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夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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どうしたら上品に年をとることができるか

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どうしたら上品に年をとることができるか

W・B・ウルフ

(「どうしたら幸福になれるか」周郷 博 訳より)



 人が元気な時代に年をとったときの用意をするということは、幸福というものをつかむ機会をずっと多くする。これは自明なことだ。社会的に責任を負った、成熟した人間は、老年が彼を比較的助けのない状態にしていくわけで、子供のころの無力な状態に逆もどりすると考えたら耐えられないはずなのだ。ところが、人間のなかのいなごのような性質の人間は、子供時代を卒業もせずに、神を頼りにし、社会を頼りにし、まぐれを頼りにして、彼らの最後の貴重な年齢のために何らの用意をしようともしないのである。幸福は、身体だけが大人で心は青二才な人間には、かなわぬわざなのである。彼の全人格はアナクロニズムだからだ。ちゃっかりと用心深い子供時代のゆたかな実がもてないように、精神的に発育不全な人は大人の人生のゆたかな実りを得ることができないのだ。彼らの生活の無計画さは、自身と自愛が欠けている証拠であり、彼ら自身がもっている人生の障碍に立ち向いそれを照明する自分自身の力を信じないということを示しているのである。

  幸福の追求は、現在および将来の両方についての決然たる計画なしには考えることさえできない。・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

  若い時代というのは、われわれが招かれてしばらく滞在している美しい家のようなものだ。われわれの週末はたいへん楽しいものであったが、その家の主人がいらいらしてきて、はやく発ってもらうために何か偽りの口実でもいったりしなければならなくなるまえに、われわれは支度をして荷物をつめて、働くためにでかけなければならぬ。これは、うまいやり方でもあり正しいことでもある。身体と心の成熟と老化は、避けられぬ自然の法則だ。われわれは誰でも年をとって死ぬものだという窮極の真理からのがれることはできない。だから、この事実について哲学的であり、成熟につづいてくる時代を興味のある平和なものにする用意をしておくほうがいいのだ。これをするのには、われわれは上品に年をとるという芸術を学ばなければならない。

  上品に年をとるのにはわれわれが「ユーモアのセンス」と呼んでいる、あの一種の客観性(我執にとらわれない心)を最大限に要求される。若い時代と壮年時代を通して自分の満足ばかりに気をとられてきた男や女は、老年と死の問題を平静な心で迎えることがたいへんむずかしいことに思われるだろう。これは、神経症患者がどうしてもまともにとり組めない一つの冷厳な事実である。そのうえに、利己的な人はみな、彼の老年の辛い気持ちを慰めるために何か特別な神の加護を期待するものだ。

  そういう人の診断をしてきた経験から考えてみて、そういう期待はかなわぬものだということがわかるのだ。ほんとうに幸福な年をとった人々は、過去においてよいしごとを十分にやった満足を味わった人々、そうして彼らの気軽な時間を将来ゆたかで意味のあるものにするために何かの趣味に生き生きとした興味をあらわした人々なのだ。

  ・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・

  上品に年をとるということは若い時代に始められていなくてはならぬ。幸福な老年時代を過ごしたいと思う人は、読書や音楽や舞踊その他の芸術、とくに他の人々との交わりという冒険をやってみることをおろそかにしてはならぬ。イギリスの詩人ブラウニングがうまくいったように、人生の最後というものは、若い時代の目標なのだ。それなら、若い時代の消え去った楽園をいつも物欲しそうに眺め、そのためにわれわれが生まれてきたはずのあの現実を否定していて、どうして幸福になることができるか?この問題は、<こんにち、人間がこれまでになかったほど熟した老年まで生きることができるようになっている>のだから、それだけに、いそう大事なものになっているのである。



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