夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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神社にて

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もう寒さもだいぶ強くなった神社。
痩せた犬が寒そうな顔もせず、お散歩していた。

知らない人にもしっぽを振って、
寒そうな顔もせず、楽しんでいた。



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お買いもの

do023_焼き鳥を買いながら



ここはお肉屋さん。
飼い主さんがお買いもの。

わんこたちは興奮して待っている。



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待ちぼうけ

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まだかなぁ?
まだかなぁ?

いつ帰ってくるのかなぁ?
パパとママ。

早く帰ってこないかなぁ?

ん? 誰か来た。

――あんた、誰?



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内なる世界が荒れはてないために

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内なる世界が荒れはてないために

ミヒャエル・エンデ

(『芸術と政治をめぐる対話』から)



 みんながあまり注目しない現象がある。それは内なる世界の荒廃だ。これはおなじように脅威だし、おなじように危険だ。そして、この内なる世界が荒れはてないように、ちいさな内なる樹木をためしに植えてみてはいかがだろう。
  たとえば、いい詩を書いてみよう。これは内なる木を植えることだ。
  木を植えるのはリンゴを収穫するためだけではない。いや、木はそれだけで美しい。なにかに役立つというだけでなく、樹木がただ樹木であることがたいせつなのだ。
  それがおおぜいの作家たち、いや、おおぜいではなくとも、何人かの作家や芸術家がこころみていることだ。つまり、ただそこにあり、人類みんなの財産になりうるなにかを創造することである。それがそこにあることが、それだけでよいことだから。



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ビルに

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いろいろな人を飲み込んで、いろいろな物語を飲み込んで、
立ち続ける駅にもビルにも、光さす。

オレンジ色の光さす。



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日が陰る。

オレンジ色は地平の向こうに消えていく。




ビルに/オレンジ色の光を浴びて


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遠い海に

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遠く離れた海に、オレンジ色の光さす。

異国風の植物に。
まだ暖かい海岸に。

いつまでも青い海に。

やっぱりオレンジ色の光さす。



遠い海に/オレンジ色の光を浴びて


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木々に

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木々にオレンジ色の光さす。

葉がオレンジ色に染まる。
幹が、枝が、オレンジ色に染まる。



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空が、空気が、オレンジ色に染まって消える。



木々に/オレンジ色の光を浴びて




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はるかな国 遠い昔 より

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はるかな国 遠い昔 より

ハドソン

(『はるかな国 遠い昔』最終行)

・・・・・・・・・・・・よく世間の人が、好きで好きでたまらぬほど、この世の生活を楽しいとも、おもしろいとも思わないとか、自若としてこの世の生活の終わりに臨むことができるとか、言うのを聞くとき、私は、こう思わずにはいられません。そんな人たちは、本当に生きていないか、それほどつまらぬものと考えているこの世界を、冴えた目で見てはいないかだ、この世界にあるものを、なんにも―――草の葉一枚だって、見てはいないのだ、と。ただ私は、私の場合が、例外的なものであること、目に見えるこの現実世界は、世の常の人びとにまして、私にはもっと美しく、もっと興味の多いものに見えること、自然との交わりにおいて、私が経験した喜びは、あとかたもなくかき消え、ただ、はかない幸福の思い出だけを残し、現在の苦痛を、いっそう激しくさせるものではないこと、をよく知っています。自然との交わりがもたらす幸福は、決して失われるのではなく、私がお話しした、あの機能のおかげで、私の心に及ぼす力を、だんだんと増し加え、再び私のものとなるのでした。だから、長い長い間、自然との交わりを断たれて、ロンドンに住み、貧しく、友もなく、病気がちの日々を送らねばならなかった私の最悪の時代でさえ、なお、生きていないよりは、生きているほうが、ずっとずっと、はるかによいと、私は、いつも感じることができたのです。



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秋の終わり

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もうすっかり晩秋の並木道。

葉も落ち果て、枝にはほとんど残っていない。
赤と黄の饗宴は終わった、晩秋の並木道。

すぐに冬がやってくる。



秋の終わり/並木


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繚乱

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これを最後と繚乱の木々。

風に舞い、輝きながら降り積もる葉。

彩られた道を歩く人々。

風が吹くと、葉が空高く舞う。

どこもかしこも秋一色。



繚乱/並木


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移り変わり

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影が長くなり、秋の深まりを告げる。

少し肌寒くなってくる。

色が濃くなり、木々も秋の深まりを知らせる。



移り変わり/並木


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立ち並ぶ木々

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色づいて立ち並ぶ木々。

「今年は紅葉が綺麗なんですって」
話しながら通り過ぎる人々。

青く澄みきった高い空。



立ち並ぶ木々/並木


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紅葉の季節

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黄色く輝く並木道。
朝の光を反射する。

赤々と燃える並木道。
落ちる光を受け止める。



紅葉の季節/並木


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秋の初め

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秋が始まった。
少しずつ色が変わっていく。



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秋が始まった。
まだ目立たないけれど、少しずつ
色が変わっていく。



秋の初め/並木


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ヘンリ・ライクロフトの私記

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ヘンリ・ライクロフトの私記

ジョージ・ロバート・ギッシング





 「人間とは自らの不幸を嘆く愚痴多き動物なり。」この言葉の出典がどこか、私はよく知らない。一度シャロンの文章の中で、出典を明らかにしないままで引用されているのを見たことがある。そしてそれ以来、この言葉は名言というか、悲痛な真理として、しばしば私の心に浮かんだものであった。少なくとも長年の間、私にちっては真理であったのだ。自分を憐れむという贅沢がなければ、人生なんていうものは堪えられない場合がかなりあると私は思う。子の自己憐憫のおかげで自殺から救われている場合がどれだけあるか分からないと思う。ある人にとっては、自分の不幸を語ることは大きな慰めであろう。だが、そんなことをしゃべったところで、ただ黙って考えているうちにしみじみと味わわれるあの深々とした慰めなどは得らるべくもなかろう。私の場合、自己憐憫のこの癖が昔を思ってめそめそするといったのもでなかったことはありがたいことであった。現に苦しみに直面していた場合でも、そのためにあがきがとれなくなるほど根強い悪癖になることもなかった。この癖についに負けたとき、私は自分の弱さに気がついていた。そうやって慰めを感じたとき、私は自分自身をなんて情けない奴だと思ったものだった。たとえ「自らの不幸を嘆きつつも」、私は嘲笑的に笑うことができた。そして今では、われわれを支配している、知られざる力のおかげで、私の過去はその死せるものを葬ったのである。いや、それだけではない。私は自分が今まで経てきた生涯のすべての出来ごとの必然性を、まじめに、しかも快く承認することができる。かくなるべきであったし、また現にかくなったのである。このためにこそ自然は私を作ってくれたのである。その目的がなんであるか、もとより私の知るところではない。しかし、永遠から永遠にわたる万象の流れの中で、私の定められた運命はまさにかくの如きものであったのだ。

  いつも私が恐れていたように、もしも私の晩年が無残な貧窮のうつに送られたとしたら、はたしてこれだけの人生観を私はうることができたであろうか。仰いで天上の光をみようともせず、不平たらたら、ただ自憐の奈落の底に沈み、のたうちまわっていたのではなかったろうか。



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光のエレベーター

sk05123_秋の夕空



光のエレベーター。

宙からの生き物が使っているような。

透明な光のエレベーター。



光のエレベーター/空


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風の軌跡

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青空が広がって、木々が紅葉を始めて、空には雲。

風が流れる。

雲が流され、空に風の軌跡ができる。



風の軌跡/空


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あの頃の空

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子供の頃、真っ赤に染まる夕日の空を、路傍から見てよく思った。
「こんなにきれいな空、またあるだろうか」

雲が光って、その中には天の国があるように思える空もあった。
強烈な赤とオレンジに染まって、自分の顔もオレンジに染め上げられる空もあった。
太陽が急に巨大に見えて、赤くゆらゆらと落ちて行く空もあった。

広がる田んぼは、視線をさえぎるものがなくて、
彼方の道路を行く車は小さくて、
わたしは自転車を停めて、しばらく見つめる。

あの頃の空はもう見えない。



あの頃の空/空


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