに10分15分話していると、「あれ?もうこんな時間?」
 この間大根をいただいた人に、今日のうちにお菓子をお返しとして持って行かなきゃ。
 そんなことをしている間に暗くなってしまうし、暗くなってしまうと「夜だ」という気持ちになる。こんな夜になったら、もう明日のために休養するのみ。漫然とテレビを見たら、一日は終わってしまった。
 仕事以外にたいしたことをしていない普段のわたしの休日とは違う、忙しい日が続いて終わってしまった。
 やっぱり違う時間が流れている。日帰りのときは感じない。だけど2日や3日続く休日を比べてみると、わたしはいつも思うのだ。

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冬の風景

冬の風景


枯れた冬の風景に、心惹かれる日もある。

落ち着くから。
春になり、生命の季節が始まると騒がしくなる大気が、
まだ沈黙していて、静かで、疲れを癒せるから。

「笑って!」「恋をして!!」「泣いて!」「怒って!!」
「生きて!」「生きて!」「生きて!!」

その『時』はまだ来ない。

今はまだ休息の時――

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南の島の時間

 南の島には憧れる。
 「ハワイが好きで、何度も行ってるの」「マレーシアには年に一度は行くわ」「毎年は行けないけど、バリが好きよ」そういう人たちは多い。
 わたしはどの南の島にも行ったことがない。だから余計に憧れるのかもしれない。
 「毎年行くわ」という人たちのは、憧れではなくて現実だ。実際に見て、触れて、知っていて「それが好き」。わたしのは知らないからこその「好き」。つまり憧れだ。
 行ってみたら、いい面ばかりじゃなくて悪い面もあるかもしれない。ルールの違うことはいくつもあるだろう。それを「それもこの国らしくていい」と楽しめる人もいれば、受け入れられない人もいるだろう。
 だから、実際に行ってみたらどう思うか分からない。幻想でプラスされている魅力も、実際に見てしまえばそれで満足してしまうかもしれない。得られないものはいつまでも憧れだけれど、得られたものはそれで満足してしまうかもしれない。何度も何度も通いたいとは思わないかもしれない。
 少なくとも南の島にはこんな素晴らしい時間が流れているはずだという幻想はなくなる。もし素晴らしい時間が流れていたとしても、それは夢見て憧れている幻想ではなく、実際のことになるからだ。とても好きだと思っても、それはもう幻想ではなくて、実物を実際に好きなのであり、現実なのだ。
 だからわたしは、行ったことのない者の強みで、南の島の素晴らしい時間への憧れを堪能する。
 南の島にはゆるやかな時間が流れている。急ぐことはない。まるで時は永遠にあるかのように、ゆっくり過ぎて行くし、いくら使ってもなくならない。美しい夕陽は飽きることがない。朝、遅く起きても時間はたっぷりある。海は永遠に波を寄せ続ける。わたしはせわしない毎日をそこですっかり流すことができる。いわゆる命の洗濯というやつ。
 本当にそんな時間が流れるのかどうか詩らないが、知らないからこそいつまでもそれは真実であり続ける。
 南の島には憧れる。そこで特別な時間を過ごしたいと思う。ゆっくり流れる時間。決して急がない時間。無為の時間。
 夢を見るだけで少し楽しい気持ちになれる。

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時の輪

時の輪


10日じゃまだ分からない。

今年の車輪は廻り始めたばかり。
良いことも悪いこともこれから起こる。

10日でもう悪いことが起こっても、
あとの350日がどちらに進むか分からない。

10日で素晴らしいことが起こっても、
あとの350日でどう変わるか分からない。

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インドの時間

 こんな言葉に出会った。
「お客さん、東北の人ですか? 平気で人を1時間でも2時間でも待てるのはインド人か東北人だけです」
 夫は東北人だが到底1時間なんて待てない。15分待たされても駄目だ。でもこれは個人個人の話ではなくて、一般論としてだろうから、なんとなく納得がいくものもある。
 インド人についても然り。本当に何時間でも待てるのかどうか知らないが、インドには特別な時間が流れていそうな気がする。
 インド映画が流行ったとき以来、インド映画を見るのが好きで、インド映画を買うためにインドの雑貨サイトもよく見る。そこにはインドらしい混沌の世界が広がっている。
 商品の中には「インド品質のためセール」というものもある。インドでは普通に売られている商品だが、日本の流通にのせるには『インドの商品ですからあしからず』と断ってもクレームが来そうだ、というもの。それを「インド品質」と称している。そう言われると大変納得だ。国によってそういった基準や価値観は違うだろうと思うから。
 ましてインドだもの。
 そう思わせるものがインドにはある。
 わたしたちがカリカリすることを、インドの人は「なぜそんなに怒っているのか?」と理解できないかも。わたしたちが当たり前と思うことを、インドの人は「どうしてそんなことをするのか?」と疑問に思うかも。
 ガンジス河がゆったりと悠々と流れていくように、インドの人も違う時間を生きているかも。
 何日もかける結婚式。欧米の1.5倍や2倍の時間をかけて見る映画。どこまでも増えていく人口。どこまでも広がっている茶畑。何層にも積まれて行くゴミの層。牛が通れば待つ生活。時間が来ても来ない電車。いつまでも続く暑い日。なかなか崩れないカースト。
 いいことも悪いこともあるだろうけれど、インドは独自の世界を生きてる。気負ってプライドを主張するでもなく、卑屈に劣等感に苛まれるでもなく、ただただ自分の道を生きてる。
 日本人には理解できなかったり、耐えられないこともあったりするインド。でありながら、日本人はハマるとどっぷりインドに浸かるらしい。
 それは異なる時間の流れにはまりこみ、そこに根をおろしたのかもしれない。あるいはおろしたいけどおろせないからこそ、強く憧れている人なのかも。
 わたしはインドには行けないけれど、インドの音楽や映画に身を任せて、ひとときなりのインド時間を味わおう。

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善き年に

善き年に


明ける年に願いを込める。

どうか悪いことが吹き払われるように
善き年になるように、と。

昇る日に祈りを込める。

何も悪いことが起きないように
良いことがあってくれとは思わない、
せめて悪いことが起きないように、と。

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