夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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春の痛み

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 春は美しいものです。花々が次々に咲いて、瑞々しい若い芽が吹き出して、空が明るい青に輝いて、人々が華やかな装いになって・・・・・・
  美しい季節だからこそ、もしこの時季に悩みがあったり、暗い気持ちであったりするとこたえます。
  自分の悩み苦しみに何の考慮もなく日々明るく暖かく美しくなっていく世界。世の中は『自分』と『それ以外の事物』で成り立っているような気持ちになります。自分がどれほど暗い物思いに足をすくわれていても、自分以外の世界は何も待ってはくれないし、気にかけてもくれないのです。
  そんなことは当たり前のことなのですが、15年ほど前、まだ若かった頃、それがやりきれない年がありました。
  今年のわたしは、些細なことはあれ、平和な毎日なのでそんな気持ちになることはありませんでした。ありがたいことに。大人になって、多くのことが「小さなこと」と正しく評価できるようになったためでもあります。どうも若いときというのはまだ精神も幼くて、何事も自分にとっては重大に思えたものです。

  また、美しい季節は、悲しいときにはより心に沁みます。
  心が脆く敏感になっているため、より一層の瑞々しさで感受性に訴えてくるのです。
  父を喪ったのは3月の始めでした。まだ景色は枯れていて、風も寒々した季節でした。それが、一周忌、四十九日と迎えるにつれ、春爛漫となっていきました。
  黄色いたんぽぽが咲き乱れ、カラスノエンドウやホトケノザが紫がかったピンクの色で野にアクセントをつけていきます。オオイヌノフグリが小さい青い花を一斉につけます。緑の葉が、葉脈が分かるくらいに透き通って、大地にも木々の枝にも萌え出します。葉は色も薄く厚みもないので、陽の光をステンドグラスのように通してキラキラ輝きます。鳥が嬉しげに飛んで、空も雲も春の明るさになります。
  世界が一斉に命を取りもどしたように芽吹き、花開き、伸びてゆきます。
  父だけが、この春を見ることなく眠っています。春が美しければ美しいほど、あの日車を停めた病院の周囲が枯れた色褪せた景色だったことを思い出しました。
  悲しくても、人は泣いてばかりいるわけではありません。しばらくの間、わたしも下の妹も父を喪くした実家によく帰りました。実家には中の妹と母と祖母がいて、姉妹が揃うと賑やかです。普段は趣味や好みが違っても、この頃はひとつの悲しみに結ばれていたので、いつも一緒に行動していました。皆、普段のように仕事に行っていますし、週末に帰れば笑ってお喋りをしたりもしますし、夜は酒好きだった父の遺影と一緒に酒盛りをしたりもしました。それに、特に田舎ではそうですが、誰かが亡くなると遺族は忙しいものです。そういう忙しさのうちに、次第に悲しみが取り紛れていくものです。
  わたしたちの悲しみも平静さを取り戻していきました。落ち着いた、しっとりしたものに変質して行ったのです。
  けれど今でも思い出すのは、あの春の美しさ。忙しい合間にふと、「今年の春ほど美しい春はなかった」と足を止めた一瞬一瞬が鮮明に思い出されるのです。



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バラは白く陽に透けて、まるで自ら輝くようだった。

光は空の青を背景に、一面に降り注いでいたのだった。

白よ、白――
ただおのれの影だけが、色を染めていた。



白/バラの公園


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構図

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そこには木があって、道を渡る歩道がある。
歩道は茶色で、レンガ風に作られている。

空は青くて、雲ひとつない。
バラは白く咲き乱れ、太陽を受けて輝いている。

この風景は「公園」という構図を作っている。




構図/バラの公園


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ボタン

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ボタンは和美人、東洋美人。
華やかだけれど、バラとは違う。



ボタン/バラの公園


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バラの公園

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小さいけれどバラの公園。
まるで違う色、違う形だけど、やっぱりどれもバラ。

すぐ近くにあるバラの公園。
大舞台でなくても、やっぱりたくさん人が集まる。

散策する人、写真を撮る人、香りを確かめる人、通りすがり。
バラはやっぱり女王の花。



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バラの公園/バラの公園



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春―はじめ

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びわが大きくなりました。
これは,去年びわを買って食べたときに,種を土に埋めてみたものです。
大きくなったと言っても,木になったわけではありませんが,葉も大きくなりまっすぐに伸びています。
実がなるまでにはまだまだ何年もかかりそうだし,鉢植えでは木にまで成長するかどうか疑問ですが,
寒さにも負けずにこうして大きくなって春を迎えたのを見ると嬉しいものです。

今年の冬は鳥をたくさん見ました。
おかげでベランダは糞だらけですが,様々な鳥(からす以外というところがまたいい)を見られて楽しかったです。

しばらくぶりに田舎に帰りました。
寒かった・・・・・・
夜は北向きの部屋で寝たせいもあって,まだまだ冬だと実感してしまいました。
顔は冷たくなるし,重い布団をかけてもまだ寒いし,一度布団に入ったら出たくないし・・・
真夜中になって,そろそろ寝なくてはと思ったら雨戸が一枚開いていたので,起きあがって閉めました。
障子を開けたらびっくりです。
星がたくさん!
東京で見られる星の十倍よりもっともっとあると思いました。
プラネタリウムみたいだと思いながら,少しの間眺めていました。
夜は静かでした。
わたしの住まいは幹線道路に近いところにあるので,慣れないと夜などうるさいので余計静けさを感じます。
しーんとして,何の音もしません。
宵のうち風が強く吹いていましたが,その音もやみました。
あと1,2ヶ月すると,夜はかえるの鳴き声に満ち満ちた夜が続くでしょう。
夏になれば,蝉が夜も鳴くでしょう。
でも今日は,まだまだ皆静かに眠っています。

翌日,目覚めてからしばらくして外に出てみると,「まだまだ冬」どころか春になったと実感させられました。
陽当たりがいいところでは,春の草花が所狭しと咲いていたのです。
昨日は暗くなってから着いたので,気がつきませんでした。
オオイヌノフグリが一面に青い花をつけている中に,ところどころたんぽぽが黄色く咲いています。
紫の花も咲いていて,場所によってはホトケノザがびっしり咲いていました。
カラスノエンドウも大きく葉を広げていましたが,こちらはまだ蕾もありません。
家の庭では,まだ冬の椿も咲いていましたが,同時にジンチョウゲも咲き始めていました。
わたしは冬が好きですが,こうして春の明るさや躍動感を感じると,やはり楽しくなってきます。
春というのも本当にいい季節です。


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雨上がりの空

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雨上がり、金色に輝く雲。

そうだ、この日はベランダのプランターに植える苗を買いにいって、
突然の雨に降られたのだった。

あの頃は、目先の不安しかなかった。
あの頃は、ずっと先まで未来があった。
あの頃は、何もなかったけど、幸せだった。



雨上がりの空/空


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通り雨

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通り雨が過ぎ、青空が覗いた。

雲が切れ、光が射した。

――そんな些細なこともまた、楽しかった。
おままごとのようなわたしたち。



通り雨/空


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光、放出

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雲から光が噴き出している。

そこに宝物があるように、光が放たれる。

あそこに何か素晴らしいものがなければ、嘘だ。
そこにはきっと何かがある。



光、放出/空


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そう。あそこに住んでいたときは、空をあまり見なかった。

ビルが立ち並ぶ大通りから空を見るためには、真上を見なければならない。

前を向いたとき、視線の先に空があることはない。

空は見上げようと思って、真上を見たときだけ見える。

人通りの多い道路では、やってはいけない。

ある日、真上の狭い空を見上げたとき、
ああ自分は閉じ込められていると感じた。

空が見える暮らしもいいと感じた。



空/空


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見上げる空

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“見上げなければ空は見えない”

“ちょっと立ち止まって、上を見上げる時間も必要です”

そうだね、それはそうだ。

確かに、下だけを向いていたら、空はきっと見えない。

でも上を向いたからって、目に入るとは限らない。

ただ瞳のレンズに映るのと、そういう意味での「見る」は同じではない。

上を見たって、空が見えないときもある。

立ち止まっても、心が塞いで何も見えないときもある。



見上げる空/空


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やわらかい雲

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わたあめのように引き伸ばされた、雲。
きっと手触りもやわらかい、白い雲。

春は空の蒼もやわらかくて、
雲の白さもやわらかくて、

さわってみたら、きっとやわらかい、白い雲。



やわらかい雲/空


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空を映す

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いつもこの季節の田んぼは、空を映す。

水が張られて、苗はまだ小さくかよわく、
どこまでも果てしなく映しだす。

大きな水鏡がずっと先までつながっていて、
どこまでも果てしなく映しだす。



空を映す/空


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ふとしたところにある憩い

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 今日、目黒に行ったのです。ある仕事の面接でした。帰りに通った道に大円寺があり、人がお参りしていたのでわたしも入ってみました。
  たくさんの羅漢が並んでいます。五百羅漢と書いてありましたが、本当に五百あったのか『多い』という表現だったのか、数えられなかったので分かりません。お一人お一人、顔の表情が違っているのですが、遠い段の上のお顔はよく見えません。ずらりと並んで、思い思いのポーズをとっておられます。
  ゆっくり歩いて、境内を見て回りました。
  ふきの葉に囲まれた小さなお地蔵さまがいて、舞い散るピンクの花びらを頭にかぶっていました。お地蔵さまの後ろに花ももの木があったのです。お地蔵さまの頭の上にも、ふきの葉の上にも、舞い落ちた花びらが彩りを添えています。お地蔵さまが坐っておられる台座には、花びらが積もっていました。
  ふきの葉に隠れてしまいそうな、可愛らしいお地蔵さまでした。
  おみくじを引きたくなって、何回も振って出しました。「いろいろの事に心を迷わさずひとむきにわがいとなみに勉強すべしとなり」とあり、ふっと肩が下がりました。
  ここのところ、あれこれ思い悩むことが多くありました。仕事でも、仕事そのものではなくて、そこにまつわる事情や人間関係など、余計なことで煩わされていました。けれど考えてみれば、やるべきこと、やろうと思っていたことは中途半端で終わっている――文句を言わず、頑張ってみようと思いました。「このくじを引いた人は、真を大切にして誠を尽くさねばいけないが、あとは目上の者が引き立ててくれるのでじっと待つように」というお告げでしたから。
    ひたすらに
目当ての岸に
進みなば
波荒くとも
終に渡れん
  また明日になったら、あくせく思い煩うのでしょう。でも、今日のところは、じっと表情を変えない石の仏さまに荷を代わっていただきました。 



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綿毛

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木を見たら、たんぽぽの綿毛がついていた。

ここにいたら次の春に咲くことはできない。

きっと風か、雨か、虫が下におろすだろう――
でも今日はわたしがこの綿毛の運命なのかもしれない。

はずして、後は風に任せた。



綿毛/クローバー


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ちょうちょ

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クローバーの葉に小さなちょうちょ。

小さなクローバーにも埋もれてしまう、小さなちょうちょ。



ちょうちょ/クローバー


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シロツメクサ

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シロツメクサの花が咲いたら、もう春はまっさかり。

シロツメクサのじゅうたんができたら、もうそろそろ若葉の季節。



シロツメクサ/クローバー


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アカツメクサ

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ときどき見かけるアカツメクサ。
茎も太くて、花も大きい。

首飾りは作れそうもない。



アカツメクサ/クローバー


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