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夢の海

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芸術とはなにか

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芸術とはなにか

ヘンドリック・ウィレム・ヴァン・ルーン

(『芸術とはなにか』第一章より)



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 芸術家のいわゆる「魂」というものについても、余りそれにとらわれる誤りをおかしてはならない。かれも魂をもっているが、べつだんわれわれのものと非常に違ったものがあるわけではない。一生かかっても線一本かけず、曲一つつくれない人々の間では、芸術家の心理というものがいつも議論の種になる。本当によい芸術家はたいてい、自分の仕事でいっぱいで、かれの不死の魂の心理的下部構造とやらにはちっとも気をかけない。しごく単純な人間らしい。仕事はかれにとっては、たまたまかれが恋をしている女のようなものだ。彼女のためならどんなものでもささげるであろう。彼女はかれのあらゆる忠誠の対象である。彼女がなぜ好きなのか、は、女をバスに乗せてランデヴーに出かける仕上げ工ほりもよく知っているわけではない。また全くそんなことには関心もない。
  そこに彼女がいる。
  だからかれは彼女を愛する。
 それだけのことだ。なぜかれの魂や心理的反応とやらについて愚問を出して、かれを困らせるのか。かれは本当に知らないし、気にもかけていないのである。
 どんな芸術家も法律の枠をこえる権利をもってはいない。だがわれわれと同じように、同輩から成る陪審員によって裁判をしてもらう権利がある。
  これはいつからとはなしにわれわれの文明生活を支配しているルールである。それはまた芸術の領域でも守られるべきである。
 しろうとが熟練した外科医や技師の仕事について意見を求めることはまずないことである。それならばなぜわれわれは、盲腸をとったり、橋や地下鉄をつくったりする人と全く同様に、個人的な方法で自分を表現する芸術家に対して、同じ寛容さをもてないのであろうか。


 ところで(というのはこの章が余り長くなったので)、いったい芸術家とは何か。
画家とは、「私は見ていると思う」と語る人であるにすぎず、またそれ故に、かれが見たと思うところのものを、もしわれわれの目がかれの目と調子が合っていれば、われわれにもそう見えるように、表現する人であるにすぎない。
  音楽家とは、「私は聞いていると思う」という男女のことである。
  詩人とは、「これは私が自分の個人的な夢をある種の普遍的なリズムで一番よく表現できる方法だと思っている」人なのである。
  作家は、「起こった、あるいは起こったかもしれないと私が想像した物語をしよう」というのである。
  すべてこういった調子である。
 芸術家の一人一人はそれぞれ、たんに一種の「レコード吹込み器械」にすぎない。そのレコードがわれわれに何かの意味があるか、または全然ないかは、かれの知ったことではない。ウグイスもカラスもわれわれの意見などどうでもよいのだ。かれらはほかのウグイスやカラスによく思われようとして一生懸命に鳴いている。ウグイスがカラスにとりまかれたり、その逆だったりするときは、まことにあわれである。だがどうすることもできない。
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