夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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  もう一つの例を示そう。そうすればわれわれはかならずたがいに理解し合えると思う。私はかつて古いイタリア絵画や18世紀のイギリス絵画の貴重なコレクションをもつ地方博物館やハイフェッツが独奏者をしていたことがある交響楽団をいtjも自慢の種にしている人々の住む町々を訪れたことがある。だがその町に着いてみると、かれらが全く品の良くない家に住み、みすぼらしい、きたない街を通って仕事場にかよっていること、そしてかれらの日常生活の中には、一日のうちわずかな時間しか開いていないその博物館と、一週間にただ一度、しかも2,3時間しか演奏しないその交響楽団を除いては、目や耳を楽しませてくれるものが何もないことがわかった。

  このような隣人たちと議論したり、かれらがまちがっていると説きつけたりしてもしかたがないことは、後になってよくわかったのだが、当時私は若く、短気で、全く経験がなかった。私はこれらの正直な町の人々に対してこう説きつけたものだ。本当の巨匠たちの本当によい複製画を、2,3枚居室や食堂にかけておく方が、地方美術館の片隅に1ダースものコレッギオやレイノルズの原画をしまいこんでおくよりもはるかに芸術的な心の救いのためによいであろう。また子どもたちを一週間に一度だけ交響楽団のコンサートにひっぱってゆくよりは、毎日本当によいレコードを聞かせてやる方が(すくなくとも音楽に関する限りは)おおいに世界の将来のためになるであろう。実際そのコンサートたるや、かれらにとっては全く退屈な一夜以外の何ものでもなく、ラジオの楽しい通俗性と感傷性からむりやり引きはなされているというだけのことではないか―――と。

  こういう議論をしても得たものは何もなかった。いくらかの人々は私に心から賛成してくれたが、これらの人々は今さら説得する必要はなかった。というのはかれらはいつも私と同じ考えをもっているからである。ところが別の人々は私のことを、新奇な教育思想をもった物好きな男で、わざと異を立てるため、おもしろがって宣伝しようとしているのだと考えた。

  このような経験を二、三したあとで、私はおしゃべりをおさえることを学んだ。だが私は絶対に正しかったと思っている。慈善は客間からというが、芸術はそれよりもずっと奥から、すなわち芸術は台所から始まるのである。もしも諸君が、ラファエルを三枚、デル・サルトを二枚、ムユヨを六枚、それにレンブラントまでもっている人に夕食に招かれ、しかも食事に使うフォークやナイフやスプーンが不恰好で釣合いがとれていないようなものだったとする―――そのときは、よく覚えておき給え。その人は真の芸術を大切にしていないということがわかる。かれはこれらの絵を隣人を感心させたり、銀行で信用を得るために買ったのである。かれはそれがなければ生きてゆくことができないから、それを手に入れたのではない。かれは真の芸術愛好者ではなく、かれの所蔵する絵は、あkれにとって夫人の着ている高価な毛皮のコートほどの値打ちもないのである。
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背伸び

ca115_リハネコふせる


だらーん。伏せてる。


ca119_リハネコごろん


ごろーん。寝転がって。
のびをしてる。


ca120_リハネコ後姿


立ち上がって、歩いていく。



背伸び/猫


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ca086_1010目をそらす


なんなの、あんた。
何見てるの?


ca102_1030目を閉じる猫


あんたなんて、知らない。


ca109_1030歩道に出てきた


最近、このあたりはあたしのシマ。
今日は挨拶に出てきてやったわ。



主/猫


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落ち葉

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かさこそ、かさこそ、落ち葉を踏んで歩いていると、
なめらかな毛に落ち葉がついちゃう。



落ち葉/猫


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暗がり

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薄暗がりに座り込んでる。

秋の日はつるべ落とし。

人はみな、家路についたのに、じっと座り込んでる。





暗がり/猫


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柵の向こう

ca002_1002座り込む猫


柵の向こうの草原。

柵の中だから安心。

おかしなやつに見つめられようが、どうしようが。


ca012_1004座り込む猫


はぁ~あ。
眠くなっちゃった。




柵の向こう/猫


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花と猫

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花壇の花の近くをすり抜ける。

花の香りがついて、香水みたいにならない?



花と猫/猫


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ニャー

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鳴いてみせる。

ニャー



ニャー/猫


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山に

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山にオレンジ色の光さす。

色づいた木々も、常緑の木々も。
手前の小山も、後ろの峰も。

わたしの顔も、手も、オレンジ色。



山に/オレンジ色の光を浴びて


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道端

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道端で何かを見つめる。

何をするのでも、まずじっと見つめる。



道端/猫


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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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  われわれほどはものを知らないが、われわれが疑いすらかけないたくさんのことを理解していた中世の人々は、それを悟っていて、物語のひとつに示している。それは悔い改めた二人の罪人の話で、かれらは聖母の像に近づいてお恵みを求めたが、さまざまな祝福を与えてもらうのに対して、お礼にささげるものが実は何もないことに気がついた。

  そこでその一人、古いヴァイオリンのほかには何ももたない貧しい音楽家は、かれの一番好きな曲をひいた。するとどうだろう、かれの祈りはきかれたのである。だが靴屋の番になったとき、かれは自分の礼拝はむだであったと思った。というのはかれにできることといえば、天の女神がこの次のダンスのときにはく優雅な小さい靴をつくってさし上げるぐらいしかなかったからである。「だがいったい」と靴屋は自分に問うてみた。「今聞いたばかりのあの音楽に比べて、一足の靴に何の値うちがあろうか」と。

  だがともかくもかれはできるだけ美しい靴をつくってさし上げた。するとどうだろう、かれもまた女神の瞳の中にお恵みを見出したのである。かれの黄金色の靴は感動を表現するかれ独特の方法だったのであり、とりわけそれは、出来ばえはとにかくとして非常に大きな努力を払ったものだったからである。

  このささやかな中世の物語と関連して、いつも妙に私の気にかかっていることがある―――その一つは私にはどうもよくわからない。現代の世界はなぜ、芸術と技術との間にこんなにはっきりした境界線をひきたがるのであろうか。芸術が本当に人々の日常生活になくてはならないものであった時代には、この境界線はなかった。誰も芸術家と職人のちがいを知らなかった。じじつ、芸術家というものは(芸術家というものを認めるとするならば)、たんに例外的な才能をもつ職人にすぎなかった、すなわち石工組合の他の組合員よりすこしばかりうまく大理石を刻むことのできる石工のようなものであった。ところが今日では、芸術家は街の一方の端、職人はその反対側に暮らしていて、互いにことばをかわすことさえほとんどない。

  私自身もそういう考え方をする時代を超えてきた。私の若かったころは、「芸術のための芸術」という、例のまちがったスローガンが、芸術を知っていると思われている人々の間に依然流行していた。だがそれはもう三十年も前のことで、それ以後幸いなことにわれわれはもっと勉強をした。今日では古いブルックリン橋を設計した人が、シャルトルの寺院の設計図をひいた名もない石工と全く同様に偉大な芸術家であることをわれわれは知っているし、たいていもの者はフレッド・アステアのダンスの芸によって、マイスター・ジンガーの終幕の五重唱を聞くときと全く同様の、本当の楽しみを味わうことができるのである。
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荒れる――

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空は静か。
雲も静か。

岩は何も言わずにただそこにいる。

波だけが激しく、
うねり、ぶつかり、当たっては砕け、
荒れ狂おうとする。



荒れる――/荒海


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うねる――

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水面がうねる。

何もかも連れ去ろうと。
何もかも消し尽くそうと。
何ひとつ残すまいと。

海ですべてを埋め尽くそうとする。



うねる――/荒海


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覆う――

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波が岩を覆う。

岩を飲み込んで、隠し去り、
まるで何もなかったかのように
波のうねりだけが見える。

波が去れば、しずしずと岩が現れる。



覆う――/荒海


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入る――

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波が鋭く入り込む。

白くしぶきをあげて、
一斉に入り込む。



入る――/荒海



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砕ける――

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岩に砕ける波。

晴れた秋の海に鋭い音。
激しい水しぶき。



砕ける――/荒海



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闇に光を より

闇に光を より

ヘレン・ケラー

(『Midstream』 1929)



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 さてこうして私が戸外生活が好きだというと、びっくりされるかたもあります。しかし神様はその創造物の多くのものを凸字版にしていてくださるのをごぞんじでしょうか。大地の美しい声は聴覚や視覚によらなくとも聞くことができるのです。私は森の中にいる時、木の葉の中をがさがさといわせてはっている小さな動物を捕らえることが好きであります。
  私は苔や、じめじめいsた植物の香が漂う小暗い路や、喬木(きょうぼく)や草むらが私のからだに触れる山路や深い谷などを歩むのが好きであります。
  また私は小さな橋の上に立って、脚下にヤナギバエを泳がせながら流れる小川を感じるのも好きであります。
  私は倒れた朽木の上にすわって、その木に巣くっている内気な小動物たちが、安心して私の足の指に上りはじめ、付近の小滝が私の顔に飛沫(しぶき)を散らすのを感じるほど、長い間じっとしているのが好きであります。からだを不動のまま耳を澄ますと、限りなくいろいろの音が聞こえてくるものです―――葉の立てる音、草の音、鳥が止まると痛いといってかすかに泣く小枝の叫び、昆虫の翅(はね)がさっと触れると一揺れする草ずれの音、アザミの銀色のそよぎ、これらの物音は聞こえても、あたりはなおも森閑としているのであります。
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奥の院

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ここは奥の院なのです。

ずっと歩いてやってきました。

ここは一番奥の院なのです。



奥の院/鎮めの旅


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赤い鳥居

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赤い鳥居、並ぶ。

赤い鳥居をくぐって、下に降りる。

地上に降りる。
下界に降りる。



赤い鳥居/鎮めの旅


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冬の到来を物語りはじめる、空。枝。雲。

まだ温かいけれど、まだ晴れているけれど、
冬の到来を少しずつ、語りはじめる、空。枝。雲。



秋/鎮めの旅


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古の寺

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古の寺。

木々に守られ、
冬は雪に守られ、

厳しい戒律に守られ、
長い年月、栄えてきた。



古の寺/鎮めの旅


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寺の屋根屋根

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波紋のように広がる屋根、また屋根。

修行をする僧たちが暮らす屋根、また屋根。



寺の屋根屋根/鎮めの旅


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