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夢の海

――すべてうつろうその果てに――

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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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  われわれほどはものを知らないが、われわれが疑いすらかけないたくさんのことを理解していた中世の人々は、それを悟っていて、物語のひとつに示している。それは悔い改めた二人の罪人の話で、かれらは聖母の像に近づいてお恵みを求めたが、さまざまな祝福を与えてもらうのに対して、お礼にささげるものが実は何もないことに気がついた。

  そこでその一人、古いヴァイオリンのほかには何ももたない貧しい音楽家は、かれの一番好きな曲をひいた。するとどうだろう、かれの祈りはきかれたのである。だが靴屋の番になったとき、かれは自分の礼拝はむだであったと思った。というのはかれにできることといえば、天の女神がこの次のダンスのときにはく優雅な小さい靴をつくってさし上げるぐらいしかなかったからである。「だがいったい」と靴屋は自分に問うてみた。「今聞いたばかりのあの音楽に比べて、一足の靴に何の値うちがあろうか」と。

  だがともかくもかれはできるだけ美しい靴をつくってさし上げた。するとどうだろう、かれもまた女神の瞳の中にお恵みを見出したのである。かれの黄金色の靴は感動を表現するかれ独特の方法だったのであり、とりわけそれは、出来ばえはとにかくとして非常に大きな努力を払ったものだったからである。

  このささやかな中世の物語と関連して、いつも妙に私の気にかかっていることがある―――その一つは私にはどうもよくわからない。現代の世界はなぜ、芸術と技術との間にこんなにはっきりした境界線をひきたがるのであろうか。芸術が本当に人々の日常生活になくてはならないものであった時代には、この境界線はなかった。誰も芸術家と職人のちがいを知らなかった。じじつ、芸術家というものは(芸術家というものを認めるとするならば)、たんに例外的な才能をもつ職人にすぎなかった、すなわち石工組合の他の組合員よりすこしばかりうまく大理石を刻むことのできる石工のようなものであった。ところが今日では、芸術家は街の一方の端、職人はその反対側に暮らしていて、互いにことばをかわすことさえほとんどない。

  私自身もそういう考え方をする時代を超えてきた。私の若かったころは、「芸術のための芸術」という、例のまちがったスローガンが、芸術を知っていると思われている人々の間に依然流行していた。だがそれはもう三十年も前のことで、それ以後幸いなことにわれわれはもっと勉強をした。今日では古いブルックリン橋を設計した人が、シャルトルの寺院の設計図をひいた名もない石工と全く同様に偉大な芸術家であることをわれわれは知っているし、たいていもの者はフレッド・アステアのダンスの芸によって、マイスター・ジンガーの終幕の五重唱を聞くときと全く同様の、本当の楽しみを味わうことができるのである。
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