夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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四季を味わう生活

 田舎暮らしの本は一時期とても増えたようだった。雑誌も出ていたし、エッセイも多かったし、マンガもあった。
 夫は「ウッシーとの日々」が好きで、あれを読んで以来「北海道に移住したい」と言い続けている。
 簡素な絵で、実は絵としてはあまり好みでなかったけれど、読んでみるとまた読みたくなる。癒しのマンガとして、わたしも愛用した。
 人それぞれ「これが好き」というのは違うかもしれないが、田舎暮らしの本はやはりそそられる人が多いと思う。だからこそ、あんなに出版されているのだろうし。
 わたしはイタリアや南仏に住む人のエッセイを読むのが好きだった。これも同じことだと思う。「ウッシーとの日々」もそうだし、わたしが好んで読んでいたエッセイもそうだったが、移住者の視点で描いている。イタリアや南仏に移住して本を書く人は、イギリス人が多い。もちろん日本人の本はもっとたくさん出ているが。
 そうだ、確かマンガもあった。「モーレツ!イタリア家族」というもので、マンガ好きの知人が貸してくれた。でも「ウッシーとの日々」とは少し違う気がする。
 「モーレツ!イタリア家族」のほうは、「イタリアに住んだらこんな面白いことがあったよ! こんなふうに価値観が違うよ!」というもの。発見を描いている。この系統のものは多い。「トルコで私も考えた」他、たくさんある。
 「ウッシーとの日々」はスローライフの様子を描いている。これをうまくやるのは、発見を描くより難しいのだろうか。同じような話をあまり思いつかない。東京が舞台の「ビンボー生活マニュアル」もこの部類に入れられるかもしれない。
 発見モノは面白いけれど、癒しとは違う。何度も読まなくてもいい。忘れた頃にまた読むのは、また発見できて面白いかもしれないが、記憶が新しいうちに読んでも「知ってる」と思ってしまう。
 自分にとっての癒しグッズ、和みグッズ的な本は忘れていないうちにまた読んでもいい。
 大自然の中だろうと、大都会の片隅だろうと、そこで四季を感じながら、日々の生活を楽しんでいる本はいい。ホッとさせられる。
 ただ、あざとくその効果を狙ったものもあり、そういうのはいただけない。いいものを見つけるのは発見モノより大変である。

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オレンジの太陽

オレンジの太陽


オレンジの太陽


燃える、燃えるよ、
すべてが燃える。

雲も燃えるし、空も燃える。
照らされた木々も、木々の残った葉も、
この建物の窓も、何もかも燃える。

冬の夕日は強く燃える。

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四季を楽しむ貧乏生活

 「ビンボー生活マニュアル」というマンガがあり、夫が持っていたのでずっと昔に読ませてもらった。
 ビンボー生活のことが書いてある。パンの耳で作るパンがゆや何時間もいられる喫茶店などが出てくる。
 でもこの作品の主眼は、「お金をかけずに暮らす方法」ではなく、「質素な暮らしを楽しむ方法」なのだ。
 ビンボーだから当然ジムなどには行かないけれど、6畳の部屋で自分流アスレチックをしたりする。隣の学生が一週間留守をするとき、ビデオデッキを借りて映画三昧のビデオ合宿をする。大学時代の友人から年賀状が届いて、大家から借りた硯で墨をすり、返事を書く。彼女との待ち合わせに新宿まで歩いていく。
 主人公は定職に就いていないからビンボーなのであって、つまり毎日暇。無為の生活を送っている。無為の生活を楽しんでいる様子が描かれたマンガである。
 今、読み返してみると、豊かな時代だったのだなと思う。バブルな時代で、日本全体がお金を持っていた。だから一人くらいこうして無為の生活を送っていても、いくらでもやっていけるのだ。「人手が足りないから」と一日くらい雇ってくれるところは割とあり、周囲の人々も主人公に対して鷹揚である。みそやバターも貸してくれるし、炊飯器やビデオデッキも貸してくれる。使用料なんて言わないし、見返りが割に合わないと腹を立てたりもしない。「お前だけ楽をしている」と責める人もいない。
 今でももちろん、人情は生きているだろう。
 昔ももちろん、生き馬の目を抜く社会ではあったろう。この作品の中に息づく世界だけが、大らかだったのかもしれない。
 でもやっぱり、こういう無為の生活を楽しむのも楽ではなくなったように思う。頑張っている人たちが、頑張っていることを楽しんでいて、無為の生活を送っている主人公を羨まないというのも、今は昔の感覚という気がする。
 またあのバブルの頃が戻ってほしいと思うわけではないが、このようなところにも時代を感じるので驚く。
 しかし実際にはあまりないからこそ、読んでいて楽しい、貴重に思えることはある。ビンボーゆえに四季を楽しみ、ささやかなことを楽しんで生きていく生活を、ときどき覗いてみるのもいいかもしれない。

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ひなたぼっこ


ちょろりと出てきた、暖かい光を探して。

落ち葉の下も暖かいけど、
日が照っているときはお日様がいい

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30分でばんごはん

 日本の料理番組は、作るよりも見て楽しみたいわたしには、教則本的すぎるか騒がしすぎるか、どちらかである。
 でもひとつだけ、好きだった番組があった。
 たぶんずっと昔のNHKの「30分で夕食を作る」というコンセプトの番組。
 毎回担当する講師は違う。
 その日の料理研究家が、よーいドン!で料理を始める。「ここに30分煮込んだものがあります」はなし。「切ったものがあります」もなし。30分の間に、みそ汁を作って料理を作って副菜を作る。
 説明しながらというのは、黙って作業するより気が散るものだし、手も遅くなる。最後のほうは焦っているのが見ても分かるほどの人もいた。その人はぎりぎり料理を並べ終わると、あからさまにホッとしていた。面白かった。
 あまり楽しそうに料理を作るので大好きなジェイミー・オリヴァーも「30MM」という番組をしていて、去年スカパーで放送していたのを見た。30分でひとつの献立を作る。
 でもこちらはジェイミーらしく、夕飯の支度というよりは、小さなパーティー。番組のエンディングで4人で食べる様子が1分ほど映っている。
 若い頃からこういう番組をよくやっていたジェイミー、喋りながら料理するのも慣れていて、動じないし遅れない。
 ジェイミーの番組のほうは、30分で作っているのを楽しむより、やはりおいしそうだとか雰囲気がいいとか、いつものジェイミーの番組と同じ楽しみ方をしてしまう。
 料理番組ではないけれど、やはり昔のNHKでやっていたインテリア系の番組も面白かった。これも30分で夕食を作るのと同じ面白さだった。
 今の時代はカーテンを変えたり、収納ボックスを作って部屋を掃除したりじゃなく、もっと大規模なものをする!とばかり、やっていることが大胆だった。
 見たのは、庭に池を作る回。土を掘り、水が土にしみこんでしまわないよう防水シートを敷き、その上に土をのせ、池の周りには土曜、植物の鉢植えなどを置き・・・・・・。実に大変そうな作業だった。他のときは、ハンモックを作っていた。いったいこんなもの、一般家庭のどこに作れるだろうか?
 そういう醍醐味のある番組だった。
 自分ではそれにチャレンジするわけではないけれど、見て楽しめる番組は面白い。でもそれ自体が目的になっている芸能人が何かをするような番組は、あまり見ないで終わってしまう。不思議なものだ。

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赤を透かして

赤を透かして


赤を透かして光が洩れる。

静かな、ものみな枯れている季節を前に、
ここを先途と燃え尽くす。

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料理がおいしそうな番組

 料理がおいしそうな番組は、それだけでとても好き。
 実はあまり料理に情熱を抱いていないので、見てもほとんど作らない。主婦向けの料理雑誌では、簡単に作れておいしいものも紹介しているけど、それでさえ作らない。
 だから外国の料理番組を見たって、絶対に作らない。日本ではあまり手に入らない材料もあるし。でも見るなら断然、ジェイミー・オリヴァーだと思っている。同じような番組で、豊満な胸のナイジェラが自宅のようなところで料理を紹介する番組もよかった。
 外国の番組だからって、全部が同じような雰囲気ではない。スタジオで作る番組もあるし、カリスマ講師然としたホストもいる。このふたつの番組は、「いかにもスタジオ」というところではなくて、雰囲気もよかった。そしてとても楽しそうに作る。まるで家で大好きな料理をしているかのように。
 「先生」という感じではなくて、「ここで味を確かめておく。ペロッ。ィエス!! ブ・リリ・アント!」なんて言っている様子は、本当においしいんだと思える。できあがった料理がとてもおいしそう。映える。
 何より、「料理が好き」という気持ちが伝わってくる。伝わらない料理研究家って、結構多い。わたしは実際に料理を作るわけではないので、手早くできたり、家にある材料でできたりしなくてもいい。先生然と教えてもらうより、彼らが楽しんでいる姿を見ていたい。
 この「自分で作るわけではない」という姿勢は、料理番組を見るときは邪道だと思うけれど、これはわたしなりの楽しみ方。楽しみのためにすることなのである。
 簡単にできる夕飯のおかずや、レパートリーを増やさなければならないなら、雑誌などを見る。これは「楽しみ」ではなくて、「必要」。料理好きではないので、楽しいとは思えないのである。
 楽しむためなら、作らない料理を見ていたっていいでしょ? と、楽しめそうな番組はよく見ている。「Sweets & Bred」なんかも好き。
 きっと、素敵な喫茶店に行くのと同じ気持ちなのだ。窓が可愛い、インテリアがお洒落、カップが綺麗、それだけでいい気分になる。コーヒーや紅茶やケーキがおいしければ最高だけど、たとえ最高じゃなくたって、まずくなければ大満足。全部ひっくるめての楽しさだから。
 こういう料理番組を見ていると、気持ちが和む。慰められたりするときもあるし、癒されたりするときもある。わたしにとっては心を落ち着けてくれるアイテムなのだ。

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ひらひら

ひらひら


ひらひらひらひら、落ちてくる。
そろそろみんな、落ちてくる。

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ぶらり旅

 「ぶらり途中下車の旅」という番組があって、好んでよく見ていた。今でもやっているのかどうか知らないが、スカパーに登場したので、タイミングが合えば見ている。
 今日は○○線、と路線が決められていて、その路線のA駅で降りてみました、B駅で降りてみました、という内容。全駅に降りるわけではなく、いくつかの駅。
 ぶらりと降りて歩いてみたら、こんな面白いお店を見つけちゃいました、こんなものに出会いました、こんな公園がありました、という偶然の出会いが売り。けれどあらかじめどこに行くか決まっているし、先方とも話がついているのは明白。
「歩いていると、普通の住宅街って感じですね。へぇ~、こんなところなんだ。あ、あそこの公園に人が集まってますよ! ちょっと行ってみましょう。これは何ですか?」
「鼻笛愛好会です」
「鼻笛!? そんなものがあるんですか~」
 絶対、この人たちは今日撮影のために集まってきている・・・。明らかに計画的な出会いだけれど、あくまで偶然ということになっている。
 この番組を見ていると楽しいのは、なんてことない街や店だからだと思う。特別な場所も楽しいけれど、「あ、こんなところに!」「あ、こんなものが!」というささやかな発見が好きなのだ。
 気づいていなかったけれど、そういえば自分もときどき同じことをしている。
「今度、どこどこの商店街に行ってみよう」
 そして商店街を歩いて、「へぇ~こんなお店がある」「これは面白いね」「ちょっと疲れたからあの古びた喫茶店で休もう」。半日ふらついて帰ってくる。そういうこととか。
「昔住んでたあの街、今はどうなっているんだろう?」
 そして出かけていって、「あのお店がない!」「新しい建物がたくさん建ってる!」「この辺はあんまり変わってないんだなぁ」。懐かしい店で買い物したり、新しい店に入ってみたりして、帰ってくる。
 ロケとは違うから、ものすごく面白いものに出会う率は低いし、集まってる人たちに「これは何の集まりですか」とか「この辺で面白いものって何ですかね?」なんてなかなか話しかけられないけれど。
 ぶらり旅は楽しい。旅っていうほど遠出しないけど、それがまた気楽で楽しい。
 土曜日に出かけて、日曜日は家で休む。そのくらいのぶらり旅でいいな、と思うことが多くなった。

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