夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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観音さま

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光で彩られた葉のカーテンの中に、
観音さまが立っておられる。

静かに微笑んで、無限の慈愛とともに
立っておられる。



観音さま/鎮めの旅


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金色の光輝く朝に

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秋の光は金色に染まる。

金色の光輝く朝の寺、
光をはらんで輝く枝葉。

秋の枝葉は金色に染まる。



金色の光輝く朝に/鎮めの旅


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不可侵の林

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誰も入ってはいけない。

だから
誰も入ってはいかない。

古い寺の不可侵の庭。

日の光だけが、容赦なく照りつける。



不可侵の林/鎮めの旅


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苔の庭

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幻想のように、苔の庭はたたずんでいた。

夢のように、苔の林はけぶっていた。



苔の庭/鎮めの旅


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ひそやかな小道

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僧侶だけが通ることを許されている、
林の中のひそやかな小道。

苔に覆われ、曲がりくねる。

足音を立てずに僧侶が通る。



ひそやかな小道/鎮めの旅


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雲のひつじ

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秋の田畑の上を、雲のひつじが過ぎてゆく。

もこもこ白いひつじたち。
ふわふわ空を過ぎてゆく。



雲のひつじ/鎮めの旅


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さざなみ

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激しい波の海は、すぐそこに打ち寄せている。

でもこの岩場の水たまりは静かに横たわっている。

透明な水面が、小さく波打っている。

吹きすさぶ風が、岩に守られた水面をも
揺らしているからだ。



さざなみ/鎮めの旅



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岩場

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秋。

なぜ旅行に来たかというと、
悲しい理由もあったりするのだが、

激しい日本海の波はむしろ、
心をなだめてくれるのだった。



岩場/鎮めの旅


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田舎の風景

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この日本海側の地方でも、
わたしの田舎と同じなのだ。

日本海は荒かった。
同じ月、太平洋は穏やかだった。

それでも同じ、日本の風景。



田舎の風景/鎮めの旅


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車窓

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走る電車、窓から見える景色。

いずこも同じ、秋の雲。
いずこも同じ、刈られた田。



車窓/鎮めの旅


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闇に光を より

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闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



 ・・・・・・・・・・・・
  庭木の中では常緑樹がいちばん好きであります。常緑樹というものは素直に人間の生活の中にはいってきてくれます。他の木といっしょに森の中にはえていた時の野生を捨てて、ただちに私たちの家族生活に調和し、私たちがその生長を阻むようなことをしても、じょうずに、しかも力強く、私たちを感化してくれます。いつ見ても美しく立っていて、私たちのうちにひそんでいる美徳を引き出してくれるようであります。

  私の庭の小径の片一方の側にはえている常緑樹は、私が彼らを知っていると同じように、私をもまた知っていてくれるようであります。私のそばを通るといつもその枝を手のように伸ばして、私をからかったり、髪の毛をひっぱったりします。世界じゅうが生命の香気に氾濫する春になると、うれしいニュースをいっぱい持った友だちのように私の方へ寄りかかってきます。何かしきりにいいたげな様子をするのですが、私にはよくわかりません。その木はみんなで、「なぜ人間というものは、水や風と同じように少しも一つところにじっとしていないのでしょう?」と話し合っているようであります。「第一、あれを見てごらんなさい。あのかたにしても花の中をあちらへ行ったり、こちらへ来たりして、まるで風に吹き散らされる蛾のようじゃありませんか」と、そのとがった小さな指を突き出していっております。

  もしも私にそのささやき、そのため息を測り知ることができたならば、私は常緑樹のもつ意識の奥所を測り知ることができるでありましょう。私は常緑樹というものが未来を予言するものであるかどうかということは知りませんが、過去を啓示するものであるということだけは、はっきりいえると思います。数世紀以前に起こった事柄でも、なぜ起こったか、またどんなふうにして起こったかということを告げることができると思います。そうして彼らの過去に横たわっていた永生の様子をも教えてくれることができるでありましょう。私は樹木の年輪に触れて見たことがあります。それは今日の生命に到達するまでに経過してきた生死の歳月を物語るものであります。なぜ、こんなにまで大空にあこがれるのでしょう?なぜ、こんなにまで大地にたいする義務に忠実で、目的に執着し、その魂は過去の思い出に吐息しているのでしょう?私がそばに立つと彼らはこういうのです、「あなたというものは過去から未来を通して不変のものです。あなたの中にあるすべての原子と感情とは、私たちと同じように永遠の昔に始まったもので、ついにはまた私たちとともに永遠の帰り行くべきものなのであります」

  私は世の中の不幸に思い悩んでいる時、常緑樹の間を逍遥すると、自ら心が和らんでくるのを覚えます。私は夜の間、霜にいためられた花が、朝になると茎の上に身じまいを正し、再びりりしい勇気をふるって大空を見上げる時のような感じに打たれるのであります。そして私は常緑樹の間を散歩している時には、いつも闇の中で不平をいわず、せっせと労苦している地中の根の歌を聞くような気がします。根というものは自分の咲かせた美しい花をけっして見ることのできない運命にあります。自分は一生闇の中に隠れていて、しかも光の花を咲かせるのが根なのであります。根は小さく、賤しいものですが、その花を開かせ、幹を生長せしめる力にいたっては偉大なものがあります。私は手を伸ばしてそれに触れることはできませんが、根をやはり愛します。

  緑の木立の間を歩いていると、雨に湿った風が吹いてきて、私の顔に斑点の薄化粧をつけて行きます。遠い国から楽しい思い出がわき起こってきて、目に見えない砂の上に砕ける大波のように吐息します。その思い出は私の胸奥に「ホーム」「南の国」「母」「父」というささやきの飛沫(しぶき)を送ります。私の心情は昔、私を抱擁してくれ、歩くことを教えてくれた懐かしい人々の手を求めてときめく暗がりの中を手さぐりするのです。あの時小さな、おぼつかない手でつづって教えてくれた言葉は、今思い出してもほほえまれます。その言葉は現実のもので、私は赤ん坊の妹が私の膝頭にすがりついているように感じるのであります。

  アラバマの暖かい風が私と長い歳月との間に吹いております。弟のフィリップが片言をいって、その幼なげな越えが私の指先を軽くたたいているようです。「ヘレンねえちゃん、お馬ごっこしてちょうだい」とでも。いまや幾星霜、時は過ぎ去りましたけれども、私の頬に感じた接吻と、スミレと、早なりの珍しいイチゴとを摘んできてくれた手との思い出は忘れずにおります。「古くなり、過ぎ去りしがゆえに美し」といったあらゆるものの懐かしさよ。ああジャスミンとバラとの香がして、モノマネ鳥が騒々しくパラダイスの門をたたいていたいたずらざかりの若き日よ!
  ・・・・・・・・・・・・




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海の泡

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波しぶきが、小さな泡をポツポツと生み出す。

たくさんの泡がポツポツと生まれては消える。

にぎやかに生まれて、にぎやかに消える。



海の泡/秋の海02


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その向こうは海

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その向こうはもう海。

安全な中間の場所じゃない。
海が広がってる。

穏やかそうに見えても、それはもう海。
何があるか分からない。



その向こうは海/秋の海02


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照りかえる場所

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海は日の光をはじいて輝く。
照りかえる。

空は日の光を吸い込んで輝く。
照りかえる。

海は反抗的に輝く。
照りかえる。



照りかえる場所/秋の海02


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波打ち際

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すぐ外は海。
ここは海だけど、まだ海じゃない。波打ち際。

この岩棚の外まで行ったら、
いったいどのくらい深いのだろう――

人々は内側から、ただ外を眺めている。



波打ち際/秋の海02

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洗われる岩肌

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岩だらけの海辺は、波に洗われて滑らかで、
まるでテーブルのように見える。

だんだん満ちてくる潮が、
大きくかぶるようになっていく。



洗われる岩肌/秋の海02


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危険な遊び

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渦巻く波の瀬戸際に立って、
海にさらわれたらどうしようと、
ハラハラ立っている、ちょっとだけ危ない遊び。

波はそんなこちらにかまうことなく、
自分のペースで寄せては返す。



危険な遊び/秋の海02


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闇に光を より

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闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



 ・・・・・・・・・・・・
  私の庭の周囲にある常緑樹に囲まれた六月は、芳香のふしぎな緯(よこいと)であります.常緑樹や汀(みぎわ)の草の間には、ライラックや月桂樹の芳香が縫うように漂っております。私の行く道のかたわらに美しい色とりどりの花が咲き乱れ、かわいい顔で私を見上げてくれます。柔らかい草のはえているところでは、スミレが碧い瞳を見開いてふしぎそうに私をながめます。私はスミレとスズランとは夢の花だと思っております。というのは、これらの花はいつも眠りの園に咲いているからであります。スイカズラはイボタノキの壁にはい上がって微風に薫香を送っております。ワイギーラは生霊のような蔓を伸ばして私に抱きかかろうとします。それをはらいのけようとすると、その実をついばみに来る翅(はね)のある略奪者が、日光の中へさっと飛び散ります。日本とドイツから来た丈の高いハナショウブが、あずまやの周囲に園丁がつけてくれたリボンのような道に沿うて美しい花を咲かせます。庭の片隅にはライラックの繁みがあります。六月になると枝もたわわに花をつけて、心にしみいるような芳香!・・・・・・といってもライラックの香をほんとうに言葉に表した人はありませんが。

  五月から六月の初めにかけては、燃ゆる汐のようなチューリップが芝生いちめんに咲いて、ここそこには紫水仙、ヒヤシンスその他の花の島々ができるのです。その島の一つに触れると、手の中でユリが生まれ、腕の届くかぎり同じような奇跡が行われます。こうして自らの生命を与えることによって、生きる愛が私のエデンを占領したのであります。
  ・・・・・・・・・・・・




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覗く海

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海を覗く。

歩いている足をとめ、
ふと覗く。

変わらずに輝いて、そこにある。



覗く海/秋の海01



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海にはいつも光の道ができる。

その上ならば歩けそうな気がしてくる。



光/秋の海01



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空の蒼と海の青が分かれるところに、
雲たちが集まって井戸端会議。

穏やかな秋の海。



青/秋の海01



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水平

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ある晴れた秋の海。

水平線が誘う。
旅に出てみたら? 冒険をしてみたら?

どこにも行かなくても大丈夫、
心たのしく、ほがらかにいるなら、
旅に出たのと同じだよ――




水平/秋の海01


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