夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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雨上がり

雨上がり


雨上がり。
セミの抜け殻にも水滴が。

中身のセミは今頃は、
どこかの枝で上がると共に鳴き始めてる。


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旅行の効用

旅行に行こうと決めたら、ストレスが軽くなった。
旅行が救いになったのだ。

「でも今度旅行に行くし。そのときはいろいろ楽しもう」とイライラをスルーする。
「もうすぐ旅行だし」と思うと、ストレスになりそうなことも、笑って流せることに気づいた。

旅行って、こんな効用があったんだ!! と感心した。

しかしながら——現実から逃げ切ることはできないのだということがわかった。

何もかも忘れて、旅行を楽しみたい。
この3日間だけは仕事を忘れよう。

そう思っていたけれど、悲しいかな、わが家は貧乏である。
ずっと以前、ひたすらアルバイトでサービス業をしていたときよりは収入が増えたが、同じ年齢のちゃんと人生を歩んでいる人と比べたら全然だ。
最低料金の旅行にするため、日月火や木金土などの平日を含む日程で出かけた。

すると、それらの平日に仕事の連絡が来ていたりする。
フリーで仕事をしていると、仕事の連絡は無視するわけにはいかない。
「帰ってからでいいや」というわけには行かないのだった。

せっかく旅行に出かけてきても、こんな遠くまで仕事は追いかけてくる。

パソコンなど持っていなくても、今はスマホやタブレットの時代。
いくらでもメールチェックもできるし、返事も出せるわけで、逃げるわけにいかないのだった。

またわたしは、特に誰にも言わずに出かけていたので、相手は旅行に出ているとは知らない。
普通の平日のようなふりをして返事を出さなくてはならず、まさに現実そのものだった。

仕事の現実の中には、業務そのものとは違うこともある。
「××さんの例の件の成功を祝って、飲み会をしようと思うんですよ」

わたしにはまったく関わりのない件。
わたしが祝おうが祝うまいが、どうでもいいけど、にぎやかしとして1人でも多くの出席者が欲しいらしいという飲み会。
どうも集まりが悪いので、たくさん人が来なくてもいい、3人いればそれでいい、と思われている飲み会に、3人目として誘われている件。

ものすごく行きたくない会だった。
しかし小作の身では、それも難しい。
相手は全然偉くない人だが、わたしの立場から見たら十二分に生殺与奪の権を持っている。

本当に、ただのパートさんみたいな立場の人で、相手は親しい間柄として誘ってくれているわけだけれど、にぎやかしであることに変わりはなく、行きたくないことにも変わりはない。
そしてパートさんのような人でさえも、わたしにとっては心象を悪くするわけにはいかないってことにも、変わりはない。

というわけで、考えに考えた。
その間は「旅行」じゃなかった。現実に引き戻されていた。

何度も書き直しながら返信の文章を考えた。
その間も「現実」で「旅行」という救いの時間ではなかった。

なるほど。
逃げたつもりでも、現実が追いかけてくることもある。

旅行に行っている間は現実を忘れていられるとも限らない。

そしてそれが分かってしまうと、「でもわたしはもうすぐ旅行に行ける」という魔法も、力が半減してしまうのかもしれない。

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雨に濡れたマリゴールド

雨に濡れたマリゴールド


雨に濡れたマリゴールド。

春も夏も花壇にあるけど、
夏こそふさわしい。

雨の日でもオレンジ色のお日様が、
花壇の中で輝いているから。


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旅行の効用

旅行にはあまり行かない生活を送ってきた。
理由は主に経済的なもので、行かないから楽しさも分からないので関心も薄かった。

けれど去年は2度も旅行に行った。
思うところあって「旅行をしよう!」と思い立ち、自分で計画して、自分の行きたいところに立て続けに旅行したのだった。

立て続けの意味は、こうである。
経済的理由で安く行きたかった。そのためには平日をうまく使うのがよい。やはり連休や週末は旅行代金も高くなるからだ。
平日に休みをとるとなると、仕事の閑散期に限られる。わたしの場合は冬が閑散期なので、真冬を避けようと思うと冬の初めになる。さっさと行かないと年末年始になってまた高くなるので、いやでも立て続けになる。
これは旅行代金の安い時季とも重なっているので、大変都合がよかった。

「思うところあって」というのは、人生をいろいろ考える年頃になってきてあれこれ考えたという意味だ。
だから多少思いつめていて、「どうしても2回旅行に行かなきゃ」という気持ちだった。つまり延期やら中止やらはなしなのである。立て続けでも何でも行きたかった。

中年になって、まるで小作のような立場でずっと仕事をしていて、今後もずっと小作生活から抜け出せないだろうと思うと、いろいろ考えることも多いってものである。
そんなときに、身内の不幸などで考えさせられることがあったりして、何しろいろいろ考えさせられたわけである。

さらに言うなら、考えたからって、何も変わらない。考えるだけ無駄なのだが、考えずにはいられない。

そんなとき旅行を思い立ち、これは絶対に行かなければ、立ち消えにしてはいけないと決意した。
これまでも時折、「旅行にでも?」と思ったことはあったのだ。
でもあっという間にタイミングを逃してしまうのだ。今回はそういうことは避けなければいけない。

パンフレットをもらい、眺めて、検討。
いつもならここで終わってしまうけれど、ついに旅行会社に行った。そして申し込み。
今の時代、皆さん旅行なんて山ほどしてるけど、わたしにとっては清水の舞台から飛び降りた感のある2度の旅行が決まったのだった。

すると、不思議な現象が起きた。
やりきれない気持ちになることが多い小作生活が、耐えやすくなったのだ。

今まで通り、上司のちょっとした言動に、いちいち心がひっかかる。
ひっかかりはするが、そのすぐ後に「でもわたしは旅行に行くし」という気持ちが浮かんでくる。
行ったからなんだってことではないのだけれど、旅行したからって何も変わらないのだけれど、「わたしには旅行がある」と思える。

先行きを考えると暗い気持ちになることも、何も変わらない。
でも「とにかく旅行に行くし」と思える。
旅行を楽しんでから、また考えよう——そういうことなのだろうか?

なんというか、旅行が救いになっているようなのだ。

つまりは、遠足を楽しみにする小学生のような状態になっていて、気分も高揚している。
小学生ならただ楽しみにするだけだが、労働に疲れている中年の孤独なわたしは、楽しみを救いにしているのだ。
ストレスがあっても、「でもわたしは今度旅行に行く。そこでたくさん楽しんで、癒されよう」とやり過ごしている。

どうやらそういうことらしいと気づいた。

1回目の旅行が終わっても、わたしはストレスフリーだった。
2回目が予定されていたからだ。

——そうか、このためにみんな、旅行に行きたがるわけか。

ずいぶん遠回りしたものだが、わたしもついに人並みに旅行に行くことができ、そしてその意義を悟ったのか。
そんなふうに考えて、感慨にふけった。

世の人々がそのために旅行に行くのかどうかは知らないが、そういう人もいるだろう。
その気持ちが初めて分かったと思って、なんだか感慨深かったのだ。

そしてもちろん、2回目の旅行の後は、もうやり過ごす手段はない。

——そうか、このためにみんな、何度でも旅行に行きたがるわけか。
帰って来たら、「次はどこに行こうかな」と考え始めて、救いにするわけだ。

真実はともかく、そんなことを思ったが、真似してみることはできなかった。
そうそう旅行になど行けるものではないからだ。

なぜかというと——主に経済的な理由である。要するに貧乏なのだ。
次に行くとしても、また一番安い時季までお預けだ。

旅行の効用を存分に味わえる懐具合になりたいものである。


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ブラシノキ

ブラシノキ


こんな普通の住宅街にはそぐわない、目立つ赤。
とがった形。

きっと外国の木に違いない。

それでもこんなに大きくなって、
根をはっているんだね。

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「フツー」ってことについて

道端を歩いているときでも、「あ、きれい」と思ったら写真に撮るけど、撮った写真の使い道はない。
デジカメ以前は、現像して、できあがった写真を小さなアルバムに整理すると、なんだか満足できた。
でもデジカメはいちいち現像しない。現像すると邪魔にもなるので、いいと思った写真でも特に現像しない。現像したからって、もともと誰に見せていたわけでもないのだ。

代替手段として、ブログを作ってUPすることにした。
誰にも見られなくてもいいと割り切ることにした。だからそのブログでは、見られるための努力をしなかった。つまり——どこかにコメントしたときリンクするとか、ランキングサイトに登録するとか、そういったことだ。

「完全に自己満足、誰にも見られなくていい」と思ったのは、自分の写真があまりにも「フツー」だったからだ。
現像していたときも、古本屋で写真雑誌などを買うと、セミプロやプロ級のアマチュアの方々の美しすぎる写真を見て、「こりゃ、とてもとても自分には無理」と思っていた。「無理」というのは、「その域に到達できない」というのではなくて、「それを目標とした努力すら無理」ということだ。
実際、世がデジカメ時代になって写真を始めた友人が、初心者向け写真教室などに通い、「ちょっと習うだけで勉強になるし、今までと違う写真が撮れて楽しいよ」と教えてくれたが、通わなかった。「体験レッスンで1日だけなんていうのもあって、気軽に行けるよ。1日ですごく変わるよ」とも勧めてくれたが、やめておいた。
怠け者なので、そういう努力が面倒だった。わたしの写真は完全に自己満足、撮って自分が楽しければいいと思っていた。

それでもブログにUPするのは楽しかった。誰も見ていないブログであっても。

時代は流れて、どんなブログも作ったらランキングに登録するようなご時勢になったので、自己満足写真ブログもランキングサイトに一応登録した。
文章の説明も何もなく、ただ写真を載せているだけなので、なにしろまったく検索ではヒットしない。何の努力もしていないので、どこからも誰もやってこない。ランキングサイトに登録くらいはしてもいいかな、と思った。だって記事が2つ3つしかないブログも登録している時代が来ていたから。

でも写真カテゴリには、実にたくさんのブログが登録されていて、これがまた、どの方もどの方も素晴らしい写真を撮っていらっしゃる。

デジカメ時代は急速に進んで、多くの人が写真を撮るようになった。
そしてたいていの人はわたしより勤勉で、テクニックや構図を勉強するから上達なさる。
わたしはいつまで経っても何もしないので、いつまでも平々凡々たる写真ばかりである。

申し訳ない気持ちというか、恐縮するというか、恐れ多いと思いながら一応、登録したままに。
何しろ写真カテゴリは多いので、ずーっとずーっと何ページも後のほうに載っている下位ブログなど、まあ登録していないに等しいから、そういう意味では恐縮もしないけど。

で、この写真ブログももう何年も続いてきた。
昔の写真と今の写真を比べると、代わり映えがしないのが分かる。
成長してないんだなぁ・・・・・・当たり前か、何も意識していないんだから、と時折自嘲する。

世の中のほうはどんどん進化して、スマホで撮る人も増え、カメラで撮る人はほとんどが一眼レフでバリバリ撮る本格派になった。
スマホ派は、インスタグラムなどに投稿する人は正方形の写真になることを意識して撮るというし、アプリで簡単にアートな写真にしたり組み合わせたりする。

いや、もうホント、「普通の写真」のブログなんて、やめたほうがいいんじゃないかと思う日が増えた。

ところが最近、このおっそろしく認知度の低いブログにコメントをしてくださる方が現れるようになった。
もちろん定期的に見てくださるファンが現れたというわけではなくて、通りすがりにふとコメントをしていくような方だ。

もちろん少ない。
年に1人か2人いるかどうかだけれど、そのコメントの内容が似ていることに気づいた。

以前にもそういう通りすがりの方からコメントをいただいたことが、3年くらいの間に2〜3回あったけれど、そのときはなかった言葉——「普通」という単語が、コメントに含まれているのだ。

明確に「凝った写真や狙った写真が多い中で、普通っぽいところがよかった」というものもあれば、「日常の普通の風景を——」というものもあった。

言われてみれば、みなさん素晴らしい写真ばかり。
どうやったらこんな色合いに撮れるの? と思う写真。
狙って素晴らしい瞬間を写したんだなぁ、と感心する写真。
この構図は凝っているなぁ、とため息が出る写真。
プロとアマチュアの境目ってどこにあるんだろう?と思うような、「お見事!」な写真ばかり目白押し。

なるほど。
そういう中では、むしろフツーの景色をフツーに撮っていて、全然「どうだ!」「これでもか!」じゃないもののほうが目立つわな。

とまあ、これまた自嘲まじりに思ったのだった。

以前、最近のラーメンは、いわゆる「普通」のものがなくて、どれもこれも凝っていると思ったことがあり、ここでもそういうことを書いた。
写真もそうなっていたんだ・・・・・・そんな中で、「普通」の平々凡々な写真は珍しく、レアケース。そしてそれを「癒し」「心地よい」と思うことがあると悟った。

とはいえそれをたくさん見ても、どれもこれも平凡な「普通」なわけで、ずーっと見ていたいブログにはならない。
人気の写真では決してないわけなのだが——


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反射

反射


これはなんだ?

光の反射。

あれはなんだ?

光の反射。

反射、反射、真っ白に反射。


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「習慣で生活にリズムをつける」ことについて

以前、失業給付をもらいながら、しばらく何もしないで暮らしていたことがある。ほんの3ヶ月ばかり——。
辞める前は、いろいろと希望があった。「少し仕事をお休みしてのんびりしよう」と思っていたし、そのときにはああもしよう、こうもしようと考えて楽しんでいた。
でも実際に休みになってみると、全然自分が思ったような「素敵な休暇」にならなかった。

今の仕事は断続的な仕事なので、「断続的な仕事×2」でダブルワークで一年間を埋めている。
年に1回くらい、どうにも仕事がなくて、1週間近く空くことがあるけど、このときも「素敵な休暇」は希望だけで終わってしまう。

無為な生活っていうのは、なかなか充実させるのが難しいのだなとしみじみ思う。

自分なりに、事前に計画を立ててみたり、あまりに計画を考えすぎると逆に挫折するのでゆるい内容にしてみたり、好きなように過ごそうと開き直ってみたり、いろいろしてみたけどうまくいかない。
あれほど休みを欲しているのに、いざ休むと「なんだか充実しなかった」と落ち込んで終わるのは、自分の性格上仕方がないのかもしれないと諦め始めている。

そういう中で、どうも「のんびり生活」を上手に楽しんでいる人にはリズムがあるようだ、と最近気づいた。

見ていたドラマの中で、メインキャラがCIAを退職させられ、姉の家で暮らすことになった。精神障害があるため、ストレスのない生活が必要だと、姉と姉の子供と父が住んでいる家にしばらく住むことになったのだ。
夜間にほんの少し、英語を教えるクラスを受け持つ以外は、家でのんびり暮らしているという設定。
このキャラが、以前の仕事の関係で呼ばれたとき、「今日は木曜日よ。木曜は私がみんなに夕食を作る日なの。そのために朝、庭の野菜も摘んだわ」と言って抗議するのだが——

時間にゆとりのある生活をするなら、そんなふうに「何曜日は何の日」という枷が多少あったほうがいいのだ、としみじみした。

断続的な仕事の職場に、わたしよりも出勤が少ない人がいて、わたしは断続的だが、その人は定期的に週2日、火水だけ出勤している。
わたしもその人も、ほかの人より早い時間に退勤時間が来るので、何度か一緒に駅まで帰って人となりを知るようになった。
その人の様子を見ていて、生活のリズムがあるから週5日もの休みがあっても、楽しい生活を送れるのかもという思いが、じわじわと湧いていたときだった。

やっぱりそうかなぁ〜と、ドラマを見ていて感じたのだった。

火水だけ勤務の人は、もう年配で、結婚していないので一人暮らしの男性。介護していたお母さまも亡くなり、一人暮らしに。
よく一緒に帰ると、「八百屋に寄っていきます」とつきあわされ、駅ではベンチで缶ビールを飲む。わたしは八百屋も何も買わずにつきあうだけ、駅でもビールを飲まずにベンチに一緒に座っているだけだが。

でもそれらの行動は、どうやら火曜日はしないようだと分かってきた。
水曜日だけの習慣なのだ。

水曜日は「今日が私の週末ですからね」と言って、「一緒に帰りましょう」と誘われることが多い。
「ちょっと遠回りして、××駅に出ましょう」といつも言う。

なぜかと思ったら、××駅に行きつけの八百屋があるのだった。
また、いつも使う駅には教えている生徒たちもいたりするので、××駅のほうに行って缶ビールを飲む。

わたしと一緒でないときも、どうやらこの人は同じように、水曜日は八百屋&ビールと決まっているらしい。

2日間が終わると、「明日からの休日のために」と、駅前の小さな八百屋でぬか漬けを買う。
手作りで店のおばあちゃんが漬けているらしい、いろいろなぬか漬け。
あれこれあると、「かぶときゅうりのやつがいいかな。こっちの高菜がいいかな。どう思います?」と悩んで聞いてくることもある。
このぬか漬けで家でビールを飲むらしい。ビール好きな人なのだ。

でも火曜日は買わないのだ。

そして駅についたら、駅の売店で缶ビールを1本買い、ホームの端のベンチで飲む。
ときどき、すぐに電車が来てしまうと「この電車、見送りましょう」と言われる。
わたしは飲んでいないので、「え〜」と思うが、一応おつきあいする。

でもこれも火曜日はしない。
「これで今週の勤務も終わった。頑張った」という気持ちで水曜だけ飲むらしい。

こういうふうに生活にリズムをつけると、どうやらいいのだなと感じる。
小さな楽しみや、小さな枷をつける。

わたしが失業給付を受けていた間も、サボらずに「午前中はこの家事をする」というふうにリズムをつければ、もっと快適に過ごせたのかもしれないと思う。

週2日の人の水曜の習慣は、もちろん絶対ではない。
職場の知り合いに「今日、飲みましょう」と誘われたら、八百屋に寄らないかもしれない。それとも寄ってから店に行くかもしれない。
疲れていて遠回りが嫌だったら、寄らないかもしれない。
代わりに自宅の近くのスーパーで漬物を買うかもしれない。

そのくらいのゆるい習慣。

わたしも何かそういう小さな習慣を自分に課して、リズムを作ったらいいのかなと考えている。


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夜の窓

夜の窓


もう仕事にもきっと慣れた頃。

もう新しい人間関係も心得た頃。

ふとトイレの窓から夜を眺めると、
ほっとしたような、疲れを意識したような、
不思議な気持ち。


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